共産主義思想を与えられた教育は高校で終わった。現役で大学に進学したら1970年だったので、色々大変だったかもしれない。随分と今の人生とは違ったものになったであろう。1970年、昭和45年は自宅で浪人をしていたが、もちろん予備校など行けるはずもなく、バイトをしていたが、いつもバイトがあるわけでもなく、結構麻雀やボーリングなどをやったものである。ソフトテニスの方も、高校の方には顔を出しにくくなったので、中学校の方に顔を出して、練習と言うか、遊びで打っていた。まあのんびりした浪人暮らしであった。ケースワーカーの人に言われて、肉体労働のバイトもやったりしたが、1,2ヶ月でやめてしまったので、とうとう生活保護は打ち切られてしまった。当時はまだ実感できていなくて、私自身は平気であったが、母親は大変だったろう。後に母親の年収を知って愕然とした覚えがある。自転車操業もいい所だったようである。借金が次第に膨らんだようであるが、あまり生活が苦しい話はしなかった。私のバイト代は自分自身の収入として、自分の小遣いになっていた。職業安定所の紹介の工場での仕事は、1日1000円で、運転手の横に乗っての助手みたいな仕事は、1050円だったと記憶している。ここでの収入は何か母親に渡した記憶があるが、あまり記憶に残らないような出来事だったのかな。ここをやめて、生活保護を打ち切られてしまった。次にしたのが、母親の紹介で家庭教師だったが、5人いたので先輩に頼んで二人でする事になった。高校生4人と小学生1人である。先輩の部屋で授業をしたので、まあ簡単な塾みたいな形になった。数学が私で、先輩が英語を教えた。小学生は算数と国語だったが、5年生だった思うが、なかなか掛け算の九九が言えなかった。しかし彼は足が速かったらしく、陸上で大学進学を果たしたと後年母親に聞かされた。「芸は身を助く」ではないが、やはり一芸に秀でた方がいいのだなと思った。4人の高校生は男子1人と同じ高校に通う女子高生3人だった。男子は別の進学校に通う優等生で、入学直後のテストで20番ぐらいになったのかな、すっかり自信を無くしてしまったので、家庭教師にということだった。中学校ではほとんど1番で3番にはなったことがないらしい。先輩が英語を教えていたが、高1ならば教える必要はないと言ってきた。私の数学も教科書レベルではほとんど完璧で、問題とするならば少し解くスピードが遅いぐらいであった。女子高生がいるので、少しやりにくくはあったので、男子高生は断ろうとなった。4人をしばらく教えていたが、1人の女子がやめると言い出して、他もやめると言い出して、全員辞めることになった。最初に言い出した女子は英語も数学も2番目で、あまり褒められることがなかった。後で反省したが他の女子は褒めたのに、あの子はほとんど褒めなかったなという結論で、やめる動機を勝手に推測してしまった。

 昭和46年に上京したが、学園紛争は下火になっていた。ソ連のプロパガンダで、ソ連は成功していると聞いていたし、毛沢東の「文化大革命」も成功していると聞いていたので、共産主義思想はまだまだ力を持っていた。日本国内では連合赤軍の内ゲバや浅間山荘事件などを契機に、沈静化していったように思う。その後「文化大革命」の内実が流れてくるようになり、決定的なのはやはり「ベルリンの壁崩壊」であろう。社会主義国家の崩壊である。公務員や政治家の汚職腐敗堕落は、人の世に付き物とは言え、あまりにも多かった。革命は失敗したのである。維持発展が出来なかったのである。

