姉とは一つ違いである。小中高と同じ学校を卒業した。先日二人でおしゃべりをしていたら、先生の話が出た。小学校の時のH先生はバリバリの日教組の先生だったよね、という話しになった。評価としては真面目で厳しい先生だったという話しになった。私は郷土の歴史を教える授業で、元寇の際の対馬や壱岐の住民に対しての元軍の残虐行為を話してくれた授業が印象的だった。鎌倉武士の活躍などは話してくれず、戦争の残虐さが印象に残った。「神風」によって、元軍は撤退したという話しであった。まあ運よく災難を逃れたという感じであった。この時の話が後年までずっと残っていた。大河ドラマで「北条時宗」が主人公のドラマを見るまでは、このH先生の話が色濃く残っていた。40年近く残っていたことになる。「元寇」は「神風」によって、運よく救われたと。「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものである。小学校時代の「歴史認識問題」は深刻である。

 次に話題になったのは中学校時代の「地理」のS先生だった。姉も「私がわかるぐらいの、日教組の先生だったね」という話しになった。二人の女教師に共通するのは、真面目で厳しい先生であるということだった。姉に言わせると知的な先生というイメージである。重信房子や永田洋子の名前が出て、本当にガチガチで真っ直ぐに突き進みがちだねという話しになった。私は田嶋陽子氏の名前も出そうとしたが、やめにした。姉も「ヨウコ」だからである。昭和10年代から20年代には「ヨウコ」の名前が多かったなと思った。そして私が知っている年上の「ヨウコ」は大体頭が良かった。そして左寄りが多い気がした。もちろん偏見であるが。「オノヨーコ」を思い出したりした。

 高校時代になると「倫社」の先生で「赤ちゃん先生」とあだ名されていた。こちらは男の先生であった。西洋の思想史を多く語ってくれた。私にとっては印象深い先生であった。1960年代に教育を受けた世代は、左翼思想にかぶれるのは当たり前の時代であった。私にとっても「能力に応じての分配」と「必要に応じての分配」ならば、やはり「必要に応じての分配」に軍配を上げる。「能力に応じての分配」ならば、平等ではなくなる。貧富の差が出るのは当然である。「必要に応じての分配」ならば、一応公平と考えられる。障碍者などの人々にも分け隔てなく、必要に応じて分配されるわけである。「福祉政策」としては、最良の形ではないかと考えられる。高等教育を受ける人々にとっては「能力に応じての分配」が自分たちにとっては有利である。しかし「道徳的ではない」と感じるのである。優れた能力は貧しい人や障害のある人や能力に劣る人などを助けるために使うべきではないかと考えるのである。「日本人」のお人好しと言うか「倫理的」と言うか、「道義的」と言うか、そんな心情にもピッタリ来たのではないかな。「60年安保」の時は、大学生以外の人々も多く参加したが、「70年安保」の時は、大学生や一部の進学校の高校生などが活動家として、活動した。中卒高卒の社会人は、結構白い目で見ていたのではなかろうか。「正義は我にあり」ではないが、極左集団になっていったのではなかろうか。ノンポリの人々は、「賛成は出来ないが反対も出来ない」と言う人が多かったのではなかろうか。どこか「後ろめたさ」を感じつつ、自分の好きなことに没頭しようしたのではなかろうか。私が言う「思想は左翼だが心情は右翼」という若者は多かったのではなかろうか。何か不完全燃焼の思いで、髪を切って就職した若者が多かったのではなかろうか。ところがこの人たちは、俗に言う頭が良かった。試験に強かったのである。連合赤軍やその他の事件で、もうついていけないと思った若者は70年代前半次々と就職していったのである。公務員試験や教員採用試験、岩波書店や朝日新聞社などを受けて、合格していったのである。何せ高学歴の大学生が多かったのである。後に「オーム真理教」の信者に高学歴の信者が多かったことに驚かされるが、一度信じたらまっしぐらであったのであろう。知性が低いから宗教の信者になるのではない。最高の知性が仏教徒やキリスト教徒やイスラム教徒になるのである。代表的なのはユダヤ教徒であろう。2千年も続いているのである。意味があるのであろう。「近代の知性は懐疑から始まった」とも言われるが、ユダヤ人の科学者が良くも悪くも近現代を引っ張っている。

