ジョン・万次郎は通訳としても活躍したらしいが、影響は著した書物にあったようだ。同じ土佐ということで坂本龍馬に対する影響を指摘していた。その他吉田松陰や佐久間象山などへの影響も指摘してあったが、どうやら確実でもなさそうだ。ただ一介の漁師が遭難して外国へ渡ったことは大きな話題になったことだろう。吉田松陰も渡米を企てて、逮捕され入牢することになった。影響なしとは言えないだろう。番組を見ていて物足りなかったのは、70歳以上まで長生きした万次郎の事が、あまり描かれて無かったことである。帰国したのが20代半ばである。どんな人たちと交流があったのか、幕府での待遇や土佐での扱いや、明治になってからの生活など知りたいことがあったが、最後に60代で鯨取りをしていたのではなかろうかという、万次郎の子孫の話で終わっていた。開港してからは万次郎の経験は貴重なものにはならなくなった。一時期もてはやされたが、そのうち忘れ去られた存在になってしまったのか。英雄の選択も、万次郎が帰国するか、アメリカに残るかの選択だった。法律家の山口真由氏が唯一アメリカに残った方が良かったのではないかと言っていた。「冒険者号」に乗って帰国するより、アメリカに残ってどんな働きをするか見て見たかったというのは、逆に言うと日本では思ったよりも活躍できなかったということか。

 「英雄たちの選択」は次に「徳川家康 金銀王への道」というのを見た。昨年の大河ドラマ「どうする家康」は、様々な毀誉褒貶があったが、私は新しい見方を提供してくれたと面白かった。個人的には織田信長が一番好きだが、山岡荘八の「徳川家康」以来経営者やリーダー達にはよく読まれたらしい。徳川時代が酷い時代だったにならないと、討幕を実行した明治の新政府はその正当性が揺らぐことになる。「士農工商」と身分差別が酷く、部落差別も酷かったとされている。その江戸幕府を開いた徳川家康はその強引な豊臣家潰しもあり、人気がなかった。太閤人気の方が高かった。近年江戸時代の事が見直されて、平和な時代が260年余り続いたとして、その平和の礎を築いたとして、徳川家康の再評価がなされているようだ。

 ポルトガル商人が種子島に漂着して、2丁の鉄砲が伝わったと、学校では習った気がする。1543年の事であるとされている。

武器として優秀だとわかるとすごい勢いで普及するのは、今も昔も変わらない。時は戦国時代だったので瞬く間に日本全国に普及したようである。「英雄たちの選択」では、ポルトガル商人の渡来は偶然ではなく、交易の為だったと言っていた。鉄砲も銀との交換で商品として売られたものだったと。この頃は鎖国などではなく、南蛮貿易も盛んだったようである。既に「ジパング伝説」はヨーロッパでは有名になり、東へ東へと大陸伝いに進出していた。もうこの頃から植民地政策みたいなものを取っていたところもあったようだ。「石見銀山」に代表されるように、日本はシルバーラッシュに沸いていたようだ。銀の発掘のついでに金も掘り当てる感じだったのかな。武田の軍事力の背景に甲州金があるとは聞いていたが、徳川家康も狙っていたそうである。関東への転封はようやく手に入れた甲州金を逃がしてしまうことがショックだったと、番組では紹介していた。豊臣秀吉は金山銀山の直轄も目指したが、直轄できない場合は、上納金を迫ったようである。毛利氏の強さも「石見銀山」あっての事のようだ。火器がふんだんに使用されるようになると、鉛や硝石などを手に入れないといけない。国内では調達が難しく貿易に頼らないといけない。世界は銀が商品交換に用いられるようになったので、銀の需要が増えたのである。一時期「石見銀山」は世界の産出量の3分の1を占めたそうである。ようやく東方の島国日本が豊かになるきっかけになったそうである。

 徳川家康の選択は、スペインからの銀山採掘の技術提供と交換に、採掘した銀の4分の3を渡す事であった。もう一つはキリスト教の布教の許可であった。豊臣秀吉はキリスト教を禁止したが、徳川家康はどうするかである。

 いったいいつからであろうか。西洋の白人が自分たちの方が優秀な人間だと勘違いし始めたのは。十字軍の遠征の頃からであろうか。モンゴル民族の支配から抜け出したころからであろうか。「力は正義なり」を信奉する白人が多過ぎるように思う。東洋では「王道を目指す」のがトップの在り方だったように思う。21世紀にもなって「力は正義なり」や「金こそすべて」みたいな思想と言うか風潮が蔓延している。日本人は必要以上の利益は人の道に背くというような、資本主義社会とは思えない心根が残っている。敗者の美学が息づいているように思う。「花は桜木、人は武士」どちらもパッと咲いて、パッと散るのである。

 豊臣秀吉は大陸進出に夢を賭けた。徳川家康は内政の充実に努めた。徳川家の発展継続を図った面もあるが、二度と戦争が起きないようにした工夫もあった。そして皇室も存続させた。歴代の武家政権は実権は幕府に、権威は皇室にしてきた。二重構造と言えば言えるのであるが、二重構造そのものが悪いとは言えないと思う。

 明治維新で良かったことの最大のものは「四民平等」だと思っている。次に「版籍奉還」であると思っている。武力による反抗は「西南の役」で終わった。悪かったことは「権威と権力の一元化」である。天皇に大権を与え過ぎた。薩長特に薩摩は「天皇を最大限に有効活用」しようとしたようである。天皇の権力の一部を拝借して、軍部が暴走することになった。明治憲法も大正時代には改憲すべきだったのかもしれない。