阪神大震災から15年が経ちました。
5時すぎに目が覚めたので
テレビをつけ、5時46分に黙祷をしました。
あの日、私は神戸のまちで新聞を配っていました。
細い路地を抜ける道の途中
激しくバイクが揺れたので、パンクかと思い停まると
目の前の世界がぐわんぐわんと揺れていて
ぎっしぎっしと音を立てて揺れる両側の家々から
瓦やバケツ、花壇が次々と降ってきて
バイクを支えてその場に立っているのがやっとでした。
しばらくして揺れがおさまると
一斉に電灯が消えていき、自分のバイクのライトだけを残し
周りは真っ暗闇に。
あちこちから叫び声や悲鳴が聞こえ始めました。
家の壁が崩れ、水道管から水は噴き出し
電線が切れ、垂れ下がっているなかをバイクで走り
ようやく店へたどりつき、ラジオで神戸の惨状を知ったのです。
それからも、三宮や長田の悲惨な状態を伝える新聞を
崩れた塀をかきわけ、割れた階段を登って毎日配り続けました。
やがて3月になり、学校を卒業し結婚、神戸を離れました。
あれから15年。
震災からの15年は、私達夫婦の15年でもあります。
あの時無事だったからこそ、今がある。
そのことに心から感謝し、いつまでもあの日のことは
けっして忘れずにいようと思います。
これからも、力強く前に進んでいきたいです。
5時すぎに目が覚めたので
テレビをつけ、5時46分に黙祷をしました。
あの日、私は神戸のまちで新聞を配っていました。
細い路地を抜ける道の途中
激しくバイクが揺れたので、パンクかと思い停まると
目の前の世界がぐわんぐわんと揺れていて
ぎっしぎっしと音を立てて揺れる両側の家々から
瓦やバケツ、花壇が次々と降ってきて
バイクを支えてその場に立っているのがやっとでした。
しばらくして揺れがおさまると
一斉に電灯が消えていき、自分のバイクのライトだけを残し
周りは真っ暗闇に。
あちこちから叫び声や悲鳴が聞こえ始めました。
家の壁が崩れ、水道管から水は噴き出し
電線が切れ、垂れ下がっているなかをバイクで走り
ようやく店へたどりつき、ラジオで神戸の惨状を知ったのです。
それからも、三宮や長田の悲惨な状態を伝える新聞を
崩れた塀をかきわけ、割れた階段を登って毎日配り続けました。
やがて3月になり、学校を卒業し結婚、神戸を離れました。
あれから15年。
震災からの15年は、私達夫婦の15年でもあります。
あの時無事だったからこそ、今がある。
そのことに心から感謝し、いつまでもあの日のことは
けっして忘れずにいようと思います。
これからも、力強く前に進んでいきたいです。