バイク界のお正月
モーターサイクルショーの中止が発表されて
みんなしょんぼりだった週末ショボーン



でもね、こればっかりは
誰も悪くないから。


塞ぎ込んでても仕方ない!!


やれることをやろう
楽しめることを楽しもう!

というライダー精神から
こんなステキなハッシュタグが
生まれていたよキラキラ



そんなわけで
我らが《ライクアウインド》も便乗ルンルン



私も何か投稿できないかなって
過去の記事をあさっていたら

なんと
モーサイデビュー時の記事を発見びっくり

はじめて
大阪モーターサイクルショーへ行ったのは
第25回の2009年。

私は18歳で
右も左も喋り方も分からない
芸能界1年目だった。


毎日毎日
テレビや雑誌のオーディションを受ける中で

年間イメージガールとして
採用してくださったのが

バイク用品店《南海部品》だったのだ桜


そのときの愛車は
キティちゃんビーノ(原付)で
普通自動二輪免許は持っておらず

定位置はもっぱら
ママルンバのタンデムシート競馬


そんな折
大きなバイクの魅力を教えてくれたのが

モーターサイクルショーだった星


(その後、すぐに教習所へ音符)



あのときのトキメキが
こうして今に繋がっていると思うと
なんだかとっても感慨深いキラキラ


10年間、続けていて良かったな。


仕事がなく
アルバイトで食い繋いでいた時代もあれば

せっかく頂けた仕事を
力及ばず更迭されたこともある。

プロデューサーやディレクターから
ちびるほど叱られたこともあったし

番組や連載の打ち切りは
数知れず。


東日本大震災も経験した。

あのときの閉塞感は忘れられない。

私たちは無力で、
テレビに映る凄惨な情景を前に
ただただ涙を流すことしかできなかった。


震災とウイルス、
被害の性質は異なるけれど

政府が混乱して
情報が錯綜して
経済が停滞して
人々が疲弊して

このところ思い出すのは
あの日々のことばかり。


今でも
私たちは無力なのだろうか。

時が過ぎるのを
待つしかないのだろうか。


なんか。
もうちょっとできることがある気がするので
考えてみる!!


(まずは医療従事者や、スーパー・ドラッグストアに勤める人を労いたい。あと、どうしても仕事を休めない親御さんのお子さんをお預かりできたらいいのになぁ。さっさとチャイルドマインダーの資格を取っておくべきだった…)


とにもかくにも
まずは自分の心と体を大切に
よく食べ、よく寝て、よく笑うことおねがい


リポーターは
人と感動体験をつなぐお仕事だから

この状況でも安全に楽しめる
コンテンツやアクティビティを見つけたら

どんどん発信していこうと思うよぉキラキラ


ということで。
私のリポーターデビュー戦をどうぞ下矢印



上矢印誰でも最初は初心者なのだ!(←たいして成長していないのが問題…)