私がよく見る番組に「そこまで言って委員会NP」がある。先日はフランスの特集をやっていた。通常はパネリストの数は8人中女性は一人か二人であるが、その週は半数の4人であった。意識的に男女同数にしたのであろう。5つほどのテーマで話していたが、「フランス革命」や「フランスの歴史」「フランス○○」などがあった。「そこまで言って委員会」は今は亡きやしきたかじんと辛坊治郎の掛け合いと、出場者の言いたい放題が売りであった。東京には流さないというのがポリシーというか、関西主体の番組であった。やしきたかじんが亡くなった後は辛坊治郎氏が長く議長を務め、副議長に色々な人を迎えた。現在は黒木晶子読売アナを議長に抜擢して、秘書室長に野村明大読売アナを配して、放送している。何度か打ち切りの危機を迎えたようだが、何とか放送を続けている。今回は竹田恒泰、宮家邦彦、大野裕之、舛添要一、溝口紀子、豊田真由子、田嶋陽子、RaMuの8人を迎えての放送だった。私の嫌いな田嶋陽子氏が出ている時は極力見ないようにしているが、今回は見ることにした。

 「フランス革命」の捉え方がだいぶ昔とは異なってきたが、それでもまだまだ良いことだったとしていることが多い。まあ今でも毛沢東の「文化大革命」を良いことだったとしている人々もいるのだから、百歩譲って「思想信条の自由」ということにしよう。近代的な国民国家形成の為には必要なことだったとしている人々もいるようだが、それはアメリカの将兵の犠牲を減らすためには「原爆投下は正しかった」とする説と似ているような気がする。味方の犠牲を減らすためならば、何をしてもいいのか。沖縄戦でよく目にする、火炎放射器による洞窟の中を焼き払う行為は、軍人はもちろんの事、民間人もいるだろうことは十分に察知していたはずである。東京大空襲をはじめ各地の焼夷弾による空襲は、日本の家屋は木造建築でよく燃えることを熟知していての行為である。国際法違反、戦争犯罪で無くして、何が戦争犯罪だと言うのか。もう過ぎたことというが、16世紀以降、欧米列強が世界各地でしたことの反省無くして、世界平和の実現は難しいと思う。アフリカやアジア、アメリカで行った収奪の蓄積が、今の欧米の繫栄の礎になっているではないか。アフリカの疲弊は気候や部族間の争いだけではない。奪い去っていってしまった量の多さが関係しているように感じるのは私一人だけであろうか。

 大野裕之氏だったかな、イギリスの貴族は税金も払っているし、戦争になった時は、先頭に立って従軍する。大英帝国の没落の原因に、第一次世界大戦で多くの青年将校が亡くなったことが原因だと言っている人がいた。フランスの貴族は無税で、戦争になっても戦わない。国土とか国民とかという意識は希薄だそうである。庶民が自分の暮らしを守るために戦えばよいと思っているらしい。自分たちには関係ないことだと。第二次世界大戦でパリが陥落して、簡単に降伏した。地方在住の貴族にとってパリはどうでも良かったのである。パリ市民の為に戦おうという気はあまりなかったようである。そのお陰で戦後もしぶとく生き残って特権階級を形成している。持てる者の強みである。「フランスの政治」について学ぶべきものはあるかという質問に、竹田恒泰氏は「無い」と回答していたのは痛快であった。舛添要一氏は「ゆすり・たかりをしない有権者」を挙げていた。田嶋陽子氏や豊田真由子氏に同意を求めていたが、有権者の質を問題にしていたのだが、これは昔から感じていたことである。有権者に投票の自由が保障されていないのである。自分で弁当を用意して、選挙運動を応援している人がどれほどいるのであろうか。顎足つきの上に、日当まで払うのであるから、立候補者は金が要る訳である。政治資金は選挙資金と同義語のケースが多いのである。しばらく選挙から遠ざかると、もう二度とあの世界に飛び込みたくないと思う人が多いのもうなづけることである。田嶋陽子氏は「パリテ法」を挙げていたが、何が何でも男女同数がいいのか。是非を問わず、同数になれば言い分が通るようになるだろうと思っている。女性の言い分は皆同じではない。男性同様、女性も千差万別である。当たり前のことである。自分の言い分が通り、正しいと思えば、自己主張をするのである。問題はその後である。自己主張して折り合わないのであれば民主主義は成り立たない。往々にして人格的に問題がある方が自己主張を曲げず、人格者の方が譲りやすいことである。逆に言うと、人に譲ることが出来るので人格者と呼ばれるのだな。黒木議長はフランスの政治は成熟しているのかと聞いて、成熟していないと聞いて、これやった意味がないと言っていたが、意味はあったと思う。盲目的に欧米追従はもうやめた方がよいということである。アメリカの大統領選挙などを見たら、見習おうと思わないであろう。ロシアやチャイナを見習おうとも思わないであろう。英国の外交は上手いとは思うがずるいという印象の方が強い。無責任外交である。イギリスの国益は守られているかもしれないが、果たしてそれでいいのか。しかしヨーロッパで見習うとしたら、やはり島国という共通点を持つイギリスの方かな。フランスは自分基準が多いように思う。庶民の不利益を基にして、フランスの貴族は存続しているように見える。明治維新後一番見習ったのはドイツであるが、その是非はまだきちんと検証されていない。アメリカは押し付けてばかりで、早くアメリカの影響下から抜け出さないといけない。150年以上続く欧米崇拝から脱却しないと、潰されてしまう。いいように利用されて、再生することが出来なくなってしまう。現代の日本人が何を良しとして継続してきたか、考えないといけない。持続可能な社会はいつまで続くが問題になる。持続可能な社会であった江戸時代が、欧米の恫喝外交に屈したのは、何が足りなかったのだろうか。軍事力であろうか。国を守ろうとする気概であったろうか。情報の不足であったろうか。隠蔽体質のせいであろうか。

 やはり今こそ言おうではないか、「日本が一番」と。長い旅行から帰ってきて真っ先に思うこと、「我が家が一番」である。他家と比較する必要はない。「我が家が一番」と思えて、我が家の為に尽くすのが「一番の幸せ」になるのが、最善のように思える。そのために知恵を絞り、努力を重ねて、永続するものを大切にすることである。「消費は美徳ではない」と叫ぼう。美徳になる消費もあるというだけである。