昨日アップしたブログを読み返してみると、まだまだ不十分だと思った。続きではないが第2弾をアップしたい。

 天皇制を中心とした中央集権国家が誕生したのは、約1500年前であろうか。少なくとも国家という意識が自覚的になったのは1300年にはなるであろう。「萬葉集」に「防人の歌」が収録されている。「大伴家持」自身は貴族でも「大伴氏」は武門の出である。国防意識は強かったようである。昭和になって軍歌に「萬葉集」所収の長歌や短歌が利用されたのは、そこに日本という国を守るという意識が色濃く出ていたからと思う。元々「歌」は文字で読まれるものでなく、声に出して歌うものである。「額田王」などは一流の宮廷詩人だったと思われる。現在で言うならば「MISIA」のように堂々と歌い上げていたのではなかろうか。「萬葉集」の時代はもっと自由に歌っていたものと思われる。現在の「歌会」などとは趣が違っていたものと思われる。

 「防人」は畿内より東の国から兵を徴収して、西の北九州や山陰地方に派遣したものである。「大君の命畏み磯にふり海原渡る父母を置きて」の歌は相模の国出身の防人の歌と考えられている。今も昔も国防意識が高まるのは、国家に危機が訪れようとしている時である。7,8世紀は朝鮮半島からの攻撃に備える必要があったのである。「大君」は現在の「天皇」の事である。大伴家持はいくつかの長歌を詠んで、後の軍歌にもなっている。平安時代は今で言う「平和ボケ」に陥ってしまったが、西日本では軍事力を持つ武士集団が台頭するようになる。「刀伊の入寇」も北九州の武士が中心になって、撃退している。京都の公卿たちは事態を把握できていなかったようで、恩賞などはほとんどなかったそうである。周囲を海に囲まれた島国であったので、更に「海幸山幸」に恵まれた国であったので、海外進出を考えることもなく、外敵は追い払えばそれで事足りた。「元寇」の際も追い払っただけなので、武功があった者に与える恩賞があまりなかったようである。鎌倉幕府が倒れる遠因にもなったそうである。「天下」という概念も、織田信長の時代でも、畿内一帯を指す言葉だと聞いた。それが豊臣秀吉の時代になって、現在の本州、九州、四国全体を指す言葉になったそうである。「天下統一」は豊臣秀吉の時代になったのである。徳川家康は「天下を統治するにはどうしたらいいか」を秀吉の時代に学んだのであろう。「朝鮮出兵」に関しても今では一方的に悪く言う学者は減ってきているようである。海外に出て行くこと無く、日本の国内だけで平和に暮らす方法を考えたのが徳川家康で、徳川家と譜代大名家が大事だったのであろう。

 「ペリー来航」ばかりが大きく扱われるが、既に18世紀後半から外国からのちょっかいは始まっていたのである。16世紀のポルトガルやスペインは侵略の目的はあったが、どうやら諦めたようである。戦争に次ぐ戦争で、武器は発達して、戦闘意欲は高かったので、侵略は放棄したのであろう。別に日本が立派な国とか思って、侵略を諦めた訳ではない。保有している武力と高い知識文化などを評価したのであろう。それがヨーロッパの国が19世紀になっても、居丈高に通商を求めることがなかった原因の一つであろうと考えている。それを無知なアメリカがぶち壊しにきたのである。ペリーは比較的早くに日本の高度な文化に気付いたようだが、ハリスはそうではなかったようである。人種差別意識が強い白人の代表のような人物だったらしく、理解力にも乏しく、他のアジアの国と同様な扱いをしたようである。日本の武士階級にとって「アヘン戦争」の結果とその後の欧米列強の理不尽な振舞いは脅威に映ったであろう。清国の二の舞は嫌だというのが、外国と戦った薩摩や長州には共通認識としてあったのであろう。何かで読んだが、九州はイギリスに、北海道はフランスのものになってしまうシナリオもあったようである。19世紀における超大国は大英帝国で対抗馬はフランスである。ロシア領は広大であったが、不毛の土地という認識がヨーロッパでは多かったようである。そしてドイツ、イタリアなどが台頭してきた訳である。ヨーロッパ以外できちんと独立していたのはアメリカと日本と清ぐらいであったが、清の市場を開拓して大きな利潤をあげたいと思っていたのが、ヨーロッパ列強とアメリカであった。時代は帝国主義の時代で、侵略を悪いこととは思っていないのである。差別を悪いことと思っていないことと同様に、他国を侵略して先住民を虐殺してもあまり自責の念に駆られることは無かったようである。動物を自分たちの趣味嗜好で殺しても痛みを感じない連中だったのである。むしろ害獣駆除ぐらいに思っていたのであろう。危機意識を持った日本はお隣の朝鮮王朝に働きかけるが、中華思想に毒されている朝鮮の王族や両班には響かなかったようである。朝鮮王朝は自分たちの事を「小中華」と言って誇りに思っていたのだから、何をか言わんやである。日本は神道の上に仏教が儒教が道教が乗っかたが儒仏道のいずれかに偏ることはあまりなかった。「中道」が好きなのである。儒教で言うところの「中庸」である。

