キレイゴトを並べつつわかったことになんかしない | 片腕の夢は日常

片腕の夢は日常

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fromここtoうちゅう

平成31年度東京大学の入学式での

上野千鶴子先生の祝辞が話題になっていますね。

私はフェミに関してはそれほど明るくないので

あれこれ口に出す立場にありませんが、

(もちろん興味がないわけではなく、むしろいつも気にしていますが・・・)

時々見かける過剰(と思える)なフェミにはちょっと違和感を持ったりして、

さらに

フェミニズムの第一人者である上野先生の論説などをたまに目にして

やっぱり違和感を感じるときもあったもので

読む気はなかったのですが何気なく読んでしまい、

えらく感動してしまいました。

何も知らないで違和感とか好き嫌いとか語る自分、ほんと馬鹿だよね・・・。

 

まあそれはともかく。

今回の祝辞の中で何が私の琴線に触れたかという話をします。

 

ちなみに全文はこちら。

読まれていない方がいらしたらぜひ。

https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html

 

もちろんフェミニズムに関しての言葉は

もう頷くしかなくて、「そうだ!」と声高に叫びたくなるような気持ちになりますが、

私は以下の言葉が印象に残りました。

(改行と太字は私がしました)

 

 

あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。

ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。

そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。

あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。
世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。

がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

 

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。
恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。
そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。

 

 

 

この言葉を何度か読み返したときに

色んな気持ちがわいてきました。

 

 

頑張ったことはその人の尊い経験です。

私はやっぱりその人の「努力の成果」だと思います。

でも、同時にそれができるというのは

上野先生がおっしゃっているように

様々な要因が重なってできたことでもあるのです。

「頑張れたこと」は自分のおかげでもあるけれど

それ以外のおかげもあるのです。

だから

自分ができたことが、他人もできるとは限らないのです。

自分以外の人というのは

自分が想像しきれないほど

様々な状況や性質を抱えているのかもしれない、

事情があるのかもしれない。

そういう想像力や視点を持っていきたい、と

今回この言葉を読んであらためて思いました。

 

そして少し話はズレますが、

 

他人という存在を考えるときに

他人を批判や非難したくなったときに

やはり同じように

自分の考えている以上の何かがあるということを

絶対に忘れないようにしたいと、思います。

これはこうだからこうだ、というような

「わかったつもり」になることの恐ろしさを

私はいつも意識したい。

 

私もキミもあなたも

とても強いけれど、とても弱いのだ。

そしてみんなが

自分の正義と正解に基づいて生きていて

それぞれがそのとき自分なりにできることをきっとしていて

それは私もそうで、みんなそうで、

そう思えば

よほどのことがない限り、人は愛しい存在だよな、と思えたりします。

完全に話がズレましたが(^_^;)

 

そうやって

頑張っても報われなかった人や(でも別の形で報われていると私は信じる)

頑張れなかった人や頑張って壊れてしまった人や頑張る意欲をくじかれてしまった人に

思いを馳せながら

自分と他人に愛を注いでいけたらいいなぁと思います。

 

キレイゴトだとしても。