個人的には、これからは更に一般

 

的になっていくと思うので、自分自

 

身と子供の状況を考えた上での決

 

断は、健全だと思います。

 

 

 

 

 

 

こんにちは!

 

ADHD(発達障害)

HSP(感受性が強く敏感な気質)

毒親にまつわる心の癒し方を

研究しています。

 

快像人間レンチ中田和光(かず)ですビックリマーク

 

 

 

今回は、デリケートな内容になりますが、

 

あくまで婚歴のない一個人の発言として

 

捉えていただければ、幸いです。

 

 

 

 

 

なぜこの件を書こうと思ったかと言うと、

 

僕が子供の頃、母に暴力的だった父と別

 

れて欲しかったからです。

 

 

手を引かれて家出する度に、曖昧ですが、

 

「もう帰るん嫌や」という事を伝えていたと

 

思います。でも、結局帰ってしまう事が、

 

嫌で、不思議で仕方なかったのです。

 

 

 

 

 

母は以前、ダメ浮気亭主と結婚し、姑のい

 

びりも重なって体を壊し、離婚していまし

 

た。その当時、離婚は非常に問題視された

 

と聞きます。その上で、やむをえない程、

 

追い込まれていた事が想像できます。

 

 

しかしそこはダメンズウォーカー。優しい

 

プロレスラーさんのお誘いを断り、見事

 

ヤンチャ者の父と結ばれました。

 

自尊心が低いと、そちらへ行ってしまいが

 

ちなんですね。

 

 

結果、またも姑は厳しく、手を挙げる事や

 

すぐ喧嘩する事、浮気の気配に悩まされる

 

前夫の時と似た様な状況に。

 

 

 

 

 

心理の事や年齢、時代背景など、色々理解

 

した今、仕方なかったとは言解るのですが、

 

「子供の為に、我慢しなくてはいけない」

 

という思いだとしたら、子供目線からする

 

と、ズレていたのです。

 

 

父がいなくても、少し貧乏になっても、

 

力や怒声、母の涙の無い、安心感

 

欲しかったのです。

 

 

 

 

 

割と最近になり解ったのですが、父の元に

 

戻る理由は、子供の為もあるでしょうが、

 

母も当時は、只の20代の女性だったとい

 

う事です。今思えば、凄く若いです。

 

 

「この人は、やる人やと思ってた!」

 

のちに父を、こう評価する母。

 

あんなに苦しく見えていた母は、実は幸せ

 

だったのです。

 

夫を愛していたのです。

 

 

 

 

 

確かに、祖母がお金を使い果たした後、

 

自営の店を立て直したのは、父でした。

 

頭も運動神経も良く、仕事もそれなりに

 

やれる人です。

 

 

ただ、だれにも頼らない、頼れない、孤独

 

な両親の子育ては、愛を、安心を感じにく

 

く、姉弟揃って苦痛を伴う物でした。

 

 

 

 

 

母も、今の様な時代背景だったら、また違

 

う選択肢を取っていたかも知れません。

 

母も、自身と子のADHDに気づいて、対

 

応したかも知れません。

 

なので、離婚・再婚については

 

 

 

 

 

個人的には、これからは更に一般

 

的になっていくと思うので、自分自

 

身と子供の状況を考えた上での決

 

断は、健全だと思います。

 

 

 

 

 

という結論に至りました。

 

 

旦那への、女としての愛。

 

 

子供の為を思って我慢する、母の愛。

 

 

母は、ユーモアがあって、優しい人です。

 

子供たちが共通して求めているものは、

 

の笑顔ある、平和な日常です。

 

子供が皆、離婚・再婚を苦痛とは捉

 

える訳では、ありません。

 

 

それより、子供の幸せの形を決めつけず、

 

意見交換ができると、より幸せな選択がも

 

たらされる事も、あると思います。

 

色んな事情がおありだと思います。

 

共に、頑張って素敵な世界に快像していきましょう!キラキラ