第9期叡王戦最終局は挑戦者の伊藤匠七段が、藤井聡太叡王を破り、3勝2敗で叡王を奪取した。全冠制覇も途切れることになった。まだ数年続くかと思われたタイトル戦での連覇も22連勝で途絶えた。残念にも思うが、これでよかったのかもしれないと思った。人間対人間の勝負を見られたと思った。勝負事は勝った方は憶えてなくても、負けた方は憶えているものであるとよく言われる。伊藤新叡王は「藤井聡太を泣かせた男」として有名である。伊藤叡王の方は憶えていないと語っているらしいが、おそらくよくある勝利なのであまり印象的ではなかったのであろう。藤井竜王名人にとってはめったにない敗北であったので印象的であったろう。度々挑戦者になる伊藤叡王を意識しないわけはないであろう。最初の挑戦の「竜王戦」は大舞台ということもあり、伊藤叡王の実力はあまり発揮されていなかったようである。衝撃的だったのは棋王戦第1局の持将棋であろう。相入玉でも藤井棋王の勝ちかなと思っていたら、持将棋の引き分けに持ち込まれた。藤井八冠を相手に負けなかったことが高く評価された。後手番で負けなかったのは、0.5勝に当たるとか言われたのである。藤井八冠がそんなことはきにしないであろうが、意識が強くなったのは確かであろう。対伊藤戦が少し変わったように思う。伊藤叡王は相変わらずの正攻法である。序盤だけでなく中盤の入口から終盤の入口ぐらいまで互角に持ち込むようになった。しかしこの頃から加藤一二三九段の対中原戦20連敗からの逆襲が思い出された。近くは藤井竜王名人の対豊島戦の6連敗からの巻き返しを思い出す。伊藤叡王は1勝上げたら、連勝するかもしれないと思うようになった。

 叡王戦第2局で伊藤叡王は対藤井戦初勝利を挙げた。これは先手番だったのでそろそろ勝ってもおかしくない感じではあったが、時間の使い方や形勢が揺れ動いたりしたから、やはり藤井叡王の変調を感じ取った。藤井八冠不調説が出たりしたが、相手が豊島九段や伊藤匠七段だったのだから、不調説は当たらないと思った。豊島九段は藤井竜王名人が一番敗れている相手である。藤井竜王名人は史上最年少ばかり注目されていたが、伊藤匠新四段誕生までは現役最年少であった。年間最高勝率も伊藤叡王に奪われていたのである。一時的に勝率9割はいても、年間勝率8割超えは藤井竜王名人以外は出ていなかった。それを伊藤叡王は達成したのである。昨年は藤本渚五段が記録した。辛うじて年間最高勝率は守ったが「後生畏るべし」と思ったに違いない。藤井竜王名人の功績の一つに、新四段の努力の継続に影響を与えたのではないだろうかと思っている。はっきりと25歳までは棋力は上がると言っている。藤井竜王名人は八冠取っても「努力継続」をやめないのである。「伸びしろ」はあっても、藤井竜王名人の「伸びしろ」には劣るのである。そこに伊藤匠叡王、藤本渚五段、上野裕寿四段など自分より遅く生まれた人が棋士に成って来た。自分の牙城に迫る棋士は彼らだと思ったに違いない。対伊藤戦は明らかに変調をきたすのである。

 痛かったのは先手番で逆転負けした第3局であろう。時間も形勢も終盤に入るころ良かったはずなのに、無駄に時間を使って立て直せなくて、伊藤匠七段に読み切られて負けてしまった。少し悪い筈なのに淡々と早指しで微差のままついてくる伊藤匠七段に、形勢判断を間違えさせられたのではないかと思った。「ああ駄目だ。悪い記憶を埋め込まれてしまった」と感じた。叡王は取られるのではないかと思った。その予感は当たってしまった。

