山中しぐれ
湯けむりの かじか鳴く道 山中道は
夢もはるかな想い出小道
こおろぎ橋の欄干は 今も変わらぬ湯のかおり
(山中節) ハァ 一夜逢えても 二夜と逢えぬ 旅のお方は罪ぶかや
いで湯の町の唄聞けば 誰かが泣いているような
小唄 『山中しぐれ』 (土屋 健作詞、中山小十郎作曲)
小唄は「江戸小唄」というぐらいですから、東京以外の土地がテーマになることは少ないです。
そんな訳で、北陸ではこの『山中しぐれ』は、数少ない地元ゆかりの小唄の一つとして人気があります。
唄は、アンコの山中節は原曲どおりで (あたりまえ~)、それ以外の部分には、中山小十郎らしいドラマチックな切れの良い三味線の手がついています。
アンコの山中節は、哀調を含んだゆったりとした感じの唄なので、小十郎三味線とは一見ミスマッチのように思えますが、山中節以外の部分の旋律に山中節の旋律をアレンジしたものを用いているため、ドラマチックな手がついていても、全体の統一感がとれており、芝居の場面が切り変わっていくような感じで、唄い映えのする唄になっています。
山中温泉は、1300年前に開湯されたという歴史ある温泉で、石川県加賀市の大聖寺川の上流沿いの、山の中にあります。
鶴仙渓という景勝地を擁し、温泉街全体が奥まった日本庭園の中にあるような、落ち着いた情緒のあるところです。
町の中には、松尾芭蕉が「奥の細道」で訪れた時に詠んだ句、
― やまなかや菊は手折らじ湯のにほひ
― 漁火にかじかや波の下むせび
の句碑が立っています。
小唄の元となった『山中節』は、江戸時代に湯治客として訪れていた北前船の船頭衆が、松前や江差で習い覚えた追分節をお湯の中で唄い、それを温泉で客の世話をする「浴衣べい」と呼ばれる娘たちが外で聞いていて、真似して唄うことで出来て行ったものだそうです。
この土着的な温泉民謡を、昭和初期に山中芸妓の初代米八が、ゆったりしたテンポの座敷唄にあらため、正調山中節として完成させたとのことです。
『山中節』の歌詞は、7・7・7・5の掛け合いの繰り返しで、『山中しぐれ』の中に使われているもの以外にもたくさんあって、
- 忘れしゃんすな山中道を東ゃ松山西ゃ薬師
- 山が赤なる木の葉が落ちる やがて船頭衆がござるやら
- 浴衣肩にかけ戸板にもたれ 足でろの字をかくわいな
- 加賀の山中おそろしところ 夜の夜中にシシが出る
・・・・などなど。
『山中節』の唄は、Youtubeに米八(何代目か不明)のものがあります。
↓
http://www.youtube.com/watch?v=IXUk0gqNrXw
唄の出だしの「ハア~」の「ア~」に、たくさんの音程と音質の音が含まれていて、その「ア~」の中に山中温泉の風景と唄中の人物の心情が織り込められているように感じられます。
邦楽の唄の根本が「語り」であると納得させられる唄です。
- 清掻の洩れ来る小窓菊薫る -