政権交代は「禅譲」と「放伐」の他「世襲」がある。長く続いたのは日本の皇室がある。男系男子による世襲の為、途切れる恐れもあったので、色々と工夫があったようだ。古代においては男系男子の王子の間で争いもあったようである。王子の取り巻きによる争いが多いと思われるが、兄弟による順送りに即位するなどもあったが、男系女子の天皇も誕生した。多くは男系女子の皇后が即位するのだが、未成年の皇子や皇孫の成長を待つという意味合いが強かった。継体天皇以後は実在したことも確認されており、以前とは違って「神話」を荒唐無稽の物語には考えないようになっている。事実「神話」における史実の部分も確認されている。「トロイの木馬」だけではないのである。

 日本人には血を見るのを忌む習慣もあり、祟りを怖れる心も強かったようである。平安時代においては天皇皇族だけでなく、貴族などに対しても死刑は避ける傾向があった。遠島流罪がかなり重い罪に対しても適用された。源平の争いにおいて死罪も多く行われたが、一族皆殺しではなかった。源頼朝も源義経も助命嘆願によって死罪を免れている。本格的な武家政権の誕生によって、権威と権力の分離が進んだ。日本に於ける「政教分離」は天皇の権威は残すが政治的権力は武家が握るという形で、実施されていく。「祭政一致」は大体において普通に行われることである。宗教的権威は政治的権力を掌握するのが一般的である。GHQの押し付けた日本国憲法を有難く押し戴いて、「政教分離」がどうのこうのいうのは間違っている。明治政府は徳川幕府を倒すために、錦の御旗を押し出した。その後も天皇の政治利用を続けた。お陰で日本の近代化が急速に普及した利点はあった。しかし日本人が皆西洋風の近代化を望んだかというと、そうではないだろう。西洋列強に植民地化されないために、止むを得ず「富国強兵」「殖産興業」「脱亜入欧」を受け入れたのであろう。「王政復古の大号令」は実現しなかったのである。「天皇親政」という形だけを真似たのである。

 大陸においては「放伐」による政権交代は前時代のものを否定することから始まるのだが、一族皆殺しを実行することになる。9親等までの親族を見つけ出しては殺してしまうのである。復讐されないためのものであった。

 朝鮮半島では「李氏朝鮮」が長く続く。「両班」は武官より文官優位なので、良さそうに思えるが、完全な特権階級を作り上げた。そして韓国時代劇でお馴染みの両班同士の権力争いである。王族は広がらないように暗殺が横行するのである。形式的には敬っているが、単に利用するためだけのものである。両班の王族に対する敬意は希薄のようである。仏教も伝わったようであるが、両班階級にとっては儒教が必須教養になっていた。本場チャイナよりも儒教は両班に浸透したようである。孔孟の思想は政治思想であり、いかにして上手く治めていくかという思想である。「性善説」を説き「徳治主義」の場合は良いのであるが、「性悪説」になり、「朱子学」になっていくとまずいことになる。日本も朝鮮も朱子学が発達したが、「世襲制」を強固にしたようである。

 さてヨーロッパはどうであったか。世界史に疎かったので、ヨーロッパはローマ帝国の影響とキリスト教の影響で、宗教戦争以外は大した戦争はなかったように思っていた。王家同士の小競り合いという印象であった。モンゴル民族の蹂躙に遭い、むしろ気の毒だと思っていた。宗教戦争も浅はかにもキリスト教とイスラム教の争いと思っていたが、どうやら深刻だったのはキリスト教とユダヤ教の争い、カトリックとプロテスタントの争いの方が酷かったようだ。異教徒は許せても異端は許せなかったようだ。アメリカに渡ったのはプロテスタントであった。異教徒は人間ではなく、異端者は悪魔という訳である。殺すのに躊躇してはいけないのである。その内に「神は死んだ」と言って近代が始まる。神のいない世界は残酷なものであった。歯止めが効かなくなったのである。神や悪魔を自称する輩が登場するのである。現実世界を生きる人間にとって、天国や地獄はあった方が良さそうである。少しは悪行の歯止めになるかもしれない。

