正月に録画していた「イチケイのカラス」を見た。検事や弁護士を主人公にしたドラマは多いが裁判官は難しい。結果として破天荒な裁判官をドラマでは主人公にした。しかし映画ではむしろ弁護士を主人公と言ってもいい内容になった。竹野内豊主演のドラマであったが、映画ではむしろ黒木華の方が主演かな。相手役に斎藤工という弁護士を配した。

 企業城下町の岡山の田舎町「日尾美」が舞台である。スタートはイージス艦と民間の船舶の衝突事故ということで、向井理演じる防衛大臣が真相を隠蔽しているかという事件である。裁判官が竹野内豊である。竹野内豊はあっさり裁判官を交替させられる。衝突事故の真相は闇の中かと思われる。

 一方2年間の弁護士を「日尾美」町で勤めている黒木華は企業による環境汚染問題を扱い、町民から激しいバッシングを浴びせられる。詳細は映画を見ていただく方がよいと思うので、感想の方に移りたいと思う。ラストの方のエンドロールが流れるシーンで、「法の下の平等」と「裁判は真実を明らかにする場である」とナレーションが入る。「ただし必ずしも真実で人が救われるとも限らない」とつづく。衝突事故の方は民間の船舶の方に事故原因があり、船長の環境汚染の隠蔽工作に関与していた事がわかる。船長の妻の田中みな実が主張していたイージス艦側に事故原因があったのではないかというのは、しりぞけられる。船長の悪事への加担が明らかになる。そして環境汚染を隠蔽していたのは、子どもの時に「日尾美」を守ろうと誓い合った5人の町民であった。

 私は生まれも育ちも、福岡の大牟田である。約2年3カ月ほど、山口の現在は下関に吸収合併された所に住んでいたが、19で上京するまでは、ほぼ大牟田で暮らした。小学校3年生から高校卒業するまでずっと「耳鼻咽喉科医院」に通院していた。そこで漫画週刊誌を読み漁ったわけであるが、中学2年の時と、高校2年の時と2回鼻の手術をしている。満性鼻炎は治るはずであったが、上京するまでは、鼻炎は治らなかった。空気が悪いとされた東京に出てきて、鼻炎は治った。大牟田よりは東京の方がずっと空気が綺麗だったのである。皮肉でもなんでもなく、私が住んでいた所は大牟田港の魚市場の近くで、大牟田川を挟んだ向こうには工場群が立ち並んでいた。5市合併で北九州市が100万都市になった頃は、大牟田の人口は九州では7番目であった。佐賀、宮崎、大分には大牟田より人口の多い都市は無かった。順番は忘れたが北九州、福岡、熊本、鹿児島、長崎、佐世保の次であった。三井の城下町であったわけである。高校生の私は友人と嘆き合ったものである。「大牟田には大学どころか短大もない。高校を卒業したら町を出るしかない。大牟田の半分ほどの人口の久留米には大学も短大もある。美術館でさえある。大牟田にあるのは飲み屋とパチンコ屋と映画館ぐらいなものである」と。その違いを三井と石橋の違いにしていた。石橋は地元に貢献しているが、三井は地元への貢献度は低いと。三井が引き揚げた後には何も残らない。現在は短大もあるし、大学の一部もあるらしいが、入学する若者がいない。昔は自転車やバイクを乗っている青少年を数多く見かけたものであるが、今はほとんど見かけなくなった。道路は私がいた時よりも、広くなり、数も増えたよな気がする。しかし以前の繫華街はシャッターが下ろされた所ばかりである。一時期は大牟田が話題になる時は、大抵公害問題や殺人事件がらみが多かった。正直目にしたくないことばかりであった。地元故郷を守るにはどうしたらよかったのか。