 ちょっと脱線しかけているので元に戻す。「文化大革命」の時はまだ気づかなかったが、流石に「天安門事件」の時は、やはり「中華人民共和国」はおかしいと思ったと思う。「ベルリンの壁」が崩壊して、ソ連の情報が西側にも流れ込んで、どうやら共産主義国家はとんでもないということになった。情報操作が激しく、共産党内部の腐敗汚職はどうやら体制からきているようだということになった。中には弁護する意見もあった。たまたま間違えただけである。「ソ連共産党」と「中国共産党」が間違ったので、「共産主義社会」が間違ったわけではない。しかしスターリンは多くの人民を殺している。歴史上最も多くの人間を殺した人と言ってよいのではないかということになった。毛沢東はスターリンの次に殺している。今でも毛沢東を信奉する人々はいる。殺した人々の何倍も多くの人々を救っているという理屈である。現在ロシアではスターリンの再評価が盛んにされているそうである。ソ連をアメリカと並んでの超大国にしたというのである。今のロシアはその恩恵に浴しているという理屈のようである。物事には複眼的な見方が必要であるというが、やはり限界があるであろう。

 さて日教組の組織率が7,8割あった頃に小学校で戦後教育を受けた世代は、家庭環境もあるであろうが、多かれ少なかれどっぷりと影響を受けたものと思われる。昭和10年代後半から20年代30年代前半までは、かなりの影響を受けたと思われる。その後は地域差もあるだろうが、日教組以外の先生たちの影響もあり、少しばかりバランスが取れて来たのではなかろうか。共産党は思想犯には牢獄に入れて洗脳教育を施すようであるが、今の日本ではそんなことは出来ない。悪いとわかっていても、現実に犯罪を犯さない限り逮捕することも、罰を与えることも出来ない。何せ日弁連がついているのである。殺人犯にも人権があり、死刑囚にも安らかに死ぬ権利があるそうだから、たまったものではない。オーム真理教の死刑囚にも、死刑宣告を下したり、死刑執行をするのはどうやら罪のようだからな。今問題になるのは、戦後の日教組の教育を受けて育った世代が、祖父母や両親の世代になっていることである。私の周囲にも「迷惑をかけたくない」と言っている人が多い。私の埼玉の友人は「迷惑をかけていいだろう」と言う。最近の葬儀では「親族だけで執り行いましたので、香典の類はお断りします」というのがあったりする。弔問お断りであるである。亡くなった人は親族だけの人間ではないと思うのだが。ことに晩年独り住まいで、近所の人や昔からの友人知人と仲良く暮らしていた人が、亡くなって、遠くに住んでいた子どもが勝手に家族葬とやらをやって、まるで孤独の内に死んだかのような葬儀は気の毒で成らない。友人は「貧しくなったからだよ。葬儀の費用にあまりさけないからだよ。そして周囲にあまり親戚が住んでいないから、簡単に済まそうということになる」と言っていたが、「親戚は泣き寄る」と言って、葬儀や法事は親戚として当然なことだと考える。確かに面倒なこともあるが、理屈を言って避けるべきものではないというのが、従来の考え方であった。旧民法と言うと明治憲法下を指すことが多いが、その前にずっと長い伝統文化があったわけである。西洋化を急いだ明治政府は欧米の法理論を採用してしまった。欧米列強に吞み込まれないように、欧米の真似をしたのが明治以降の政府である。間違っていたのである。GHQは正当化するために色々な手段を尽くした。「国体の破壊」である。一番の根幹は「伝統的な日本の家族制度の破壊」である。アメリカなどは伝統などはないのだから、良し悪しなどはわからない。差別意識も旺盛だから、自分たちの考えを押し付けるのに躊躇がない。「正義は我にあり」だからである。「優勝劣敗」思想もある。「勝者」が絶対である。1940年代はアメリカは「我が世の春」であろう。思想の実験もしたのである。そして厳しい思想統制、情報統制をしたのである。それに乗っかったのが、現在のマスメディアである。新聞・ラジオはGHQの言うがままである。そして日本人の洗脳を施したのである。弱っている時に甘い言葉をかけられると、コロッと騙される。ただでさえ日本人は騙されやすい体質を持っているのである。「噓をつけない民族」なのである。少なくとも良心の呵責に苦しむタイプが多いのである。日本の伝統文化にしっかりと根付いている性質なのかもしれない。「噓がつけないので黙っている」のが、戦後の風潮になったのだろう。大声で叫ぶ者が目立つようにはなるが、芯から賛同しているわけではない。左翼の時代は終わったのである。しかし保守派には様々である。今の自民党を見ても、「親中派」もいれば、「親米派」もいる。「親日派」と言ってもいいだろうが、日本の伝統を守るとか言うと「極右」と言われてしまう。日本は伝統的に中道が好きなのである。儒学に「中庸の徳」を讃える考えがあるが、日本人には割とあっていたのであろう。あまり事を荒立てたくない心理が働く。「空気を読み過ぎる」のである。「忖度」の文化である。さてこの先、どこに進むのであろうか。