王位戦7番勝負が始まった。久しぶりの渡辺明九段のタイトル挑戦である。何か準備があると思っていたが、開幕局から大変な事であった。振り駒の結果先手番になった藤井聡太王位を千日手に追い込んだのである。ジリジリとした駒組を展開して、持ち時間を削っていった。2日目15時44分、80手で千日手が成立した。手を出した方が負けるという展開になり、藤井王位は千日手を打開しようと残り時間が1時間を切ってしまった。30分後再開で、残り時間の調整が行われ、藤井王位が1時間、渡辺明九段が2時間20分であった。挑戦者の思惑通りかと思われた。指し直し局もAIの評価値は先手の52:48%であった。解説の鈴木大介九段が「AI調子が悪いのですかね」とか言っていた。AIに関しては「AIの評価値は、あくまで現状での最善であって、絶対的なものではない」と。「コンピューター選手権などでは、前年度優勝のAIが大体負けている。毎年改善されているので、あくまで現状での最善手でしかない」と言い切っておられた。52とか53で止まっていたのが、55とか60になってきた。渡辺九段の優勢が明らかになってきたが、56手目6四歩という藤井王位の一手で形勢は互角になった。ここからの渡辺九段の指しまわしは見事だった。最善手の連発で、藤井玉を追い詰めていく。渡辺九段が8七歩と打って、藤井王位が4六龍と切ったところは、詰むや詰まざるやで難しい所である。大体藤井王位が大駒を切っていったら即詰みの事が多い。しかし詰まないこともある。鈴木九段は「手を読むより藤井王位の表情を見た方がよい。読み切って指しているか、諦めて指しているか、よくわかる」と。ポーカーフェイスのようでいて、藤井王位は形勢が顔によく出るタイプである。結論は最善の逃げ方をすれば詰まないということだった。しかし詰み筋があり、それも気づきにくい詰み筋である。その他千日手狙いもあるとか言っていたが、本当の所はどうであったろうか。聞き手は加藤結李愛女流初段である。藤井王位と同学年の21歳である。女流順位戦でB級昇級を決めている。

 脱線するが「白玲戦」を含む「女流順位戦」の創設は女流棋士の実力アップとともに、モチベーションアップにつながったようだ。昔強かった女流棋士が再び、将棋に真剣に取り組むようになったようである。そして自分の人生と将棋がどのようにかかわっていくのか、真摯に向き合うようになったようである。女流棋士の経済的基盤が出来たのも良かった。中高生が「女流棋士」にどんどんなっていった。「奨励会入りは目指さないのか」というのは、男性側の勝手な言い分である。囲碁界と違って将棋界では二世棋士は非常に少ない。「奨励会」が邪魔しているのだ。多くの棋士が子どもに棋士に成ってもらいたいと思っても、目指せとは言わない。「奨励会」の厳しさを知っているからである。奨励会からやり直したいと思う棋士はほとんどいないと思う。「奨励会」がA級名人を目指す機関であってもいいと思うが、棋士に成りたいと思っている少年少女の夢を潰すような組織であってほしくない。鈴木九段は西山女流三冠の棋士編入試験についても語っていた。西山女流三冠の棋士編入試験受験は受けてほしいという気持ちと、はたして西山女流三冠にメリットはあるだろうかという気持ちがある。西山女流三冠の棋士に成りたいという気持ちが嬉しいというようなことを仰っていた。今の四段は強い。朝日杯はアマプロ対抗戦みたいな感じで、アマ10人とプロ10人が1回戦を戦う。以前は互角の勝負になることも多かった。今期はプロ側9勝1敗である。7勝3敗ぐらいが相場だったかな。以前は奨励会三段までなって退会した元会員はしばらくはアマチュアの大会に出なかったものである。中には一切アマチュアの将棋と縁を切る人もいる。しかし最近は元奨励会員がゴロゴロである。最近驚いたのは立石径元三段のアマ棋界復帰である。17歳三段で将来を嘱望されていたのだが、三段リーグ3期で退会した。医者になるためである。女流棋士には現役の医師もいる。医学部在籍や医学部志望の女流棋士もいる。大体理系型の頭脳の持ち主が多いので、以前はコンピューター関係の大学教授もいた。私はそうした自由度が将棋界には必要だと思う。何せ奨励会員は「地元では負け知らず」の神童の集まりなのだから、あちこちに人材を提供してもいいと思う。飯田博之七段は大学の副学長にまでなっているらしい。良いことである。名人を諦めた人々がどのような道に進むのか、もう少し情報を提供してほしいぐらいである。

 話を王位戦に戻す。詰まないことが分かった藤井王位は形作りでもあったのであろう、1二の竜を取って、下駄を預けた。ギリギリまで自玉の詰みを考えていた渡辺九段は、いきなり「詰んでみろ」に追い込まれたのである。もう既に両者1分将棋である。詰むだろうということはわかっていても、実際に詰めるのは難しい。解説の鈴木九段も詰み筋を披露していたが、繰り返すと間違えるかもしれないので、見ていましょうと言う。AIは21手詰めを出していたが、鈴木九段は21手詰めは1分では読み切れないと言っていた。途中最善手を逃したが、藤井王位も最善の逃げ方を逃した。しかし再度の疑問手で即詰みはなくなった。しかしまだ負けたわけではない。AIの評価値は渡辺九段の60%を示している。どんな形で藤井王位に手を渡すかが問題だったようである。藤井王位は複雑な表情をしている。いっそのこと投げてしまおうかと思っているのではないだろうかという表情をしている。最善手を指せば詰まないことはわかっている。自分の勝ちになったわけである。喜べない勝利である。永瀬拓矢九段に王座戦で勝った時も同じような表情をしていた。自分の負けを読み切ったのに、相手が間違えて価値が転がり込んだ時の気持ちは、将棋を指す者にとって何度も経験しているであろう。負けてやるわけにはいかないのである。相手に失礼になるし、八百長とも言われかねない。鈴木九段が言っていた、「渡辺九段がこんなに無意味な王手を繰り返すのは珍しい。気持ちの整理をしているのでしょうね」と。気まずい感じの終局であり、感想戦でもいつもの明るい感じはなかった。しかし渡辺九段の作戦は成功したわけである。藤井王位は先手も後手も、打破する手順を準備をしなければならない。藤井王位相手に後手番では勝とうとしないで、持将棋又は千日手に持ち込む。そして先手番で用意の秘策を炸裂させる。今藤井王位相手に後手番で勝てるのは伊藤匠叡王だけであろう。鈴木九段が面白いことを言っていた。「天才は天才に弱いのです。天才羽生を破ったのは渡辺天才。渡辺天才は藤井天才に敗れた」と。裏をかえせば、天才を破る者は天才だけであるということか。永瀬拓矢九段は言っていたそうである。「自分たちの世代で一番の天才は佐々木勇気である」と。佐々木勇気八段が中学生三段の頃、14,5歳で三段は多かったそうである。中学生四段を目指すというより、その人たちより先に四段になりたいと思っていたそうである。菅井、永瀬、斎藤の名前を出していた。現在全員A級である。名人A級を選ぶのが奨励会というのは、今でも当てはまるのかな。自信過剰気味の少年しか目指さない世界なのかもしれない。東大理Ⅲを目指す若者に似たところがあるのかもしれない。難しいから挑戦するのである。それが楽しいのである。だったら今のままでいいのかな?