ドーリトル隊の奇襲 強靭なる牙 | 最強御姫様伝説 皇国戦姫

最強御姫様伝説 皇国戦姫

 我々とは違う世界にある日出国(ひいずるくに)、日本皇国。
 かの国は皇室が中心となって国政を取仕切り、そして姫君たちがその中心となっていることである。
 そんな姫君たちが未曾有の国難に立ち向かう物語。


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 皇紀10002年(1942年)6月6日 日本本土

 それは、突然の出来事であった。
「おい、何だこりゃ。こんな反応は見たことないぞ」
 ここは千島列島のとある場所にあるレーダー基地。実は日本皇国で最初に設置されたレーダー基地であり、常に領空を侵犯する敵機を見張る日本皇国の目の一つだ。その鋭い目に、突如見たことのない反応が映ったのだ。
 24時間体制で警戒にあたるレーダー基地。今日の当直である空軍兵士の小原清二上等兵はレーダーオペレーターとなって今年三年目。そろそろレーダーオペレーターとしても一通りの仕事がこなせるようになっていた。
 実は姫君たちの空軍将兵募集の立て看板を見て志願したというのはここだけの話だ。しかし、飛行適正なしと診断されてしまいパイロットはおろか航空機搭乗員への道も閉ざされ落ち込んでいたところへ情報コースへ行ってみないかと面接時に言われ、ここへ来た。
 当初はあまりの僻地に士気も下がり気味であったが、時折将軍クラスの高官が顔を見せたり、また直属の上司からもここは日本を守る最初の防衛線だから決して気を抜かぬようしつこく厳命され、自分の仕事が非常に重大なものであることを感じ始め今は誇りを持ってこの任に就いている。
 当たり前だが、空軍が有璃紗姫を筆頭にした首脳陣やパイロットばかりで成り立つはずもなく、こうした名もなき多くの兵士もまた空軍を支える無数のピースの一つなのである。

 これまでその重要性を裏付けるようにソ連、最近は稀にドイツ空軍の大型爆撃機が領空を侵犯してくることがあり、小原上等兵の勤務はいやでも緊張が高まる。そんな折にこの異常事態に出くわしたのである。
「どうした、小原。また領空侵犯か!?」
 小原上等兵と同じく今日の当直担当でここの責任者である東田毅(ひがしだたけし)少佐がコーヒーを携えて戻ってきたところにレーダー画像の異常へ出くわしたのであった。因みに東田少佐はこの基地の責任者であるのみならず千島列島に配置されたレーダー基地全てに責任を負う立場であり、千島レーダー地区隊長でもある。
「な、な、なんだこれは……」
 経験豊富な東田も絶句するほかなかった。これまで富嶽の大編隊がレーダーぬ映ったときも似たような事態は経験しているが、長年の経験と勘からすぐさま異常事態であることを察した。それに、富嶽の編隊がここを通過する場合は事前に暗号化された文書で知らせが入るのが普通だった。しかし、ここ数日そのような通信はない。
 そして東田は傍らの放送マイクを手に取り叫んだ。
『総員起こし!!緊急事態発生!!』
 更に東田は続ける。
「小原、直ちに大本営へ連絡。正体不明の大編隊が日本本土に接近中とな!!」

 更に、大編隊が接近しているのはここだけではなかった。

 硫黄島には陸軍と海軍で協同運営しているレーダー基地があり、ここにも警報が鳴り響いていた。
『こちら硫黄島レーダー基地。正体不明の敵機が日本本土に接近中!!』

 その正体は……そう、あのドーリトル少将率いるB-36、60機から成る空襲部隊である。ドーリトルはこちらの意図をあからさまに分からせるために二手に分かれて侵入をはかったのだ。
 ドーリトル少将率いる30機は東京へ向かいつつあった。
「東京上空まであと1時間。高度8000を維持したまま突入する。我々はここで京都方面に向かう。作戦成功を祈る、グッドラック!!」
 ドーリトル少将は僚機に命じると左へと旋回を開始。15機ずつ二手に分かれ侵入していくB-36の一団。僅か15機ではあるが、これだけ巨大な機体だと壮観な光景だ。
 銀色の機体を漆黒に瞬く星空が薄らと照らす。

