本日は父の日といたしまして
私の家族のお話しを少し
まず私の祖母のお話しから聞いて下さい✨
私の祖母✨マツエおばぁちゃんです❣
今はこの世にはいません
今回の記事は✨祖母の想い出話しを
したいと思います。まず❣一言で
祖母を言葉で例えるなら
とっても厳しいおばぁちゃんでした💦
食事は米粒1つ残すと怒られ💦
正座をしなさい!!
立てひじをつきなさんな!!
素直に謝りなさい!!
一言一言が口うるさく幼い私にとっては
まるで鬼のような祖母でした💦
私には6歳上の兄がいるのですが
兄は小さな頃から聞き分けがよくって
反発精神旺盛な私には
よく叱りつけてました
祖母の人生は、あまり良く知らない事が
多いのですが、父から聞いた
おばぁちゃんの人生のお話しを少し✨
祖母は大正生まれで、結婚前は
わりと文学好きで、新聞社に
俳句を投稿したりしていたようです
10代後半、結婚し、3人の子供に
恵まれました。その長男がうちの父です。
私の祖父になります✨おじいちゃんは
道楽好きで、祖母は
とても苦労をしたようです
戦前になりますが
祖父は30代で、若くして
病気でこの世を早く旅たち
その後、3人の子供を気丈に育てたと
聞きました。その後太平洋戦争が勃発し
少し裕福だった家も徐々に傾き始めます。
何せ男手が無く、大変な苦労を
強いられたようです。戦時中から
戦後にかけて、食べる物も無く
その苦労はすざまじいものだったと
思います。気丈な祖母がただ一度…
子供3人の手を引き、思いつめた
表情のまま、山頂付近の崖に辿り着き
しばらく無言の時を過ごして
いたようです。父から言わせれば
あの時、祖母は命を断つ覚悟を
していたようです。ですが思い直し
家族で4人で生き抜こう!と
力強く子供達の手を握りしめ
家路に辿り着いたようです。
そして✨祖母が30代後半だと思います❣
親戚一同を引き連れて九州の田舎から
東京に大進出をします❣
祖母の人生のお話しはまだまだ長き
第二弾に分けて、次回また
お話しをしたいと思います
このブログ内で家族史を
綴っていく予定です
またの機会をお待ちしてます
本日は父の日✨父が他界し
1年ちょっと経ちます。
私の祖母は父にしてみれば
自慢の母親像でした
本日✨何回かに分けて家族の
ヒストリアをあげさせていただきます
✨ミー介のスケッチブック✨
(ヒストリア)
おまけ編
ミー介半年目の画像👀
いないいないばぁ
私の帽子にすっぽりと入ってました❣
これでも隠れてるつもり?!