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せっかく東京にいかれたのだからどこかに行きましたか?と聞かれてもどこも行っていなくて東京駅から山手線。セミナー会場。
帰りはその逆という何ともシンプルな行動をしました。
6月もそれとそっくりですが、帰りが飛行機に変わっているだけです。
7月から10月は、セミナーが終わって一泊して翌日の飛行機を今考えているところですが、
さて、東京でどこに行きたいというところは思い当たらないのですが、ひとつ寝床でふと思いついたものは、
千葉佐奈さんの墓には、坂本龍馬室と書いてあるそうな。そこに行ってみたいと思ったのですが、東京ではなかったです。
幕末ガイドによると、
千葉さな子、千葉佐那とも。北辰一刀流開祖千葉周作の弟・千葉定吉の二女。兄は千葉重太郎。 江戸遊学中の坂本龍馬の恋人といわれ、佐那の回想によると1858年頃に婚約したという。
元鳥取藩士・山口菊次郎と明治7年に結婚するも数年で離縁。その後は独身で過ごしたと伝えられる。 千葉佐那の墓の背面には、「坂本龍馬室」と刻まれている。
なぜこれが頭に浮かんだかというと、坂本龍馬が江戸に修行にいき千葉道場で修行したという記憶。(山梨の甲府にあるようです)
それと、離婚が多いねという今の時代にこういう人がいたんだという女性の一人です。
婚約したということ。のちの数年の結婚は後から分かったようですが、婚約のまま独身で過ごしたような話で聞いたような。
詳しくはわかりませんが、一人の人を思って生涯を終える人もいて。
そんな時代の方が心はは豊かな気がします。
婚約しながら、坂本龍馬はなぜ別の人とという疑問は残りますが。
それよりも千葉佐那という人が剣術の腕前すばらしいくはたいへんな美貌であった。
剣術師範として通っていた宇和島藩の伊達宗徳曰く「左那ハ、容色モ、両御殿中(2つの伊達江戸屋敷)、第一ニテ」
この美貌も、それ以外のいろんなことに長けていたということもそのひとつかもしれませんね。
何かに打ち込むことは大切な気がします。
坂本龍馬は、乙女姉への手紙の中で、
「かほかたち平井(加尾)より少しよし。十三弦の琴よくひき、絵もかき申し候」と書いていますが、
歴史的な資料があまりなく、婚約も生涯独身も数年結婚も確かなことではありません。
何が真実かはおいといて、千葉さな子さんが独身だったのは坂本龍馬が好きだったからかというみかたもありますし、
いいようにかってに美しく想像したにしても
今の時代に、考えさせられるものがありますね。

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