小学生の頃「人間の条件」という映画を見た。長い映画で途中眠ってしまっていた。夜中に上映していたように思う。あとで調べたら約9時間半の上映時間だったらしい。寝るはずである。終わりの方で目を覚まして、梶上等兵が行倒れとなって、その上に雪が降り積むというエンディングだったと記憶している。満洲という設定だったと思う。母に連れられて見に行ったような気がする。母と一緒に見た映画などは無かったので、小学校入学前はあったかもしれないが、小学生以降はないと思う。TVで一緒に映画を見ることは多かったが、映画館で見たことは無い。母の最初の夫は関東軍だったので、満洲の地で戦い戦死したわけである。軍隊生活なども描いていたので、母としては辛かったであろう。ハルビンまで会いに行った話は、何度か聞いたことがある。

 戦後のまだ15、6年しか経っていなかったと思うが、その時期によく作られたと思った。その後加藤剛主演でTVドラマが作られたと思うが、我が家のTVでは映らなかった。NHKの総合と教育の二つのチャンネルの他はRKK熊本しか映らなかった頃である。福岡よりも熊本の方が近かった町である。

 「日本人の条件とは」とタイトルをつけたが、簡単に言えば「日本国の国籍を持つ者」ということになろう。「日本人らしさ」などと言えば、誹謗中傷が雨のように降ってくるのであろう。「何々らしさ」は今や死語ではなく、禁句になっているようだ。しかし「国体の護持」を考える上では、やはり「日本人らしさ」は必須のように思える。国体の護持=天皇制の堅持というようなことをいう人もいるようだが、縄文人を日本人のルーツと考えるならば、皇紀2700年足らずの天皇家は「国体そのもの」とはいいがたいかなと思うのである。半島からの侵略者の子孫という考え方もあるようだが、現在の皇室は「日本という国家の体現者」とも言えるのである。狩猟、採集、栽培、養殖を生業としていたのだろうと考えられる縄文人は1万年以上続いたと考えられる。太古の昔から日本列島は「海幸山幸」が溢れる地域であったのであろう。1万年以上続いた理由は、やはり食糧に恵まれていて、争いごとが少なかったのが大きいのではなかろうか。女尊男卑とまで言わないが、戦争がない所では男性は尊重されない。働き者の女性が大事にされるのである。今でも未開民族では男性が狩猟を担って、大きな獲物を仕留めると称賛されるようだが、永続的ではないようだ。少なくとも縄文時代では母系社会だったことは間違いがないようだ。男手が必要な時に重宝する男が好まれたものと思う。「ヒューマニエンス」を見て知ったのであるが、出産の時大声上げて産まれてくるのは人類ぐらいらしい。他の動物に襲われるので、秘密裏に出産するのが普通の事らしい。未熟児で産まれてくる赤子の世話をするのは姉妹や伯叔母をはじめとする地域共同体の女性たちらしい。出産は女性にとって生死を分かつ一大事業である。男性は文字通り蚊帳の外である。食糧があり、争いもないと、何代も続くようである。縄文時代はそのようにして1万年以上続いたのであろうか。

 ところが西の方から変化が起きてくる。簡単な採集や栽培程度だったのに、本格的な稲作農業が普及してきたのである。縄文時代は基本は良さそうであるが、天変地異には弱い。豊かな食糧も乏しくなる時がある。あまり人口は増えなかったと思われる。有るもので生きていかなければならないのだから。恐らくその頃から物を大切にする心は養われたであろう。

 本格的な農業の導入は様々なものを生み出した。良いものもあろうが、悪いものもあったであろう。良い点は大勢の人間が暮らしていけるようになった事であろう。食糧の大量生産が可能になったので、人口は急速に拡大したであろう。悪い点は貧富の差が生まれたことであろう。争いごとが増えたと思われる。有力な一族が豪族化したのではなかろうか。天皇家もその豪族化した一族ではなかったろうか。おそらく数千年の間は東日本と西日本はそれぞれに発展したものと思われる。そして西日本を統一した「大和朝廷」は東日本に手を出していったのであろう。寒冷期に入っていた当時は、わざわざ攻め入るメリットは少なかったと思われる。いつの時代でも戦上手な一族が勢力を拡大していく。男性は力の見せ所はやはり戦場であったから、争いを求めて進んでいくのである。「東征」の物語が作られるのである。関東や東北が大和朝廷に支配されるようになるには、かなりの年月を費やしているようだ。「古墳時代」と言うか「大和時代」と呼ぶべきかはよくわからないが、6,7世紀までは大陸や半島とも交易があったようである。大和朝廷の支配が及ぶ地域も存在していたようだ。しかし「白村江の戦」で半島から追い出されて、逆に攻め込まれる心配をしなければならなくなった。太宰府が設けられ、水城なども造られた。「防人」を東国から徴収したりした。「徴兵」と呼ぶべきかな。東国と言っても現在の東北地方はほぼ手つかずである。8世紀末に平安京遷都がなされる。約400年の平和が続くことになる。(つづく)