閲覧注意!
ブログ主のトラウマ体験が書かれていますので自己責任で読んでください
今日は、やけに嫌な事を思い出す日である。
記憶の整理か
「虐められるには理由があって
虐められる方が悪い」
と言っていた人間がいた。
その言葉を聞いた時に人として幻滅したのを覚えている。
理由はどうあれ、その経験をして来た人間なら絶対に口にしない言葉だからだ。
教師も含めて数百人が全員、敵に変わり
終わりがない地獄のような時間が休日も含めて、誰かに見られた途端に始まる事。
開放される日が来るかもという希望すら諦めてしまいそうな日々の繰り返し。
悩みを打ち明けるのは、弱みを見せること。
つまりエスカレートするだけの素材でしかない。
生気のない目になり、生きている事すら苦痛に感じる毎日。
家に閉じこもったところで俺の居場所はなかった。
その言葉を放ったのは教師だったが
その後、訳ありの子達が通うクラスを受け持って
「あの時の言葉は間違っていた。
必ずしも虐められる子が悪いわけじゃなかった」
と涙ながらに謝って来ていたっけ…
彼女はそのクラスで一体、何を見て何を感じて、その言葉が出たんだろうか?
何にせよ、1度放った言葉が重すぎた。
許すとか許さないとか、そんな次元ではなく、人の痛みを考えずにあんな事を平気で口に出来る人間性の方が、俺の中で強く根付いていたので関わりたくもなかったし。
むしろ興味すらなかった。
他にも初体験の強〇もフラッシュバックしてしまった。
両腕を押さえつけられて、布の切れる音まで鮮明に聞こえる。
怖くて泣く事すら出来ずに放心してその時間が終わるのを待った。
思い出すと震えが止まらなくなる。
性の道具として見る、あのギラギラした目。
薄ら笑いや荒い息すら思い出すと吐き気がする。
そして、交際していた相手の浮気現場を目の当たりにしたこと。
終わるまで待っていた間、もちろん音も声も全て隣の部屋から聞こえてくる。
そして、俺には見えていたんだ。
襖の向こう側で何が行われていたか。
見たくもないのに頭の中に流れてくるリアルの映像。
地獄でしかなった。
恋人と初恋の相手が…なんて一番見たくなかった光景だった。
俺が軽い男性が嫌いな理由の原点はこれらにあるのかもしれない。
他にも出会った人間には色んな人がいた。
2つも仕事をして寝る時間が3時間もない中、
俺の稼いだ金で風俗にも行かれた。
仮眠の間に財布の金も抜き取られた。
騙されて借金もおった。
他にも書ききれないほど、嫌な事が思い出しては消えて、思い出しては消えていく無限ループのようだ。
そして俺は人間が嫌いになって、人間不信にもなった。
人が、どれだけ自己満足だけで生きているか、自分の快楽のために、他人を貶めても平気な生き物なんだと思い知らされた。
見る人によっては、これが被害妄想に見えることもあるだろう。
ならば、俺と同じ経験を同じ年数してみればいいとさえ思う。
気をつけていても人生に絶望し、嫌でも人間不信になる。
これでも俺のは、軽い方なんだと思う。
命を絶たずに済んだのだから。
世の中には、その地獄に耐えられなくなって自ら旅立つ事を選ぶ人さえいる。
どうして人は同族を傷つけて、奪っていくんだろう?
知能を持ったからこそ生まれるものがあって、それは必ずしも良いことだけではない。
綺麗事なのも分かる。
1+1=2
そんな事は知っている。
その答えを聞きたくない時も人にはある。
必ずしも正論を知る事が正解だという訳ではないと思ってしまう。
それを受け入れる余裕がなければ、心が壊れるのを促進する時もあるんだ。
そんな話を読んだ。
正論が人の心を傷つけて壊していく話
ロジハラというらしい。
正論を言うことは悪いことでは無いと思う。
状況を見て相手を思いやる事も大切な気がするんだ。
全てに気をつけろとは言わない。
ただ、ほんの一言でいい、相手に敬意を払った言葉を添えるだけでも変わることだってあるんだ。
言葉って簡単に放てるものだけど、言霊として相手を守る事も傷つける事も出来るってことを忘れないで欲しいんだ。
何でもハラスメントになる世の中になって、日本人が得意能力として持っている
《相手を思いやる言葉》も、今や
《自分を守るための言葉》になって
『これを言ったら(やったら)相手は傷つくだろうか?』
という事を忘れがちな人を最近よく見る。
そんなのを見ると少しだけ寂しくなるだ。
それで落ちていたり、
傷ついている人を見ると尚更。
もちろん俺だって配慮しきれない時もある。
それでも相手の痛みは、いつも考えて言葉は選ぶ。
だって悩む人や苦しんでる人も、何も考えずに出る言葉では無いはずだもの。
相手を尊重すること、一度認めてあげることだって大切だと思うんだ。
誰しも簡単に生きているわけじゃない。
その人が人生の中で、沢山の選択して今の時間があること。
心臓発作や喘息の呼吸困難を経験して思う。
空気を吸って、物を食べて飲んで、
五体満足で歩けて、生きていく。
当たり前に感じる事は、当たり前じゃないんだってこと、俺は忘れたくないんだ。
記憶の断捨離にしても限度があるだろう。
俺は自分が可哀想だとかは思わない。
何故なら良くも悪くもこの経験があったから、今の俺があるのも事実だ。
そして乗り越えて生きてきたのも事実。
この中で学んだこと。
人の痛みを知ったこと。
今、生きていられること。
不器用でも、頭の回転が遅くて
語彙力にかけていても
人の温かさや繊細さ、痛み
そういうのは忘れたくない。
故意に悪意を持って、人を平気で傷つけるような心無い人間にだけはなりたくないんだ。
甘いかもしれないけど、俺に出来ることの数少ない一つだから。
僅かでも寄り添える人間になりたいと思ってるんだ。
綺麗事でしかなくて、綺麗事だけでは通用しない事も、生きていけないこともあるのも知ってる。
人の汚い所を見すぎたからかな?
これは俺の自己満足でしかなくて、エゴなのかもしれないね。
それでも、そうありたいという気持ちは大切にしたいと思うんだ。