 最終局は午前中まで全くの互角であった。69手目が昼食休憩明けの第一手であった。これから有利にしていった。77手目の6六銀は勝っていれば妙手と記憶されたであろう。しかし不安になった。時間も1時間以上差をつけている。形勢も有利になっている。しかし銀のただ捨て、飛車切りといつもだったら仕留めているはずだが、伊藤匠七段は飛車を見捨てて5三銀、5二銀として4三に玉を逃がすことに成功する。しかしAIの評価値は60%台半ばをうろうろするだけで、伊藤匠七段が有利になったわけではない。この辺から藤井竜王名人は自分の読みに自信が持てなくなってきたのではないだろうか。二度目の6六銀が悪手だった。評価値は65%から60%前後になっただけであるが、どんどん時間を無駄に使ってしまう。7六歩や8六歩が好手という訳ではない。当たり前の手であるが、藤井竜王名人は6六銀を悪手と認めてやり直しすることが出来ない。3四金と打てばまだ形勢は有利であるが、解説の増田康宏八段も打てないでしょうと言っていた。形勢が逆転したのは107手目の8六同歩である。しかしその後の8七歩でも53%で互角と同じである。増田八段も不思議がっていた「これでこんなものですか」と。藤井竜王名人は113手目で1分将棋になった。竜を引き付けて粘りに出ている。粘りに出た藤井竜王名人は強い。聞き手の脇田菜々子女流初段も「強い人の玉は寄らないですよね」と語っていた。実感がこもっていた。弱い人の玉は簡単に詰むのに、強い人の玉はなかなか寄らないことは、アマ高段者になればよく経験することである。ましてや相手は藤井竜王名人である。終盤も強い筈の伊藤匠七段が寄せ形を作れないでいる。130手目6九と左で、なんと再逆転したのである。5五桂からの王手であった。しかし桂を持った藤井竜王名人が打ったところは、6四であった。それまでは50%台でしかなかった評価値が初めて72%を見せた。局後増田八段は「藤井竜王名人に打たれたら、普通は対応しますけどね」と語っていたが、ここで踏み込めるのが伊藤匠七段が高勝率を残せる所以なのであろう。最善手以外は詰まされるという状況で、20手以上最善手を両者指し続けて156手で藤井竜王名人が投了した。伊藤匠新叡王の誕生である。結局は6四桂が勝負手ではあるが敗着になるのかな。しかしその原因を作ったのは二度目の6六銀であろう。3四金では駄目だと考えていたのであろうが、失着を敗着にしないためには、失敗を認めやり直すことにある。相手が先輩棋士であれば、ごめんなさいとやり直したかもしれないが、伊藤匠七段相手には出来なかったのであろう。以前伊藤匠叡王は小学校3,4年生の頃の事を後悔していた。棋士に成ることに逡巡していたのであろう。小学生でアマ高段者の実力を身に着ける人は大体記憶力抜群で集中力もある人が多い。学校では「東大候補」と言われ、地域では「神童」と呼ばれていることが多い。藤井聡太少年がまっしぐらに棋士への道を突き進んだのに対して、伊藤匠少年は他の道も考えたようである。東京生まれと瀬戸市生まれの違いかもしれないし、何とも言えない。奨励会三段で奨励会をやめて京大医学部に進学した人を同僚に紹介したら、「良かったじゃないか、人材が埋もれないで」と言われた。17歳で奨励会三段は棋士に成れる確率は高い。しかしそれでも医学部進学の方が社会の為にはなるという考えが多いのは事実である。しかしノーベル賞を取ることよりも、棋士になることを夢見ることは、個人のレベルで考えれば、好きにさせる方がよいと思う。医者になっても、弁護士になっても、棋士になっても、いずれでもいいではないかと思う。ただ偏差値偏重、学歴偏重が問題だと思うだけである。誰かが言っていたけど、戦前は八ヶ岳型だったが、戦後は富士山型になってしまった。東大至上主義は良くないと言っていたが、東大が一番というイメージを作り出したのは、マスコミである。今でも春になると、大学別合格者ランキングが発表される。高校の格付けに利用されている。しかし大体無知からくるものである。私が受験生の時、九大医学部が30位にランク付けされていた。東京の私大の早稲田や慶応が上位にランクされていて、笑ったものである。東京の人間はものを知らないなあと思ったものである。脱線するが、東京都知事選はよく考えて投票してもらいたい。忙しいせいかあまり物事をじっくり考えたりしない傾向がある。福岡に住んでいるころ、上京する前だったが、思ったものである。東京都民や大阪府民はバカじゃないのと。しかし上京して思った。私の1票で状況が変わるのかと。マンモスになり過ぎて、無力感が強くなってしまう。しかし棄権は絶対しなかった。自分が投票して当選する立候補者は少なかったが、それでもなお無駄ではなかったと信じている。

 ちょっと脱線が過ぎたが、二人の競い合い、高め合うのが、棋界の為になることを願っている。