片腕の夢は日常 -4ページ目

片腕の夢は日常

ひそやかに、高らかに、ゆるゆるに、くるくるに、
fromここtoうちゅう

いつもお世話になっている鍼灸師・あず姐さまが
私のブログを紹介してくださいました!
嬉しい~~~~☆彡
ありがとうございます<(_ _)>

鶴が自分の身を剥いで機を織りつづけるように

宝石姫が美しい貴石をうみつづけているように

見えるのです。



ああ、なんと美しい言葉で表現してくださるのでしょうか・・・
この言葉を目にすると
自分自身がしていること全て(どんなに愚かしいことだとしても)が
輝いて見えて愛おしく思えます。

私があず姐さまの鍼灸に通うのは(といっても経済事情でそうそう行けませんが・・・)
例えば
星の坊主さまことこじょうゆうやさんがジャッジをしなかったり「Love myself」に専念されているような
そういうエネルギーをあず姐さまご本人とその施術にも感じるからです。
(だから施術後は身体だけではなく心も軽やか晴れやか)

私もそうでありたい。
駄目って言いたくない。

駄目って言うことも許したい。

そういう心をわかってくださる、優しい優しい甘い甘い施術だからです。
「あなたには自分の身体を調和してくれるパワーがあるんだよ」というエネルギーに
満ちているからです。
 

私、今、本当に身体のあちこちに不具合がありますが、
自分の身体を心を魂を愛するエネルギーで満たせば
きっと身体が調和してくる。
そんな風に思えてきています。

 

実家に帰っている。
母が心臓にペースメーカーを入れる手術をして退院してきたからだ。
私は母が大嫌い(感謝はしてても嫌いは嫌い)なので1日と一緒にいることを避けてきているけれど、
今回に限っては避けられず。

こちらでも今までも何度だって恨み節のように書いているけれど
母の毒舌シャワーを浴びて育ってきたのでもうそれはウンザリなのだ。

 

**

 

母がまだあまり自由に動けないので
あれ取ってきてこれ取ってきてと要求してくる。
それはもちろんいいのだけれど、
欲しているそのモノがどこにあるのかの母の説明が
私にはよくわからなくて
何度も聞き返し、あそこか?あれか?とやっていたら
母がこう言った。

 

あんたっていつも本当に場所の説明を理解しないよね。
頭使いなさいよ。
男みたいだよ。

 

ん?
確かに私は理解力がない方ではあるけれど
ハッキリいってあなたの説明だって相当意味不明だよ。
それに、なんだ?「男みたい」って。
男はそういうもんなのか?
違うでしょ、あなたの夫やら恋人がそうだっただけでしょ。
というか、そもそもこんなことでいちいちイラついて毒吐かなくていいじゃん。

と、言い返すとまた不穏な空気になるので
心で言い返しつつ無視。

しかしまあ、本当にこうやって母親は人にマイナスの「こういう人」レッテルを貼りまくる。
他人にもそう。
テレビを見ててもそう。

今、私はそのマイナスレッテルを1枚1枚じっくり剥がす作業をしているのだ。
いい加減、親に言われたことを真に受けて
それで自分は「こういう(だめな)人間だ」って思いこむのは卒業したいって思ってて、
でもなっかなかできないんだよね。
そのレッテル、皮膚化しちゃってるから。


皮膚化していたことにやっと気がついて、痛いかなぁ・・・とか言いながら
ペリペリ剥がしております、はい。
結局は
人生ってそのためのものなのかもしれんと思うくらい。
 

そして同時に。
「他人は鏡」の法則を実感しているので
母親を見ていて、あたくしもそうしているのよねぇとため息。
マイナスのレッテルや決めつけ、しないようにしたい。
心して。


(noteより転載)

 

割と偏食なので、
いわゆる市販のお弁当というものを普段ほとんど食べないけれど、
今日はわけあって500円のお弁当を買って食べた。
最近、スーパーでもよく売っているけれど安いのにおかず満載ですごいことになってるね、お弁当。
自分が食べられない食材が入っていないものをチョイスしていただく。

お腹がすいていたのでまあそこそこおいしく食べていたのだけれど、
口の中でもぐもぐしていたときに急に感じたことがあった。

「ん?これってなに??」

いや、口に入れたのはハンバーグだ。
でもなんだかハンバーグじゃないような気がしてきたのだ。
そしてコロッケ、ソーセージ、野菜炒め・・・・口に入れるもの全てが
なんだかそうであってそうでないものに感じてきてしまい
半分も食べずに残してしまった。