 千数百年にわたって異民族の支配を受けることもなく、「将棋」に代表されるように、働きに応じてそれなりに遇されるのである。「歩」でも「金」になれるし、敵の手に落ちても、再度活躍の場を与えられるのである。戦争も「殲滅戦」ではないのである。これは大きかったものと思われる。降伏して再度復活を遂げて名を残すことが出来るのである。「族死」と言って、一族皆殺しにならないのである。むしろ立派に死ぬと「死に際の潔さよ」と称えられるのである。「平家物語」でも「知盛最期」や「敦盛最期」は後世に語り継がれるのである。

 19世紀後半に独立国として生き残った有色人種の国は「大日本帝国」だけである。「帝国」の名をつけているだけにあって、日本も「帝国主義の時代」に入っていた。「日清戦争」「日露戦争」「第一次世界大戦」と19世紀末から約10年毎に戦争をしていた。そしていずれも戦勝国側に立った。白人が警戒するわけである。「世界の最貧国」と当時言われた朝鮮半島は利用価値の少ない土地と民族だと思われていたようである。本当に朝鮮半島を押し付けられたと声高に叫ぶべきである。当時の朝鮮半島の状況を韓国民は知らなさすぎる。現在韓国の時代劇は色彩豊かな衣装に包まれて描かれているが、そんなことは無いのである。小学校を設置して、中学校を設置して、帝国大学まで設置したのである。大阪帝国大学や名古屋帝国大学よりも早いのである。「教育は国家の大本である」というのは、日本人はよく理解しているのである。貧しくとも子弟を学校にやるというのは親の義務である。貧しくて学校にも行けなかったというのは余程のことである。「家に年老いた親がいる、病気の家族がいる、障碍者の身内がいる」というのが、「貧家」の定義である。後は子だくさんかな。家族で何とかしようとするのが、日本人の家族である。朝鮮人に教育を施すだけでも大変な労力と予算を費やしている。以前ソウルで、100年前の南大門前の写真を見たことがある。「日韓併合」前の南大門前である。展示会があっていて、韓国民も見てほしかったが、あまり見る人は少なかったようである。特権を奪われた両班を中心に反日運動があったのは確かであるが、日本の政策が明らかになるにつれ、反日運動は下火になっていった。朝鮮王朝500年で朝鮮民族に何をしたのか。朝鮮民族は王族と両班だけとでも思っているのだろうか。白人が白人以外を人間扱いをしなかった歴史がある。そのうち忘れ去ろうとしている。1950年代のアメリカの西部劇でインデイアンを人間扱いしているものは少なかった。日本人は差別はしたかもしれないが、人間と見なかったことは無い。約3000年前には、釜山付近の人々と北九州の人々は会話が通じていたそうである。物々交換の商取引が成立していたそうである。「帰化人」は優秀な人々が多く、優遇されていたそうである。政治的難民は昔から優遇することが多かったようである。朝鮮半島には日本人や日本の物が多かったそうである。「任那」は日本に応援の要請をしたが、負けてしまった。不敗神話は元からなかったのである。「神州不滅の神話」はあったようであるが、今では怪しくなっている。

 「日韓併合」について語る時は、当時の国際情勢と、統治下にあった朝鮮半島がどうであったか、その後がどうであったかを、よく調べて考えないといけない。山口の半農半漁の村にいた私には「李承晩ライン」というのは、とんでもない奴だと思っている。それはそのまま「李承晩」という大統領はとんでもない人間だったということになるが、「竹島の不法占拠」も日本国憲法があるので、大丈夫と思ってやらかしたことであろう。李承晩の軍隊が弱かったことは、朝鮮戦争の初期で釜山を除くほとんどが金日成の軍隊に占拠されたことでもわかる。戦後にアメリカから渡ってきた人で、一緒に戦った人ではないから弱くて当たり前である。しかし米軍を中心とした国連軍の活躍で押し戻したが、中共軍の参戦で再び押し返した。スターリンが実施した「督戦隊」を毛沢東も組織したらしい。不平分子を最前線に立たせて、逃げれば撃ったらしい。スターリンのやり口と同じである。プーチンは現在似たようなことをやっているらしい。戦争をなくすにはどうしたらよいかは、やはり平和時に検討しなければならない。戦争になってから、必要だからと言われれば、それに応じざるを得ない。朝鮮戦争では日本は大儲けしたと言われている。いわゆる「朝鮮特需」である。ベトナム戦争の時は「ベトナム特需」とか言われた。現在の「ウクライナ戦争」では誰が儲けているのだろうか。戦争は人も物も随分と消耗する。資本主義社会では消費するところ必ず儲ける人が出てくる。いつまでも戦争が継続してほしいと願っている人々が居るそうである。しかし戦争が悲惨なのは、人間は消耗したら二度と元に戻らないことである。死んだらもちろんのこと、生き残っても昔のままではいられない。

 やはり知ることから始めるしかないのかな。宗教戦争は複雑怪奇で日本人の感覚では、解決策は見出せそうにもない。唯一絶対神を信じるのはやめようと言っても、信教の自由があるからな。「神は死んだ」とすると凶悪犯罪は増えるだろうな。「殉教」は無くした方がよいように思う。本人の死も良くないけれど、とばっちりを受ける人々はもう悲惨である。