安倍首相の米国上下両院での英語による演説は、実にみっともないものであった。
恐らく英語と表現の特訓を受けていたのであろうが、たどたどしい英語におかしなイントネーションと間の抜けた「間」、更にタイミングの合わない表情と身振りは丸で出来の悪い腹話術の人形のようなものであった。
自分自身が英語で考え、作った原稿ではないことが明らかで、見ていて恥ずかしいものであった。
一方思い返せば、国連でのマララさんの演説は、同じ”英語を母国語としない”人間であるにも拘わらず、実に心に沁みたものである。16歳の彼女は原稿も見ずに堂々と英語による表現力を発揮した。
一国の首相によるお粗末なパフォーマンスは、国の品位を貶めたと言ってよいだろう。勿論、米国の一部政治家はそれを知りつつも、すり寄ってきた安倍首相の演説を心にもなく称賛したのであろう。