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呉市の観光地のひとつ入船山記念館へ行ってきました。
ここと大和ミュージアムに同じ日に行くと、先に行った方の入場券の半券をみせると
次の入場券が2割引きになります。入船山が250円、大和ミュージアムが500円なので
先にこちらに来た方がお得です。

呉市美術館と並んでいます。今は清水に移築されている亀山神社があった山だそうです。

この時計台は、旧呉海軍工廠塔時計です。
大正10年(1921年)に設置されたものの復元です。

明治、大正の時代から戦争と縁の深かった呉。
大和ミュージアムも江田島の術科学校も広島の平和公園とあわせて次の世代へ
メッセージを残していくものです。

これは、火薬庫。警固屋の高烏砲台跡から移築したものです。
たしかに高烏展望台にいくときに砲台あとがありました。

中に入ってみると昔の呉の様子が絵で展示してありました。
タウン誌くればんでも見たかもしれません。
なんとなく、今より倍ほどの人口がいた呉の様子が想像できそうでした。


後ろに灰が峯がみえるので、本通りだとわかりますね。

もっと年配の人には、どの場所とはっきり分かるでしょうね。
呉市民にも意外と知られていない歴史がここにありました。

ここが、旧呉鎮守府司令長官官舎です。
明治19年(1886年)に呉湾に設置が決定し、明治22年(1889年)に開庁しました。
表からみると英国風の洋館です。
後ろ側にまわってみると日本建築がの建物がくっついています。

洋館は、軍政会議所兼水交社でした。
日露戦争直後の明治38年に芸予地震によって大きな被害を受けたそうです。

わずか100年と少しの間に呉の町はこれだけ変わったんですね。
平日でしたが、他に観光に来ていた家族もいました。
平成7年頃まで修復などしていましたので、呉の住む人もまだ行っていないという人は多いかもしれません。
歩いてみると、呉はこんな町であったというのが少しはわかってきます。
そして、その周辺の島は、戦争の時代に疎開先で子供も農業をしていたようです。
身近な土地の歴史に触れると、今、いそがしくメディアに振り回されているような毎日が
良いのかどうか疑問に思いますね。
なにかもっと、これをやり遂げようみたいなことに集中してみたいですね。


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