昭和20年代生まれの私にとっては珍しかった海外旅行も、平成に入ってからは珍しくとも何ともなくなった。在職中は修学旅行の引率だけだったが、退職後は私も海外旅行に出かけた。姉夫婦が東京から福岡に移ってきてくれたことが大きい。まだ母も要介護1の段階で、認知症も軽かった。最初は3人で韓国に行ったけれど、2度目からは一人で、ツアーに申し込んで、2泊3日や3泊4日で、台湾や上海に出かけた。

 ツアーの長所は、有名観光地は網羅してくれていることだ。2泊3日の台湾旅行は台北を中心に北部だけだったが、後でTV番組で台湾特集などを見ていると、「あ、ここも行った。そこも行った」になっていた。台中から台南には行っていないので、逆に台北の有名観光地には大体行っていた。ツアーの同行者は女子大生の2人組と、美容室なのか理容室なの今ひとつわからなかったが、その従業員一同であった。10人足らずのグループだったので、食事のテーブルは一緒だったりした。店長さんらしき人が仕切ってくれた。軽く挨拶しただけで、一人旅が好きなんだろうと思ってくれたのか、ほとんど自由ににしてくれた。故宮博物院などもつかず離れずで歩いたので、気に入ったところは少し長めに立ち止まることも出来た。北京の「紫禁城」も広大な敷地に、たくさんの展示品があったが、引率用務があったので、あまり見ることが出来なかった。台湾の方に価値の高い宝物は、蔣介石が持ち出したので、台湾の「故宮博物院」を見れば事足りると説明を受けた。

 夜市にも出かけたが、私は胃腸が弱い方なので、少し悪い物や、食べつけていない物を食べると下痢をすることが多い。結局見物だけで何一つ食べなかったのは、失敗したなと思った。失敗したと思ったのは、「足つぼマッサージ」だった。痛いばかりでスッキリはしなかった。ただ胃腸が弱いと言われて、薬を売りつけられた。韓国の1円=10₩ぐらいの感覚だったので、安いと思ったが台湾元は高かった。節約していたのに、両替していた台湾元の半分ほどを持って行かれた。

 自由時間もあり、観劇なども出来たが、私は散策を選んだ。あの頃は本当に歩くのが好きだったなとしみじみと思い出す。今では100m先のコンビニエンスストアにも、車で行く始末である。もちろん他の用事も作ってであるが、少しでも歩きたくないのである。腰痛が激しくて、腰が曲がっているのである。1,2時間は歩いたであろうか。夕食近くになったので、とある食堂に入った。メニューを見て、言ってみたが通じなかった。指で指し示して注文をした。台湾は簡体字ではなく、正字体なので読みやすかった。旧字体な訳だが、漢文も教えていたので、問題はなかった。北京で迷子になった時は焦った。字を書いて示しても通じないのである。これは年寄りに示すしかないと思い、年配の方を捕まえて、字を示したら教えてくれた。あの時は引率ではなかったので、私のことを気にかけてくれている人はいなかったので、助かった。北京の公衆便所の記憶とともに、印象的な思い出である。

 九份も印象深かったな。店で淹れてもらったお茶が美味しかったので、軽いこともあり、お土産用にお茶をずいぶんと買ってしまった。帰国して自分で淹れたお茶はたいして美味しくはなかった。映画のロケ地にも度々なるらしく、ポスターなども貼ってあった。日本のアニメにも似たようなところが描かれているようだ。

 後にTV番組で台湾の特集などを見ると、食べ歩きが随分と楽しそうである。しかし私は夜市でも九份でも食べ物は口にしなかった。お茶した時お茶菓子を勧められて食べたぐらいである。今となっては残念なことである。

 ツアーによる海外旅行は上海に出かけた。北京は二度あるが、上海は初めてである。2008年の事かな。高層ビルが立ち並び、いかにも発展していますという感じであった。同行の人の事を思い出そうとするが思い出せない。ツアーも二度目なので、関心も薄れたのかな。上海の一番高いビルや租界地にも行ったが、あまり印象に残っていない。食べ物は韓国や台湾の方がいいなと思ったぐらいかな。上海は北京より近代的な大都会という感じがした。

 2009年5月に母が脳梗塞で倒れたので、海外旅行どころではなくなった。2010年10月に母が施設に入所したので、それからは近くの韓国には行くようになった。その他は行くことは無くなった。