https://www.youtube.com/watch?v=pD0yVNFX30s
感動した。
こんなチンケな私なんかと比較されると、おそらく多くの女性ローランダーが「黙れブス」と言ってくるだろうが
言わせてくれ。
2点、感動したことがある。
1点目は「強気に行ったら、強気にいってもしょうがないよねこの実力だったらって言わせる義務が生じる」
2点目は「悔しい感情はネガティブかもしれないけどメチャクチャ燃える」
この2点だ。
今私は、25歳にしてプログラマーを目指している。理由は2点
1点目は「自分の力で稼ぎたい」
2点目は「金持ちになりたい」
簡単な理由だし決意するのにもそこまで時間がかからなかった。
でも、この歳になるまでずっとフリーターをしていた。ってかニートも同然の生活をしていた。
今もしているんだけど、家に数万の生活費をいれ、あとは自分に必要なお金だけを稼いで生きていた
なんも将来のことなんて考えずにずっと生きていたし、このまま30歳になったら漠然と俺って死ぬんだろうなって思っていた。
でも要約手にした明確な人生設計図。めちゃくちゃ頑張ろうと思って、それなりに頑張っている。
いや、それなりにしか頑張れていない。
この年齢でやり始めたというアドバンテージがありながら、学歴も職歴も経歴も何もない私が、
それなりにしか頑張れないなんて、、とコロナショックにプラスで精神的に落ち込んでいたのだ。
「やるからには日本一やると決めているんだ」という、武井壮の言葉も大好きだ。
でも私は、日本一どころか、今住んでいる地域で多分平均より少し上くらいの努力しかしていない。
「バカが成り上がるには努力の母数、本当それしかないよ」というLimの竹花社長の言葉も好きだ。
でも私の努力の母数なんて、たかが知れている。
そんな私にも、この短い生涯の中で一番頑張ったことがあるんだ。
それは「高校受験」
私は小学5年生から塾に通っていて、それなりに成績も出すことができていた。
偏差値で言うと60半ばくらいだから天才ではないんだ。
教科書見て、授業聞いて、ノートまとめるだけで100点満点近い点数出すやついるだろ?
私はその類ではなく、「努力の母数」で成り上がった、圧倒的凡人タイプ。
でも人から注目されるのが好きだが、注目されるスペックを今まで持っていなかった私は、
爆発的にテングになった。調子に乗った。「俺、勉強だけは天才レベルだから」と。
でも憧れたのは天才。天才なんだ。ヤンキー漫画系のなんて言うか、普段はとぼけているのに本番はめっちゃ強い
みたいなのに憧れていた俺は、授業態度は最悪だった。寝るか喋るか授業妨害するかだった。
授業を抜け出すことはなかったけど、「え?先生こんなのしなくても俺点数取れるもん」的なこうなんていうか、
鼻につくタイプの生徒だったと思う。授業中にわからないことがある生徒の質問を受けるのは先生ではなく私だった。
自分のことはほったらかしで、人に教えるというなんて言うか、鼻につくよね笑
でも自分が学校で勉強をしている姿だけは一切見せなかった。家に帰ってからはもう塾のテキストを開けてひたすらもう勉強。
毎日塾に通って(授業のない日も)もう勉強をしていた結果、中間・期末・実力テストでは平均点は3年間で9割を超えていた。
ただ、5教科はね、、、
副教科と呼ばれる科目の点数は全く勉強しなかったから欠点だらけだった。
5教科も点数がよくても提出物出さない授業態度悪いで内申点は低かった。
私の時代の公立の高校受験って内申点が半分くらい占めてるの。そのくらい大事な内申点で私はこけていた。
で、高校受験のレベルを落としたと思う?
見栄っ張りの私が出した決断は、「上から2番目の高校ならなんとか入れそうだ」だった。
親、教師からは猛烈に反対された。「あなたが受験のテストで100%の点数を叩き出したとしても落ちる」と言われたくらい
内申点が酷かったのだ。
ただ、受験に詳しい(今となっては嘘か誠かわからないけど)先生の話だと、受験の点数で8割5分をとったら受かると言われていた。
受験の8割5分って私の地域の一番レベルの高い高校の受験の点数の平均点よりは高いのだ。だがしかし、私はここで「強気」に出たのだ。
「絶対受かってやるみとけ。」周りにもそう宣言をして「俺、〇〇高校行くから」と。
私と仲の良かった人たちは志望校を全員知っていたと思う。私はそれほどまでに宣言していたからだ。
あくまで「強気」のスタンスを崩さなかったが、その当時の実力では8割ぎり届くか届かないかと言うレベルだ。
偶然にも数学と英語の出来は大変優れていたのでそこは9割近い点数を過去問で出すことはできていた。
理科社会も8割5分程度は取ることができていたが、問題は国語だ。
あれはどう勉強したとて、答えがいつもバラバラだ。文章の中に答えがあるもんだから事前に勉強する方法がないし、最悪なことに
文章問題が強烈的に苦手だったのだ。中学入ってからは結構勉強したので大分マシにはなったとはいえ、模試では7割が平均だった。国語だけで1.5割も足をひっぱているのでは落ちるのは目に見えていると思ったのだが、ここで親の言葉と教師の言葉が目に浮かんだ「お前が受かるわけがない、はやく現実を見て志望校を下げなさい。」この言葉が悔しすぎて、「見とけよこのやろう、絶対に実力つけてやる」と臨んだのが、理科社会で9割5分を取ることだった。その時塾からもらっていた理科社会の一問一答形式のテキストがあった。理科社会合わせて約2000問あったのを覚えているが、これを完璧に覚えれば9割5分を取れるだろうと踏んだのだ。この勉強だけではなく数学や国語と英語の勉強も続けてやらないといけなかったので、これもこなしながらこの分厚すぎるテキストの暗記にも臨んだ。でもその原動力は「悔しいというネガティブな感情」だったのだ。これを決めてから学校では寝る時間が増えた。なぜなら夕方5時から10 時まで塾でノンストップで勉強をし、家に帰って晩御飯を食べて11時から朝の5時まで仮眠を取りながらも家で必死に勉強していたからだ。親に勉強しすぎで怒られたのはきっとこの学校では私だけだっただろう。
そしてこのペースで2〜3ヶ月勉強を重ね、最後に挑んだ模試。「ああ、ここで実力を見せつけることができたならば、要約認められるんだな」という思いでシャーペンを持ち、解答用紙に名前を書いた。そして出てきた結果はその塾で一番高い点数を叩き出したのだ。9割は届かなかったが8割5分を超えていて、これが本番だったら志望校に受かっていたとまで言われた。
だが結局私立に行くお金のこともあったのでランクを下げて進学校で家から近くてサッカーができる場所を選んで高校に行ったのだが、この時は本当に人生で一番がんばったと思う。
その時の原動力が紛れもなくローランドが本日のYOUTUBEで言ったあの2点なんだ。
懐かしい気持ちと、今なくしていた思いを蘇らせてくれたありがとうローランド。ちなみに俺か俺以外も読んだよ。
劣等感抱えてまだ生きているけど、自分の本当の自信を持って生きていけるように、日本で一番優秀なプログラマーになるよ。
日本一がんばるよ。強気で生きていくよ。これからは。ありがとうローランド
もうこれを本当本人に爆裂的に伝えたいよ。