以前にも書いたが、伊能史尊氏のブログを読んでいたが、つい自分のブログと比べてしまい、嫌になってしまった。しばらく読んでいなかったが、5月中旬分から再び読み始めた。やはり社会科の先生だっただけに、きちんと情報の共有元を明らかにして、知識の発信源になっていらっしゃる。私のブログは、年老いて記憶が曖昧になっているにもかかわらず、相変わらず自分の記憶が頼りの回想ばかりである。伊能史尊氏のブログを読むと新知識に驚かされたりして、前向きになれるが、私のブログは、歴史の部分は愚痴めいた話ばかりになり、結局は「敗者の歴史は伝わらない」ということになりそうである。磯田道史氏は「普通は勝者の歴史だけが残るのであるが、敗者の歴史も時を経過して一部見えてくる。消えてしまうのは滅亡した民族の歴史である」というようなことを、「英雄たちの選択」で述べられていたように思う。これまた曖昧だな。敗北しても生き残っていれば復活の機会はあるということか。ヨーロッパを中心に一時期は反映していたネアンデルタール人は、今では絶滅人類の中に数えられている。しかし現代人の我々の中にもネアンデルタール人のDNAが数パーセント残されているらしい。これは「ヒューマニエンス」で得た知識である。しかし最近は「ヒューマニエンス」で得た知識でも、疑ってかかる必要性を感じている。ネアンデルタール人のDNAがヨーロッパを中心に広がっているというのであれば、何だか納得できる気がする。しかしアジアにも広がっていて、分布の濃淡で言えば、ヨーロッパが濃いとは言えないことである。ネアンデルタール人とホモ・サピエンスの混血が進んだであろう地域は、やはりヨーロッパであろう。「グレートジャーニー」が5万年を遡らせても7万年前が限度のようなので、「出アフリカ」が実現して東方を目指したホモ・サピエンスと西方を目指したホモ・サピエンスがいたとしても、東方はアジアを経由してアラスカから南米にまで到達した。距離的には短い西方を目指したホモ・サピエンスがネアンデルタール人と混血して、更に東方を目指すというのは考えにくい。今ひとつ納得がいく「物語」になっていないように思う。体格的にはホモ・サピエンスを上回っており、脳の容量もホモ・サピエンスよりも大きかったそうである。20人足らずの父親を中心とした集団だったネアンデルタール人は、文化・技術の発達からも伝承からも不利だったようだ。ホモ・サピエンスから、食糧を奪われて次第に衰退したと語られていたが、それも今ひとつ納得がいかない。現代でイメージできるのは、ライオンの群れに近いであろうか。食糧不足なのに座して死を待つとは考えにくい。やはりホモ・サピエンスとネアンデルタール人との大規模な戦いはあったのではなかろうか。多勢に無勢でネアンデルタール人は次第に追いやられたのであろう。アフリカ大陸を遠く望めるスペイン南部に追いやられ、とうとう滅びたということかな。大規模な戦いがなかった証拠としては、現存する人骨に戦死したであろうという傷跡があまりないそうである。妄想は広がるが、具体的な根拠がない。

 伊能史尊氏のブログを見ると、ギリシャの旅をなさったそうである。世界史を専攻されていたそうで、その知見に驚かされる。私は「映像の世紀」を見て、本当に世界史の知識が足りないなと痛感した。洋画を見ていて、あまりにも背景にある文化の理解がないと、その映画の本当の良さがわからないと痛感して以来、あまり洋画は見なくなった。一番ではなくても、トップレベルの水準でないと嫌だと思ったのである。文芸評論家として立つことは出来ないだろうかと考えていた一時期があった。謙虚さがなかった頃である。20代前半で欧米文化に見切りをつけた。理解できないので、おそらくこの先もわかることは出来ないであろうと思った。映画も黒澤明や小津安二郎の映画ばかり見るようになり、いつしか見なくなってしまった。TVのドラマを見るようになり、向田邦子作品や山田太一作品、倉本聰作品などを好んで見るようになった。心情から考え方までよくわかる気がしたのである。忙しくもあったので、深く追求することもなく、教員生活を送ってしまった。人生の終盤戦を実りあるものにするためには、もう少し中盤戦をうまく切り抜けなければならなかった。教員生活は28年間であった。55歳で退職したが、75歳までは十分に暮らしていけるはずだった。しかしなかなか人生は計画通りには進まないようだ。終盤戦はよれよれである。急に突発的に計算外のことをやったり、虫の良いことを考えたりした。

 伊能史尊氏のブログを読んでいると、確実に何かに向かって進んでいる感じがする。羨ましがってばかりではいけないと思うが、私の何かの指針になればいいと思っている。まだまだフォロワーが少ないようなので、たくさんの人に読んでもらいたいブログである。ついでに私のブログまで足を延ばしてもらうと幸いである。