初日横綱大関全滅でスタートした大相撲夏場所は、無事に新小結大の里の優勝で幕を閉じた。今場所は本当に休場者が多かった。しかも途中休場者が多く、本場所中の取り組みでの怪我によって、休場を余儀なくされている。休場は完全に黒星扱いである。これにも少し納得がいかない。公傷制度も廃止されて長い。確か理由は公傷制度を悪用する例が多くなったであったと思う。この時も変だなと思った。悪用する力士親方を罰すればよいことで、公傷制度そのものを否定することではない。特に本場所中の怪我については、目の前で起きていることだし、公傷の是非も含めて本当に検討してほしい。

 以前にも書いたが、伝統であろうが、土俵をもう少し低くしたらどうであろうか。あの高さから合計体重300キロを超す力士が落ちたら、普通ならば怪我して当たり前である。よく言われる「怪我をしない体作り」であるが、限界があるであろう。たまり場の距離は昔より遠くになったように感じるのは気のせいであろうか。親方や観客の怪我には注意を払っても、力士の怪我に対しては昔ながらの態度では、やはり角界に入れるのは、親御さんは心配するであろう。

 それとビデオ判定を取り入れられるようになってから、顕著になったが、少しでも早く土がついた方を負けにすることである。だから土俵際で悪あがきする方が有利になった。相手力士を思いやる行為は損なことになってしまった。かばい手は原則禁止みたいになってしまった。「体がない」の判定も厳しくなったように思う。「うっちゃり」の決まり手が少なくなったように思う。「体が割れた」と認められたらどちらが早く下についたかどうかは、関係なかった。土俵から落ちる時、我が身をかばう動作をするのは当たり前である。ビデオ判定が絶対な物であれば、5人の審判は必要ない。見るところでも判定が異なるであろうし、判定できない場所のところもある。審判長が一人で決めるのではなく、協議するのである。5人という奇数にしているのも意味があるのであろう。行事の権限も小さくなったように思う。試合を裁くレフリーに権限が集中しているのが、欧米のゲームである。周りで見ている者に権限を与えているのはおかしいとなるのである。昔は立行司には、理事選挙の時に投票権があったように思う。横綱にもあった。必要以上に親方の権威権力が強くなったように思う。白鵬のようになってもらっても困るが、力士の怪我についてはもっと配慮すべきであろう。出来ることは一杯あるはずである。立ち合いの浄化も必要だと思うが、立ち合いで待ったを連発したり、行司の指示に従わない力士は負けにすべきである。手を下ろさなかったり、早くつっかけたり、アマチュア相撲の欠点が大相撲にも持ち込まれた気がする。アマの大会はトーナメントなので、立ち合いの重要性は大きい。結果としては、まあ汚くなっていく。3分も4分も仕切るのは、気合を整えるためと、呼吸を合わせるためである。八百長を無くし、力士の健康管理にも注意を払うのであれば、私の提言のいくつかが実行されることが望ましいと思うのだが。

 大の里が優勝したことで、舞の海さんが面白いことを言っていた。「入門して1年だから、稽古の貯金があるわけではない。入門した時から強かったのだ」と。ではアマチュア相撲のレベルが向上したのかというと、言葉を濁していた。同じ学生相撲上がりの舞の海さんには認めがたいものがあったのであろう。解説の玉ノ井親方は高校相撲から角界入りをしたが、高校からの力士は大成しないというので、かなり頑張ったそうである。昔は大飯は食べさせてくれるが、給料は出なかった。関取になって給料が出るようになっても、他のスポーツと比べて給料は低かった。今のように収入の多寡で、その人間の価値を図るようなところは少なかった。職業にしてもそうだった。教師は安い給料だったが、尊敬されていたそうである。周囲の人々に助けられたそうである。官僚もそうだった。実業家になった同窓生と比べて、収入の面では段違いだったそうである。しかし世の為人の為になる仕事をしている感覚があった。実業家は悪く言えば金儲けの為ということで、一段低く見られたものである。士農工商は江戸時代の身分制度であるが、農民の方が町人より上とされていた。最近TV番組で言っていたが、最も生活が苦しかったのは武士階級の人々であったそうである。「武士は食わねど高楊枝」は本当で、武士は食っていけなかったようである。原因のひとつは、米で給料が支払われていたせいだそうである。幕府が開かれたころの米の値段と幕末の米の値段は、細かい数字は忘れたが、半分どころではなくて10倍以上違っていたそうである。貨幣経済の浸透でそうなったそうで、一番裕福なのは町人だそうである。江戸町人の識字率は大変なもので、長屋住いの町人でも子どもの教育には力を入れていたそうである。経済的には町人が武士を圧倒していたそうである。貧しい下級武士の反乱が「明治維新の正体」であるとも言われていた。

