考古学者でもない私が決めつけるのは、どうかなとも思うが、広い意味で東日本と西日本は違った歩みをしたものと思う。縄文人と呼ばれる人々が、数十人から数百人の小集団で、村落共同体みたいなものを形成したいたのではなかろうか。その頃は今より温暖な気候で、狩猟と採集、そして栽培などをして、今と比べると比較にならないかもしれないが、当時としては豊かな生活をしていたと思われる。ひょっとしたら養殖みたいなものも行われたかもしれない。海幸彦、山幸彦の伝説ではないが、山や川や海には豊かな食糧があったので、食べるにはあまり不自由しなかったのではなかろうか。縄文時代の漁師は珍しい、美しい貝などを求めて、太平洋岸を南下したらしい。紀伊半島までその足跡が残されているらしい。一説によれば、土佐を経由して薩摩にまで足を延ばしたそうである。それが隼人族だと主張する学者もいる。少し無理な気もするが、そんなことも妄想させるほど、行動範囲は広かったそうである。自分たちの生活に余裕があるので、略奪や土地の占領などは考えておらず、珍しい物や美しい物と交換を希望していたらしい。まるで時が止まったように、縄文人は平和で豊かな生活を享受していたらしい。だからこそ1万年以上続いたらしい。今でも南米などの未開民族と呼ばれる人々は、伝統と伝説に則った生活をしているらしい。文明化をすると自分たちが滅びると思っているようだ。他の動物同様自分たちの食べ物以外は取らないようにすれば、結構長いこと村を存続させることが出来るようだ。欲深な欧米人が押し寄せる前は、そういう生活が可能だったのであろう。縄文時代の人々も安定した持続可能な社会を作り上げていたのかもしれない。戦争がないと個人の能力が評価される。男性は力はあるが、あまり働き者でなければ、女性からは人気がなかったと思われる。高校教員をしていたので、男女の性別による能力差を感じることが多かったが、学業成績はもちろんの事、たいていの場合は女子生徒の方が優秀であった。一部に女子生徒に負けない能力を示す男子生徒もいたが、むしろ少なかった。力はあるけどその使い道がわからない男子生徒が多かった。そうしたものを見てきていたので、戦争さえなかったら、女性優位な社会が形成されるだろうと思っていた。猛獣と言えば熊や猪ぐらいしかいなかったので、男性がその力を発揮して、英雄に慣れる機会は少なかったであろう。集団生活をしている人間を襲う熊はほとんどいなかったであろう。熊が出没するとしたらエサ不足の為であろうから、男たちは喜び勇んで熊退治に向かっただろう。女性にもてるチャンスだから。母系社会だったと思われる。大勢の民を必要としないので、女たちはよく選んで「つま」を選んだのではなかったろうか。古代においては「つま」は男女両方を言って、配偶者の事であるが、今の配偶者は1人だけという、特別な感じがするが、おそらくその頃はそんな感じはなかったのであろう。「妻問婚」という形態であったろうと想像されるが、出産の形から想像するに、多くの女性たちの協力があったのであろう。出産、育児、扶養は女性の義務というよりは、権利であったろう。女たちの中で男女ともに成長するのだから、欧米で言うところの「マザコン」になるのは当たり前である。縄文時代の漁師が美しい貝を求めて、危険な海に船出するのは、食料を求めてではない。ましてや金儲けの為ではない。愛する女性に美しい貝を届けるためである。命がけの事であると女性もわかっているので、感激するのである。そういう時代が1万年以上続いたというのは、奇跡的であったのであろうか。私は「大航海時代」と呼ばれる前は、結構世界中にあった暮らしではなかったかと思っている。南蛮人や紅毛人は最新兵器とともに、伝染病も携えて、黒人や有色人種を征服していったのである。500年にも及ぶ西洋人の悪逆非道ぶりである。無知ゆえの差別意識や偏見で、キリスト教以外は認めないという、偏狭なキリシタンは、世界中で横暴な振舞いを様々にしてきた。そして過ぎたこととして、謝罪や補償はないのである。

 また脱線してしまった。話を日本に戻そう。東日本はそういう生活をしてきたのであろう。ところが西日本は大陸や半島が近いこともあり、その影響を受けがちである。経済的にも政治的にも意識しないわけにはいかなかったようである。「国家」というには未成熟であるが、大小さまざまなクニが誕生して、互いに争っていたのではなかったのかな。戦争上手になったので、朝鮮半島にも、自分たちの影響下にある地域も確保したのではなかろうか。大和朝廷は何度か朝鮮半島に出兵している。応援を要請されてのものあるし、朝鮮半島での既得権益確保の為もあったのであろう。唐新羅の連合軍に敗れた大和朝廷は、太宰府や水城を作ったり、「防人」を派遣したりして、大和防衛に心を砕いたようだ。萬葉集には「防人の歌」が数多く収録されているが、東国から農民が徴集されているようである。この頃の東国は今の北信越や東海地方を指すようだ。関東東北はまだ大和朝廷の完全な支配下ではなかったようである。西日本の人間は今でも喧嘩波早いと言われるが、弥生時代からのDNAを受け継いでいるのであろうか。古墳時代から現在の日本人が形成されたという説もあるが、やはり長く東日本と西日本は没交渉だったと考えるべきではなかろうか。東日本の人間は争いを避けて、平和を愛する人々が多く、西日本の人間は国防意識が高く好戦的であるという。本当かいなと思うが、一般的にそういう傾向があるのかもしれない。地政学的に西日本は大陸や朝鮮半島の影響を受けやすい。(つづく)