 ここでB-36のスペックをざっと説明しておこう。()内は最新の富嶽32型のスペックである。
 B-36フライングステーツは全長70.7m(79.0m)、全幅91.5m(102.6m)、全高19.1m(19.7m)、重量290t(265t)と富嶽よりやや小さいが、それでも当時世界最大級の巨人機の一つには違いなかった。
 ライト兄弟による動力飛行成功以来、航空機はより速く、より高く、より遠くを目指して開発が進められてきた。そしてもう一つの目標が、より巨大な機体を飛ばしたい、であった。富嶽もB-36もまさにその一つの到達点であろう。
 性能面は、20000馬力(25000馬力)のターボプロップエンジンを6基搭載、最高速度730㎞/h(795㎞/h)、航続距離41000㎞(50000㎞)、最大作戦高度13000m(19500m)、爆弾搭載量は標準で18t(25t)、最大で65t(85t)である。
 武装はアメリカでは実績あるブローニング12.7㎜機関銃改を2連装にして合計8門を搭載(15㎜機関銃2連装6門)しておりハリネズミのようである。
 乗員は12名(10名)。性能面では富嶽にやや譲るが、当時の水準を考えれば超高性能機の一つであり、何よりも脅威なのが富嶽が飛行性能を重視して開発された結果量産性に難を抱えているのに対してこれだけの巨大な機体が量産可能なことであった。量産性を何よりも最重要視するアメリカならではだろう。また、新技術の塊である富嶽に対して既存の技術を極限まで洗練させる手法をとったことも量産性向上に貢献していた。
 量産性の違いを決定的にしていたのが、富嶽がドライカーボンを主体とした最先端の複合材料を用いているのに対してB-36がアルミハニカムとマグネシウム合金を主体として用い、一部にチタンを用いていたことだった。
 複合材料は量産に難があるのだ。実は金属のほうが量産には有利なのである。

 敵機が本土に接近しているという報せはすぐさま大本営にも伝えられた。そこに偶然にも将臣陛下も臨席していた。というのも南方作戦に一応の目途がついたことで今後の戦局及び戦略方針を巡って御前会議が行われていたのである。そんな最中での敵機襲来の報せだった。
 御前会議の最中、血相変えてノックもなく入ってきた将校からの報せで蜂の巣をつついたような騒ぎになる大本営。しかし、陛下は冷静だった。
「いずれは来るだろうと思っていたが、予想よりも早かったな。その上随分奥深く切り込んできたものだ」

 一方、報せを受けた有璃紗姫の対応は素早かった。
「陛下、会議は一旦中止にしまして、御所の地下壕へ。でもって、直ちに防空隊に出動命令。海軍にも大急ぎで報せなさい」

 有璃紗姫の命を受け、本土防空隊が動き出す。
「エンジン始動!!迎撃急げ!!」
 宿舎からわらわらと飛び出すパイロット。各自の機体にとりつく。
 史実と違い、既にこの段階ではるかに強力な防空網を作り上げた日本皇国。ここに至るまでには様々な出来事が複雑に絡み合っている。
 
 遡ることおよそ40年前、かつて日本皇国は大国帝政ロシアを相手に第一次極東戦争を戦った。その際ロシアが持ち込んだ通信機は部隊の迅速な移動と集合を可能にし、このためにしばしば包囲され苦戦した。幸いにして勝利はしたが、支払った代償はあまりにも大きく陸軍だけでも皇子2人、皇女19人を失っている他、海軍もバルチック艦隊に包囲されたため東郷平八郎元帥が瀕死の重傷、更に皇子1人が戦死している(最終的にバルチック艦隊を壊滅に追い込むことには成功した)。
 太古の昔より日本皇国の皇族にとり、戦争は常に身内の問題。近代戦の端緒ともいえるこの戦いで失ったものは大きすぎ、以降日本皇国は技術革新に邁進していくことに。
 賠償金は放棄する代わり、ロシアにとって最高機密であった当時最新の無線機や通信技術を入手し、また通信技術者を厚遇するなど敗戦国にとっては破格とも思える条件を持ちかけている。当時バルチック艦隊壊滅などで軍再建に莫大な資金を投じなければならないところへ巨額の賠償金で財政難に陥るのは目に見えていたことから最高機密であった通信技術の譲渡は痛かったが、最終的には背に腹は替えられないとしてこの条件を時の皇帝ニコライ二世は承諾した。
 また、この戦いでロシアはカムチャツカ半島他北方領土を完全割譲させられ、また、高麗半島に国境を接していた領土の一部も旭陽帝国に割譲しなければならなかった。
 この戦いで失ったものが大きかったのはどちらであったろうか。最終的にはロシアの方であろう。というのも賠償金こそ請求されなかったが、当時世界最大且つ最強の艦隊であったバルチック艦隊を壊滅に追い込まれたのは痛手であり、艦隊再建のために国民に重税を強いることとなり、ロマノフ王朝に対する不満は一気に高まることになり、更に第一次世界大戦に至って国民の不満は頂点に達しロマノフ王朝の崩壊を迎えることになるのだ。
 この第一次極東戦争こそ帝政ロシア崩壊の序曲であったと言える。
 無線通信に苦しめられ、更に第一次世界大戦では航空機の脅威が一挙に増し、当時はまだ航空機を事前に発見することは難しかった。このことが英独双方の無差別爆撃のエスカレート合戦につながり未曾有の死者を出す一因になったと言われている。
 後に日本皇国はイギリスからレーダー技術を入手するとイギリスを参考にしながらレーダー網の建設に着手した。日本の場合、その理由は切実なものであった。もしもソ連(帝政ロシア崩壊によりソビエト社会主義連邦へと改称=ソ連)と対立関係に陥りソ連から爆撃機が飛んできたら……と考えるのも無理からぬことであろう。
 そして、危惧は現実のものとなってしまう。
 第二次極東戦争は勃発し、戦局も終盤、ソ連は遂に爆撃機を日本本土へ向けて飛ばしたのである。そのとき構築されていたレーダー網に引っ掛かったソ連空軍の爆撃機部隊は結局全滅している。

