スカートでお城・・・鎌倉時代の初めですが
平泉は高館義経堂に
珍しいです・・・私のロングスカート
・・・HPより抜粋
高館は北上川に面した丘陵で、判官館(はんがんだて、ほうがんだて)とも呼ばれています。
現在では、その半ばを北上川に浸蝕され狭くなっていますが、この一帯は奥州藤原氏初代清衡公
の時代から、要害地とされていました。兄・頼朝に追われ、少年期を過ごした平泉に再び落ち
延びた源義経公は、藤原氏三代秀衡公の庇護のもと、この高館に居館を与えられました。
地元で判官館と呼ばれているのは、義経が判官の位にあったことに由来します。
しかし、文治5年(1189)閏4月30日、頼朝の圧迫に耐えかねた秀衡公の子・泰衡の急襲にあい、
この地で妻子とともに自害したと伝えられています。
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確かに要害の地
上に上がるには急坂が💦
攻めるには大変そうです
松尾芭蕉の句碑
夏草や兵(つはもの)どもが夢の跡 ― 芭蕉 | nippon.com
芭蕉が夏に平泉の高館を訪れた時に詠んだ句で、野望を抱いた武士どもが戦いに敗れ去って
その跡には夏草が茂っている、という解釈が現在一般的です。
解釈はいっぱいあるそうですが、芭蕉が詠んだのは日本が一番平和だった江戸時代。
ほとんどの人が戦争をしらない時代には、やっぱり夢の址・・だったんでしょうか???
ところでどっこい、実は義経はここから北に逃げたという説があるそうです!
ここから青森県、蝦夷地まで点々と義経の足跡が残っているそうです・・・
真偽はともかく、昔は権力者(この場合は源頼朝)が政敵を倒すと「たたり」が
怖くていっぱい神社を立てて祭ったそうです・・・殺しておいてと思いますね💦
菅原神社、江戸期の秀吉を祭ったことなど・・・祟りを信じていた時代