 最近江戸時代がなぜあんなにも長く続いたか考える。江戸時代が長く続いたデメリットもあるが、メリットも大きかった。そのことがあまり報じられれて来なかった。最近ではようやく5代将軍綱吉公が評価され始めた。「水戸黄門」や「赤穂浪士」のせいであろうか、愚鈍な将軍とイメージであったが、実は学問好きの名君ではなかったかということになりつつある。「赤穂浪士」の事件で一番の問題点は「片手落ち」にあったと思う。浅野内匠頭が切腹になるのは当然だったと思う。当時の世相では。しかし吉良上野介の処分があまりにも軽すぎた。ドラマでは綱吉公の意向というより柳沢吉保の意向が強かったになっているが、どちらにしても当時の世相では「喧嘩両成敗」である。今では一方的に被害者と加害者を設定して、加害者を闇雲に非難するが、昔は被害者にも落ち度があったとする考え方が、一般的であった。いつの頃からであろうか。これも又戦後教育の賜物と思っている。共産主義思想を始めとして、欧米の思想のせいであると。「権利と義務」という考え方も、権利の主張ばかりが言われて、義務の事がなおざりにされている。義務を果たして後に権利が生じるという考えは古いのであろうか、間違っているのであろうか。高校2年の「倫社」の時間に「天賦人権説」を聞いた時は、「なんて欧米人は傲慢なのだ」と思ったものである。私は今でも「人権人権」と叫ぶ人間を信用していない。「人権」とか「差別」と叫ぶ人間はその後の自分の利権を考えていると思う。「被害者の人権」なんて本気で考えていない。単なる言葉の武器でしかない。

 江戸時代の公務員はほとんどが武士である。地方公務員に相当する大名の武士たちは、大半が生活が苦しい。江戸時代中期以降は暮らしの上では農民や町人よりも苦しい生活を余儀なくされていた。共産主義思想では武士階級は搾取する側で、農民は搾取される側なので、武士が悪者になっているが、百姓町人の為に生涯を捧げた武士は沢山いたのであろう。公務員である武士は「公僕」ではなかったが、その職責を全うした人は多かったのではなかろうか。おそらく身贔屓かもしれないが、その時代のどの地域よりも民主主義的社会が実現していたのではないだろうか。260年間も続いたのは、やはり平和愛好者が増えたせいであろう。百姓町人の間で「お伊勢参り」が大流行したそうであるが、それだけの豊かさと、環境整備が有ったからだろう。

 共産主義思想で引っかかるのは「必要に応じて分配する」である。この点において「是」としたいところであるが、分配する公務員が問題である。民主主義政治において大事なのは、「健全で良識ある市民の育成」である。学校は兵士養成の場だけではなく、健全な市民の育成も目的であった。アジア・アフリカで民主主義が根付かないのは一つには学校教育の普及が不足していることもあるが、有権者としての自覚もあるのではないだろうか。

 民主主義政治を最善としている偉人賢人は少ないと思う。民主主義政治を成立させるためには、幾重にも条件整備が必要である。「平等」の名の下に、「自由」の名の下に、その条件整備を妨害する輩がいる。そういう輩は日本が立派な国家になってほしくないのだから、無茶苦茶の事を言う。困ったことに、それが本気で世界の為と思っている節が有ることである。共産主義思想を信じているのである。やはり宗教と同じである。今ではどうだか知らないが、自民党幹部以上に共産党幹部に東大卒が多かった。オーム真理教の幹部に高学歴の信者が多かったことが話題になった。知性豊かな人間が知性に限界を感じると、結局は信じるか信じないかになってくる。昔のお坊さんも知性豊かな人ばかりである。最後信じるか信じないかである。困ったことに「信じる力」は強いのである。キリスト教がこれほど長く信じられるのには、やはり理由があるのであろう。宗教教育の充実があるのではないだろうか。豊臣秀吉がスペインの宣教師を弾圧してから、日本人に取って最大の敵(?)はやはりキリスト教を中心とした欧米の思想であろう。どこまで適切に吸収して、どこまで日本風を残していくか、もう正念場は過ぎているかもしれないが、日本的なものが世界を救うと大きな声で叫ぼうではないか。欧米の思想では世界は平和に統一することは出来ないと思う。ウクライナ問題もパレスチナ問題も全然悪化するだけで解決には至らない。宗教によらない解決策を考えるべきであろう。