王の治世も十九年 

 

晦日

 

年越しの夜は

 

月が輝かぬ <朔>の夜だ

 

王は

新年を迎えるべく潔斎し

守護する迂達赤も同様に禊ぎして

王宮で護りに付くのが常のことだった

 

だが 

鶏林に左遷された俺は

其のような場から離れて五年になる

 

爵三位を削られ  

皇宮から排された身では

新年を  開京にも  

本邸にも戻れぬ態で迎えていた

 

じつのところは

幸州で蟄居するイムジャの大慈洞に密行し

子たちの側で寿(ことほ)いだがな?(笑)

 

 

俺は長く軍籍に在り

出陣せぬ年の新年も王宮守護に出仕した

 

本邸の祝いに

俺の姿は無かったに等しいな?

 

 

年初の神事を司る為に

<潔斎為さる王>と祭主神官は在る

 

共に傅く近衛隊も

世俗の雑事を斥けることと定まっている

 

よって

イムジャと

年越しの褥を共にするなど赦されず

逢うのは年改まり

宮廷を退下する数日後だ・・・

 

しかも家刀自たる叔母上も

尚宮の束ねに後宮にかんづめ(?)なのね・・・と

イムジャが愚痴ったのは何時だったか?

 

 

『 さしいれというものが天界に有ってね?』

 

『 炊き出しともいうのよ、ねぇ。んん♪』

 

よく分からぬながら

<ふるまい>と同じようでは在ったのか?

 

新年の近衛営

焚かれる篝火の側で

闇にも隠れず嬉々として

< あの軽い鎧の新兵 >が

鼻歌まじりで

野営鍋をかき混ぜていた・・・とやら?

 

<新兵>が

幼子を抱いた姿形に変わった次年は

寒さゆえに

衛所の裡に竈が出来ていたようだ(笑)

 

隊長の俺より気が利くチュンソクが

どのようにか  手を回したに違いない

 

しかも  

衛所で控えるウダルチが

真っ先に新年の餅の汁を啜っていたと

トクマンに囃されたのだ!

 

夫の俺は無性に腹立たしくて

尻を蹴ったのも懐かしい・・・

 

俺が混成軍を率いて出陣していた年初にもか?

 

『迂達赤衛の恒例だったわぁぁぁ♪』

 

と!!

 

手裏房の次主が嘯いた時には

おのれ!と 歯噛みをしたものだ

 

白のイボンはイムジャ贔屓だと師姐が笑う

 

『ニイが産まれてからは早々に…』

 

『鍋はウチの若いもんが掻き混ぜたよ!』

 

『ヨンも、クッパ、喰うだろ?』

 

今も懐に匙を仕込むのか?

 

なぁ、師姐?

 

騒がしい薬房は今も変わらぬだろう(笑)

 

 

 

俺は 

 

曙光の頃に饗される

 

延慶宮府の祝膳を確かめて

 

徳寧公主が翁主と過ごす年初を鑑みる

 

二十年ぶりの母子ふたりだ

 

イムジャが持たせた柚子蜜を膳に添える<俺>は

 

宣仁殿を

 

赤月隊の血潮で染めた

 

あの忠惠献孝大王の醜貌を斬捨てる

 

・・・ほんの一刻(つかのま)

 

イムジャの囁きが木霊する

 

 

< 高麗に降嫁する公主も >

< 高麗王の血を継ぐ公主も >

< もう 現れないのよ? >

 

 

其れは<高麗の医仙>の託宣か?

 

それとも

 

氷のような光の粒となって

 

霧散した<鬼剣の朧>の聲か?

 

 

おまえは

 

あの堆朱の帙を愛惜しんだ

 

大元ウルス帝国を称したフビライの公主を

 

クトゥク・ケルミシュを

 

なぜ象っている?

 

 

初めて高麗王妃と冠されたが

 

御心は 何処の 誰に 留め置かれたと?

