私は高校の国語教師であったが、3年生の担任も7度経験した。教師の仕事は多岐にわたるが、免許は国語の免許だけである。大体中学の免許も持っていることが多い。小学校の免許は持っていない。大学は免許がなかったと思うが、今はどうなんだろう。

 免許を持っている教科指導だけをしているわけではない。中には教科指導しかしない先生もいた。非常勤講師ではないのだから、給料を返せと言いたかったが、大体そうした先生は守られていた。

 1年目は校務分掌として教務部に所属した。部活動指導として柔道部の副顧問になった。もうすぐ始まるが金鷲旗柔道大会の監督は貴重な体験であった。正顧問の先生は柔道五段だったかな、審判の方になっていて、代わりに監督を勤めたのである。クラスの方は1年7組の副担任になった。1年目はやはり教科指導がメインだった。授業は毎日3時間の授業を受け持った。1年生の現代国語9時間と古典乙1の古文6時間、そして漢文が3時間が、私に与えられた授業時間であった。毎日の授業研究と、毎日の清掃指導、その頃は週1時間の必修クラブというものがあった。これも後に既得権益化してしまって、早くやめればいいものを、なかなかやめれなかった。教務部の仕事は毎日あるわけではなかった。考査ごとに処理しなければならい仕事があるが、その他はむしろ「教務内規」の見直しが重要だったように思う。初任者研修があったが、他校の初任者の授業を見学できるのは楽しかった。自分の授業を見学されるのは苦痛だったが、他人の授業を見学するのは面白かった。授業については今回は抜きにしよう。4年目に初めて3年生の学級担任になった。部活動の大会も近いので、テニスコートにも顔を出さないといけないと思いつつも、ともかく個人面談を実施した。一人20分を目標にしたがなかなかその時間におさまらない。出来れば1週間ぐらいで終わらせたかったが、4月一杯かかったような記憶がある。進学校であったのでほとんどの生徒が大学受験を希望していた。女子生徒の中には短大志望もいたが少なかった。あと少し専門学校と就職希望者もいた。志望動機を重要視した。往々にして現在の成績を一番に考える先生もいたが、現在の成績は一時的なもので、同じ目標に向かって全力で競争したわけでもない。部活動を見ても、県大会出場を目指して練習をしているものもいれば、あわよくば選手として大会出場を果たしたいという感じで練習しているものもいる。運動能力や体力が問題になる運動部でも、練習意欲の差で結果は大違いである。受験勉強も同じだと思っていた。勉強もしていない生徒に、現在の成績でお前の成績では無理だとは言えない。ゴールデンウィーク明けに引退する部員もいれば、夏まで部活動を続ける部員もいる。冬まで続ける部活動はその頃はなかった。浪人できるかどうかも聞いていた。その頃のクラスは文系クラスというだけで、国公立大学志望も私大文系志望も就職希望者も一緒のクラスだった。今年で60歳になるのかと気づいた。42年前の夏である。3年生にとってのメインイベントは「体育祭」である。私の母校では「体育祭」というものは無かった。記録会である。文化祭は3年に一度で、私の代は1年の時であった。クラスでステージで合唱した記憶がある。学校行事で燃えるという経験がなかったので、最初のころは不思議であった。しかしこの頃は9月の「体育祭」にかけている生徒もいることは把握していた。あまりにも勉強しない生徒には志望先変更を迫ったが、大体が切り替えをきちんとしろというのが、生徒にかけた言葉であった。

 1学期の終わりごろから夏休みにかけて2回目の面談をした。三者面談である。生徒の頑張り度を確認することが多かった。この時は少し現在の成績も考慮した。元々真面目な生徒が多かったので、それなりに勉強をして成績を上げている生徒が多かったので、あまり厳しいことは言わなかった。

 個別に相談に来る生徒もいたが、3度目は12月の三者面談であった。受験校決定の三者面談だったので、かなり厳しいことも言った。私は国語の教師だったが、どちらかと言うと理系タイプだったので、国公立大学の難易度の見極めは正確だったようである。むしろ文系女子の最後の頑張りに関しては、少し楽観的過ぎた。成績優秀だった2人の女子生徒が私大が不合格になってしまった。もう少し複数受験をさせれば良かったと後悔した。もう短大しか残っていなかったので、浪人するか、短大受験するか尋ねると、短大受験をするという。短大の複数受験は必要ないだろうと思ったが、複数受験をしてすべて合格した。行くかどうかも確認したが、行くというので、その意思を尊重した。1年後のクラス会で浪人生の合格状況を聞き、後悔の言葉を言っていたが、就職に関しては大手に就職を決めたらしい。短大ではトップクラスの成績を収めたらしい。

 先に共通一次試験があったので、受験会場下見の時に、私大受験の男子生徒がエールを送ってくれた。大学受験は団体戦だと言っていたのを、生徒が理解してくれたのかなと思った。1月の終わりには、国公立大学しか受けない生徒が私大受験突破のエールを送ってくれた。個人的には悲喜交々であったが、クラス全体としてはかなり好成績を収めた。卒業式後のクラスで卒業証書を渡した後、廊下で胴上げをしてくれた。その後大勢の保護者が残り、生徒と一緒にお礼の言葉をかけてもらった。3,4年後には東京に戻るつもりで、東京を後にしたつもりであったが、高校教師も悪くないと思ってしまった。翌年も3年生の担任になってしまった。同じような指導をしたが、聞く耳が違っていたのか、前年以上の成績を上げた。しかし学年全体としては前年をだいぶ下回ったので、悪い例として出されることが多かった。やはり団体戦なのだなと思った。