 映画「イチケイのカラス」でも、「日尾美商店街」がシャッター街になりつつある。田舎では町の中心に「商店街」が発達して、郊外に行くと緑豊かな光景が広がるようになっている。第一次産業ではそんなに人口は増えない。商工業が発展したところが大きな町になってゆく。商業都市はまだ良いが工業都市が良くない。石炭で栄えた大牟田は、石炭が必要とされなくなって没落の坂を転げ落ちてしまった。関連の産業も没落してしまった。最盛期より人口も3分の1近くに落ち込んだ。私の卒業した小学校も中学校も高校も無くなるらしい。母校は大学だけになるようだ。

 何回か「法律は不完全である」と劇中に語られている。法律が人々を幸せにするのではない。私は度々国会議員は法律を作れと言っている。不完全な法律でも少しでも完璧に近づけるべきである。政権を取るのは何の為か。国民の幸せのための法律を作るためではないのか。向井理演ずる若き防衛大臣が述べる。「判断するのは国民ではない。判断するのは政治家だ」と。現在左派勢力を中心に、有権者の1票の格差是正と言って、地方の議席を減らして、都市圏の議席を増やしている。首都圏だけ防衛して、辺境の地はどうでもいいというのか。人間は動くものである。人口の移動に合わせて、議席数を増減する必要はない。地方では勝てない政党が、中央で議席を獲得しようとしている。共産党は中央の命令が絶対である。地方の実情などは無視である。ソ連共産党がウクライナの実情を知らずに、食料を奪い取ったので、ウクライナの人々が飢え死にをしたというのも、歴史的教訓であろう。中央は責任転嫁するだけで、自分自身で責任を取ろうとしない。昔の責任の取り方は切腹ものであった。死ねば良いというものではないが、責任の重さの自覚が、最近の政治家には足りないようである。万年野党の政治家に責任の重さを自覚しろと言っても無理なのかもしれないが、与党にも票の重さを自覚しない輩が増えているようだ。政治家が劣化すると、民主主義はむしろ機能しない。むしろ悪くなる。「衆愚政治」とはうまくつけたもので、愚かな大衆に迎合していたら、とんでもない事態を引き起こす。一応ロシアも中華人民共和国も民主主義の国である。ナチスドイツもドイツ国民の支持によって台頭し、勢力を拡大していった。ヒトラー総統を生み出したのである。

 近代民主主義を支える制度として、軍隊の創設と学校の創設がある。軍隊はもちろん国家、国民、国土を守るためである。学校の創設は良識ある国民を育成するためである。正しく投票してもらわないと困るので、言論の自由や情報の開示が求められる。国民の大多数が支持したのであれば、それに従おうというのが民主主義の根幹である。私は反対したのだから、それには従わないでは困るのである。選挙の不正は許されないのである。

 民主主義が最善の政治体制とは思わない。自由であることが、人間の最大幸福とも思わない。だから自由民主党が最良の政党とは思えない。政治家も官僚も劣化して、経済人もおかしくなったら日本はどうなるのであろうか。マスコミは元来不見識なものである。最大の理由は責任を取らなくてもいい存在だからである。無責任なのが当たり前なのである。日露戦争後の講和条約を不満として、日比谷焼き打ち事件を起こしたり、小村寿太郎襲撃事件を正当化したのは、どこのマスコミだったか。5.15事件や2.26事件で海軍や陸軍に同情的だったのは、どのマスコミだったか。真珠湾攻撃で、米英に宣戦布告して熱狂したのは、どのマスコミだったか。マスコミはどうせそのようなものと、取捨選択して判断するのが、民主主義国家の国民の義務なのであろう。そのための学校教育なので、偏向教育は間違いなのである。高校教員をやっていて、生徒が悪いと思ったのは、ほとんどなかった。悪いのは大体教師や親であった。生徒が悪いと思っても、大体許容範囲内である。これは私が幸福な教員生活が送れたせいかもしれないが、生徒は本当に悪いことをしようとは思っていないことが多い。新聞やTVで見る事件は本当の事とも思えないことが多い。模倣犯が増えているのであろうか。真相はどうなのかな、気になることが増えた。