 大谷選手の7億ドルのインパクトは大きい。長嶋王の両選手の給料は今から見ると低かったそうである。給料が増えても税金で持って行かれるので、あまり給料の話はしなかったらしい。1億円になかなか乗らなかったそうである。二人は副収入も多かったであろうから、あまり気にしていなかったかもしれないが、世間でも給料の多寡でその人間の価値を決めることなどしていなかった。ボクシングなどは命を削って戦うわけだが、ファイトマネーは少なかった。しかも年間の試合数は少なかった。日本チャンピオンぐらいでは、アルバイトをやめるわけにはいかなかったらしい。現在井上選手のファイトマネーは億を超えているらしい。しかし年収では野球やバスケットボール、サッカーなどには及びもつかないみたいである。スポーツの価値は年収や観客動員数では計られないものだと思うのだが、マイナースポーツ好きの僻みであろうか。

 私は高校時代はテニス部(ソフトテニス)であった。雨の日は体育館で他のスポーツを見るのが好きだった。同じマイナースポーツのバドミントンや卓球を見ることが多かった。卓球は中学時代友人と卓球場で遊んでいた時期があったので少しは出来たが、バドミントンはしたことがなかった。私は前衛であったのでバドミントンのスマッシュが参考にならないかなどと思って見ていた。母校のバドミントン部はインターハイや九州大会まで出場していた。卓球部は県大会に出ていたようだ。テニス部は以前は強かったらしいが我々の頃は県大会出場が目標で、目標を果たせなかった。

 別に意識していたわけではないが、マイナースポーツが好きで、メジャースポーツにはちょっと距離を置きがちであった。顧問時代も他のメジャースポーツに選手を奪われていたので、なかなか好きになれなかった。しかし奪われたというのは言い過ぎで、やはり魅力を発信することが出来なかったせいであろう。中学時代に全国大会に出場していた生徒で、3年生の時学級担任になったので、何故高校ではテニスをしなかったのか訳を聞いた。部活動は楽しかったが、テニス自体はあまり好きでもなかったそうである。高校に入って他のスポーツをするには、レベルが違い過ぎるので、結局どこにも入らなかったそうである。バスケットボールが好きだったそうである。

 大相撲に話を戻すが、高安が2日目大の里を破った後、腰痛再発で休場した。再出場したがいきなり大関戦を二日連続で組まれた。ところが両方とも勝ってしまった。元大関とは言え現在は平幕の途中休場して再出場した力士に、現役の大関が簡単に負けるかねと思った。新入幕力士の優勝に続いて、入幕3場所目の力士の優勝は、当人の強さもあるであろうが、やはり大相撲の実力の低下であろう。競技人口が減ったので、専門性が高まったのはよかったかもしれない。ただどこにも相撲部があるわけではない。これも舞の海さんの言葉であるが「大の里はこれほどの背丈があるのでどのスポーツをやっても成功しただろう。よく相撲を選んでくれた」と。故貴ノ花は中学時代はオリンピックを狙えるバタフライの選手であった。中学を卒業して兄の二子山部屋に入門した。水泳選手としては大柄な体も相撲取りとしては小柄であった。軽量は大関になっても変わらなかった。130キロぐらいにまでなっていたら横綱も夢ではなかったかもしれない。弟弟子には二人の横綱が出たが、彼自身は名大関で終わった。しかし息子は二人とも横綱になった。残念ながら二人とも相撲協会を離れてしまった。相撲は続くと思うが相撲協会はどうなるのであろうか。