 

 

< きっと、側で支えてくれるヒト? >

< たぶん、大草原を識ってるのよ! >

< そして、王を裏切れない立場で? >

< 愛して、結ばれず、いと惜しむと >

<あの朧の公主サマになるのかしら?>

 

俺の腕のなかで

 

イムジャの囁きは女人の情に濡れていたのに?

 

 

俺の祖父 鐡原崔氏  崔雍と共に

高麗王を護ろうとした臣下たちの中で

父のような壮年では無く

愛惜しむ男を選ぶなら

苦境に落ちた重臣がいる

 

昌原崔氏 崔沖紹

 

忠烈大王の若き懐刀として

クトゥク・ケルミシュ公主の殿舎を建て

王妃として迎え入れ

宮府に侍し

趙仁規一族の女婿として

公主の草原の言葉にも堪能に応えた

 

 

公主薨去の次年

<趙妃誣告事件>の只中で

令妃趙氏の義兄として

流刑に処された八歳ほど歳上の

昌原崔氏 崔澄の嫡嗣

 

本来は鐡原崔氏本家を継ぐべき者であり

 

若き崔元中と 弟妹を託されていた漢だ

 

 

光の粒はもう人の形には凝らずに

 

ただ更々と

 

俺の頭の中に語るのだ

 

 

≪ クトゥク・ケルミシュは嘆いたのだ ≫

 

親朝を命じられ

大元ウルス皇帝の膝下から

高麗に帰国したばかりの朝

公主は

ひと枝の芍薬を摘み取らせ

花の命を断ち切った

 

≪ 高麗王の手脚を折るのか?と ≫

 

二度目の倭国への遠征が失敗し

もう高麗への配慮など

吾(わたくし)への配慮など無用か?

 

父 フビライ皇帝の崩御の後

 

クリルタイに勝利したばかりで!

 

即位して四年のテムル皇帝は・・・

 

平壌趙氏  趙仁規

昌原崔氏  崔沖紹

 

そのふたりを落とすのか!

 

 

高麗皇帝 元宗が

<高麗王>と貶められ

大元ウルス帝国の支配は始まった

 

だが

次代  忠烈大王の御代に

高麗王は大元皇帝の公主を娶り

大草原で<キュレゲン>と呼称された

 

中原・漢族の官吏は史書に『駙馬』と記し

<高麗國駙馬>とは  

フビライ皇帝の女婿であり一族だ

 

その御代に

 

大元ウルス帝国の公主は  ただ二人

 

ナイマン王族の血を継ぐ  ナンギャジン

 

アス氏を母妃とする  クトゥク・ケルミシュ

 

フビライ皇帝は  

アス王ハンクスが率いるアスト部族を

新たな近衛 アス衛として嘉し

公主を高麗へ下賜する後見(軍勢)とした

 

『それだけ』ではなく

 

駙馬 高麗王は  倭国侵攻の先陣の誉れを下賜された

 

先に ひとりめの女(むすめ)の降嫁を受けたのは

コンギラト氏 オロチン・キュレゲン

 

婚姻を嘉して与えられたのは  

ナンギャジン公主の居城となるはずの

大草原への要衝 <應昌府の城>

二年をかけた

豪壮な魯王城の建築と下賜だった

 

そして

 

高麗國駙馬に婚姻を嘉して与えられたのは

 

倭国侵攻先陣の< 誉れ >

 

その代価が

 

国と民の血と命を刈り取る<公主>だった

 

西方大草原のアスト部族に

 

海を越える戦場など画餅ゆえ

 

敗戦のとき

 

風涛逆巻く海原に沈んだのは

 

高麗と宋朝の遺臣ばかりだ

 

 

≪ 婚礼の華麗な姿をした公主は ≫

 

≪ 西の天涯に浮かぶ朧月のような ≫

 

≪ 澹(おだやか)な 淡い瞳と髪色 だった ≫

 

 

だが

 

高麗にとっては

 

望む煌月では無かったのだ