挙句の果てに吐き気までしてきた・・・・・。
う~ん・・・・そうか、この数々のおかず揃えて500円となるときっと、ね、うん、そうだよね・・・・。
咄嗟に「これは人間が食べるものじゃない」という考えが浮かんでしまった。
そしてすぐに取り消した。
そういう考えはなかろう、私よ。

だって、これだけのものを500円でいただけるなんて
経済的に困窮している人たちにとってはありがたいことではないか。
実際に、そうやって暮らしている人を私は知っている。
500円のお弁当をさらに値下げしたものを毎日食べている人を知っている。
そのおかげで生きていけている人がいる。
そして、こういうお弁当を作り、売ることで利益を得ている人たちだっている。
作り、売ることでお給料をいただきそのお金があって子供が学校に行けてご飯を食べて家族で暮らしていけるのだ。
なのに私が単純に否定して非難していいわけがない。
もし、私が今の暮らしではなく何かがあって経済的に困ったりしたときに
このお弁当を食べないでいられるのか?

悪い側面しか見ないのは自分のよくない癖だよな。
と思いつつ、でも私がこのお弁当をおいしくないと感じたのは事実なのだ。
アーユルヴェーダでいうところのオージャスがない食品だと感じたのは本当のことなのだ。

誰もができるだけ安全な食べ物を食べられる世になるといい。
夢みたいな話だけれど、そう思った。
そして今、自分ができることってなんだろうと考える。

私の信条「まずなによりも自分」ということで考えると
やっぱり食べ物を大切にすることか。
安易に買って食べ残して捨てるというのはもうやめよう。
値段に関係なく、その状況に応じてでいいからできるだけ自分がおいしいと思うものを選択しよう。
嫌いなものを無理して食べるとかはしない。
食べ物を大切にするってそういうことじゃないよね。

そしてフッと思い出したことがあった。

以前、ジョーティッシュ(インド占星術)を観ていただいた時に
「✖✖✖だから(理由失念、後で確認要)あなたはフードドネーションをした方がいい」
と言われたことがあった。
ということで早速調べた。
いろいろ方法はある。
そしてもうひとつ思い出したことがあった。
私、以前からホームレスの方々への炊き出しに参加したいと思っていたのだった。
それが自分のあれこれの忙しさですっかり忘れていたな・・・・。
今年は必ず行動しよう。

多くの人を支えている500円のお弁当ありがとう。
どこに光を当てるのか。
決めるのは自分自身だ。
その上で、自分ができることはしていこう。
全てにおいてそうしようと、お弁当に教えていただいた日。
捨ててしまって本当にごめんなさい。

(noteより転載)

私が長年「コノヒトはこういう人だ」と思い込んで
(その裏には単純で腐臭漂う感情があって)自分よりも下に見ていた(端的に言うと完全に馬鹿にしておったわけですよ、はい)人が
実は全くもってそうではなく
あんなこともこんなことも考えている人で
かつ、あんなことまでできて、それが自分のソレよりもずーっと優れていた。

「あんなことまでできて、それが自分のソレよりもずーっと優れていた」というのは、
生きていれば何度だってそういう目にあってきていて
特に私は、自分のソレをちっともいいと思っていないので
誰のを目にしても「そっちの方がすげ~~~~~!(←ショスタコーヴィッチ三郎太)(懐)」って思う。
そして、悔しさと自己卑下を隠すために
その対象を「憧れ」「尊敬」に変えて「あなたは素晴らしい!サイコー!」とかって崇めたりする。
そうすると楽だから。
でもその裏側は単なる僻みと妬み。

でもその対象が長年、自分より下に見てきた人だったら
なかなかそう単純にはいかない。

***

そもそも。
誰かを上にみるのも下に見るのも結局は「比較」だ。
優劣をつけてジャッジして蔑むか崇めるかしている。
そこに潜んでいるのは
自分を蔑ろにしているという事実だ。
本当の真っ裸の自分を見ていないからだ。

***

ごめんなさい。
私はキミを蔑んでいた。
何も知らないくせに。
キミは素晴らしい人だ。

でも、それは私が駄目な人であるということではない。
キミも素晴らしい、私も素晴らしい。
キミは持ってないものがあり、私にも持っていないものがある。
ただ、それだけだ。

でもでも、
私はキミが大好きだから、
キミをリスペクトするし、協力する。
キミがわからないことは、私が補おう。
私がわからないことは、キミに補ってもらおう。

それだけだ。
誰に対しても、そういうことだ。

***

ということに今さら気づかされた。
今まで生きてきたことってなんだったんだよ。
本当に何もわかってないんだ、私は。
わからない人生を、長年かけてわかるようになる。
そのために生まれてきたのかもしれないな。
愚かに見えるかもしれないが、
昔も今も数多ある人生の中で、そんなのがあってもいいかもしれない。

(noteより)