 さて政権交代は「世襲」がいいと思っている。毛沢東は「革命は暴力である」と言ったらしい。共産革命よりは「放伐」に近いものであったのではなかろうか。日本軍と主に戦ったのは蔣介石の国民党軍である。アメリカの援蔣ルートを使った支援によって、日本軍を一度は押し戻そうという勢いがあったようだ。共産党軍は軍事力を温存して、日本軍の降伏後にソ連の支援を受けて、国共合作ならぬ国共による内乱になったのである。共産党軍は大陸から国民党軍を駆逐して、台湾に追いやることに成功したのである。それが一段落したら朝鮮戦争の勃発である。ソ連の支援を受けていた北朝鮮は中共の支援も受けて強大になった。釜山付近まで攻め込んだらしい。アメリカを中心とした国連軍が苦戦したが、北朝鮮軍を押し戻した。38度線での休戦条約の締結になったわけである。朝鮮戦争が終わってしばらくしたら、ベトナム戦争である。米軍は南ベトナムの支援に北ベトナム軍やベトコンの抵抗は激しくて、アメリカは朝鮮戦争同様ベトナム戦争でも核兵器の使用を検討したらしい。ソ連の核抑止力を信じる者はこの二つの戦争を上げることが多いようだ。核戦争の脅威はキューバ危機にも起きた。そして現在はウクライナである。ロシアの核兵器使用を恐れるあまり、NATOは及び腰になっているようだ。「勝った者が正義」という風潮を無くさない限りは、なかなか難しいのである。ロシアは絶対負けないようにするであろう。ロシアを追い詰められないのである。ウクライナ国民の被害は甚大なものになっていく。

 現代では政権交代は「選挙」というのがある。私は民主主義は最善ではなく、次善の政治体制ではないかと思っている。「選挙の不正」が盛んに言われている。昔「禅譲」に見せた政権交代に「簒奪」というのがあった。現在のロシアの大統領選挙も「見せかけの選挙」に堕しているのであろう。過半数が選挙の勝敗を左右するのに、投票率で制限を設けることは出来ないのか。地方の首長選挙では半数割れはざらである。私が学校で習った頃には制限選挙は悪いものになっていた。戦後のGHQの占領政策では、男女平等の無制限の選挙が行われた。それがあたかも民主主義の獲得みたいに言われていた。無責任な政策である。

 現在の選挙であれば、志高く、人格的にも素晴らしくても、組織の言いなりになる人しか選挙では勝てないであろう。「選挙」に色々と制限を設けるべきであろう。選挙の妨害などはもってのほかで、殺人罪は行き過ぎであろうが、傷害罪に匹敵するような刑罰を与えるべきである。有権者の半数以上の投票がないと、選挙は無効になるとかしないといけないのではないかな。3回以上棄権したら、投票の権利を停止するとかいうのもありだと思う。近代国家が成立する過程において、義務教育などが盛んに叫ばれたのは、有権者の形成である。言論の自由も民主主義には必須であるが、一番機能しなければならない時が「選挙」時である。マスコミは勝手に「世論」をでっち上げるのではない。千年以上にわたって次善とされてきた「世襲」を簡単に否定するのではない。未だに共産革命を信じているのか。「革命は暴力である」と指導者も言っている。「聖人君主」を待ち望んでも、今の選挙制度では「聖人君子」は立候補しないであろう。「選挙」が「禅譲」に近いもの成るとか、「世襲」よりも立派なものにするには、本当に選挙制度を必死で考えないといけない。卑近な例ではあるが、学校における「学級委員選挙」はいじめにもなっているらしいではないか。「選挙」も使い方次第では善にも悪にも成る。よく考えてほしい。