私がオリンピックを意識するようになったのは、1964年の第18回東京五輪からである。中学1年生であった。既に我が家にもTVがあったので、TV観戦である。録画機能なんて付いていない時代なので、見たのはすべて生中継だったのであろう。大松監督率いる女子バレーボールは金メダル候補であった。無事金メダルを獲得した時は安堵したものである。「東洋の魔女」と彼女たちは呼ばれていた。柔道は全階級金メダルが至上命題みたいになっていた。神永五段がオランダのヘーシンクに敗れた時は、日本柔道が敗れたみたいになった。無差別級の優勝者が真のチャンピオンという風潮だったので、余計にそう思われたのかもしれない。「柔よく剛を制す」ではなかったのである。「姿三四郎」や「柔道一直線」などの漫画やTVドラマの影響もあり、中学入学時の私の入部希望は実は柔道部であった。しかし残念ながら柔道部は廃部か休部になっていた。重量挙げやレスリングも絶対的な金メダル候補がいた。60年前だったから、今以上にプレッシャーは大きかったと思う。マラソンで銅メダルを獲得した円谷選手が、次のオリンピックのメキシコを目指していたが、自殺してしまった。オリンピックの重圧を感じた出来事であった。

 今回のパリ五輪で日本は金メダルを20個獲得して、アメリカとチャイナに次いで第3位であった。しばらくは日本の各地で凱旋パレードが続くであろう。日本人の気質を「熱しやすく、冷めやすい」と言ったりするが、素早く普段の生活に戻らないといけない感じなのであろう。東京五輪の時中学生だった私も、今では70代の高齢者である。随分とオリンピックに対する見方も変わった。どうしても背景を考えてしまう。柔道の誤審問題も国際柔道連盟と日本柔道連盟の確執を考えてしまう。技あり以上でないとポイントにならないのは、日本の柔道に近い方であろう。指導の内容については、まだまだ一考する余地があるが、日本の理想の柔道に以前よりも近づいたように思う。

 どうもPCの調子が悪いようだ。ここで終わりたいと思う。