黒澤明監督作品の「生きる」を見た。最初は池袋の「文藝地下」で見た。おそらく浪人時代である。2回目はTVで見たと思う。教員時代だと思うのだが、いつだったかよく憶えていない。市役所のたらいまわしが記憶に残っている。そして今回は3回目である。録画していたのを、よし見ようと思って見た。死期が近いというのでは、一番身につまされた。志村喬の怪演とでもいうべき演技にも共感を覚えた。以前はやり過ぎだろうと思っていたところもあったが。

 前2回と違ったのは字幕を利用したことだ。お陰でセリフがきちんと入ってきた。時代背景は昭和26年だと思うのだが、東京はあれほど復興というか、にぎやかになっていたのかなと思った。昭和26年ならば私が生まれた年である。不思議に思った。

 30年近く無欠勤だった市役所の市民課の課長渡辺勘治が病院に行き、胃癌だと気付かされる。待合室で一緒になった患者の、胃癌患者に対する医者の対応を聞いて、その通りだったので、愕然とする訳である。1年か半年の命と知り、茫然としている所に息子夫婦の本音トークを聞かされる。翌日から市役所を無断欠勤して、しかも当時としては大金の5万円(おそらく100万円相当だろう)を引き出して行方不明になる。とある居酒屋で流行作家と思われる小説家と知り合う。アドルム(睡眠薬?)を私は要らないからと言って、用立てたところから一緒に飲み、自分は胃癌であると告白する。自殺しようとしたが死ねないと言う。持っている5万円を一気に使いたいという。その使い方を小説家に頼むのである。小説家はパチンコ屋やダンスホール、ストリップなどに連れて行く。「命短し恋せよ乙女」の歌唱の部分は印象的である。ラスト付近のブランコに乗って歌う場面も印象的であったが、志村喬のアップの場面はこの時のものであった。ブランコのシーンでは顔のアップはなかった。

 パチンコはまあギャンブルの代用品みたいなものである。バーのシーンもあったが、酒と女である。そして歌と踊りである。小説家の案内では、人生の楽しみも生き甲斐も見いだせなかったようである。車の中での小説家の表情が印象的であった。女たちの歌も聞きづらいものであった。「パングリッシュ」という言葉を思い出した。

 翌日帰途に就いていた主人公に声を掛けた娘がいた。市役所を辞めるために課長の判が必要な女子職員の小田切である。夜の女たちと違って昼間の若い娘は主人公にとって眩しかったようだ。判を押すために二人で帰宅するが、息子夫婦が言い争っていた。二人が家に戻っても二階にいて、様子をうかがうだけである。欠勤届を書いて小田切に渡そうとするが、靴下が破れているのに気が付き、靴下を買ってやる。想定以上に喜ぶ小田切と喫茶店であろうか話をする。小田切の市役所職員に対するあだ名を喜び、自分のあだ名を聞くが、「ミイラ」と聞いて驚くが合点が言った感じである。辞表の提出は明日にして、今日は付き合ってくれとなったのであろう、次々と色々な所に行く。最初は主人公の案内でパチンコ屋である。その次は小田切の案内であろうスケートリンクである。次は遊園地でお汁粉か何かを食べているシーンである。小田切の旺盛な食欲を微笑んでみている場面はその後も何回か続く。次は映画鑑賞である。その次は鍋を囲むシーンである。そこで主人公はミイラのようになって働いた理由を話すが、小田切は相手しない。「息子さんが一番好きなくせに」と言われて家に帰る。しかし邪険に扱われてへこんでしまう。辞めた小田切の下に通う毎日が続くが、小田切はもう辟易している。主人公は胃癌であることを告白して、何かをしたいが、その何かがわからないという。小田切は「ただ働いて食べて、それだけよ」と答える。「もう、遅い」とつぶやくが、気を取り直したのか、「いや、遅くはない。やる気になれば」と言っておもちゃを抱えて去っていく。背後には「ハッピーバースデー」の合唱が鳴り響いている。

 最初の1週間の〆は小説家の案内では人生の楽しみというようなものであったが、不調に終わった。次の1週間では活気ある若い娘の助言みたいなものであった。「課長さんも何か作ってみたら」であった。翌日から役所に出勤して、公園作りになったのである。5ヶ月後に亡くなって、葬式のシーンになったが、それから主人公の行動の謎解きになった。映画の「羅生門」を思い出した。映画はまだ3分の一以上残っていた。葬式の最後はやる気になれば、自分たちも何かできるぞで終わったが、日常に戻ると、以前と同じであった。最後は主人公が作った公園の場面で終わったが、少し物足りなかった。あまり深読みしてはいけないのだろうが、「命短し恋せよ乙女」は大正時代のラブストーリーである。人生は青春で終わりではない筈である。