 今回の敵機襲来はかのソ連による空襲の再現に他ならなかった。そして、ソ連は防空戦力が比較的薄くなる夜間を選んできたことから、夜間戦闘に適した迎撃機が望まれることになった。
 そしてパイロットたちが乗り込もうとしているのが夜間防空の切り札とも言える最新鋭機、二式局地夜間戦闘機『電光』であった。
 電光は愛知航空機が開発した双発の大型戦闘機であり、最初から夜間戦闘機として開発された機体の一つである。実は、夜間戦闘機として開発された機体というのは珍しい。というのも何処の国も考えることは同じらしく、機動力よりも火力が最重要視される夜間戦闘機は格闘戦能力はさして要求されないことから大火力を搭載可能な双発機を改造してあてることが多く、実際、日本皇国で最初の夜間戦闘機である中島飛行機『月光』は改造戦闘機である。
 電光は最高速度750㎞/h、最大到達高度15000m、航続距離は標準で1900㎞と日本機としては短いが、これは局地戦闘を想定しているためで、その代わりに当時の夜間戦闘機としては破格の高性能を誇る。中でも高高度での戦闘が可能な夜間戦闘機は当時世界にもこの電光と月光の二機種しかなかった。
 武装は機首と主翼に重爆撃機迎撃用の25㎜機関砲を合計4門、更に二連装とした25㎜機関砲2門をとある場所に搭載している。一体何処に搭載しているのか、それは次回にて明らかになるだろう。

 他にも、大阪、神戸、名古屋からは月光の他ジェット局地戦闘機『震電』が飛び立っていった。

 二重反転プロペラが共鳴し、滑走路上を軽快に飛び立つ電光の一団。
 それにしても、電光のカラーリングは異質だ。というのも銀、もしくは淡いグレー、対地攻撃用には上面に緑と茶色、下面に淡いグレーというのが日本空軍の基本なのだが、この電光は漆黒一色であり、国籍標識である日の丸も機体サイズからするとやや小さく描かれている。
 一基3600馬力の『誉』、合計出力7200馬力と相俟って大型の機体とは思えぬほど軽快に上昇していく電光。
 電光は最新鋭機ということもあり、まだ配備を開始したばかりで夜間戦闘機に占める割合は今のところ3割程度であり、大半はまだ月光が占めていたが、それでも戦力に不足はない。
 電光は高性能な対空レーダーと火器管制装置を搭載しており、更にマルチデータリンクシステムをも搭載しており、警戒機からのレーダー画像をそのまま映し出すことができた。当時としては画期的なシステムである。
 乗員はパイロットと電子戦乗員の二人。
 電光に乗る京都夜間防空隊隊長、遠藤幸雄大佐はご満悦の様子だ。因みに遠藤幸雄は後に夜戦のエースと呼ばれることになる。
「これが電光の性能か。月光とはまさに隔世の感ありだな。それより宮地一飛曹、敵機を見逃すなよ」
 遠藤大佐から檄を飛ばされるのは電子戦要員の宮地孝雄一飛曹。宮地一飛曹は穴の開くほどレーダー画像を見つめ敵機探索に必死だ」
 と、宮地一飛曹が突然叫んだ。
「いました、11時方向に敵機の反応を確認。こ、これは……すごく大きい。敵機はおそらく噂の新型機と思われます。高度は8000!!」
「ようし、全機、11時方向へ迎え!!」
 実は……かの第二次極東戦争で本土空襲を敢行したソ連空軍を全滅に追いやったのがこの遠藤大佐率いる航空部隊であった。
 高度8000に到達した遠藤大佐率いる電光部隊は漆黒の中レーダー画像を頼りに周囲を見回す。すると……
「あっ、あれだ……」
 遠藤大佐はその巨大なシルエットに絶句するほかなかった。
「恐らくは……あれが、噂のB-36……」
 月の薄明かりに照らされ、仄かに銀色に光る航空機の一団。しかもシルエットが明らかに富嶽のものではない。間違えようもなかった。それにしても巨大だ。
 富嶽で巨人機が見慣れているつもりだったが、巨人機への遭遇に対する驚きはなかなか慣れないところがあった。が、遠藤大佐は思い直した。
「よし、定石通り後方からカブる。我が空軍の鋭い牙を突き立ててやれ!!」
 遠藤大佐の命を受け、高度を9000に上げ敵機の後方へと回り込む電光隊。

 日本皇国の日本刀の如く鋭く研ぎ澄まされた牙が、今まさに敵機へ突き立てられようとしていた……
 

 
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