岸田政権の行方が心配である。自民党と公明党の連立政権で揺るぎのない政権の筈が、政権交代の大合唱が起きそうな雰囲気である。民主党政権の悪夢があるので、第一野党の立憲民主党に政権が転がり込む筈もないのに、妙に野党の鼻息が荒い。支持率が1割にも満たない政党が政権を取れるわけがないのに、本気で思っているようなのは、岸田首相が自分は支持されているような錯覚を起こしているようで、随分と情報の取捨選択を間違えているようで、うそ寒い気がする。日本の政権のトップが間違った判断をしそうで怖い。6月解散説もあるが、しない方がよいだろう。ここまで岸田首相の支持が下がるとは思わなかった。安倍派は岸田首相を選ばずに、高市早苗氏を選べばよかったかもしれない。女性首相の誕生は日本の政治に風穴を開けたかもしれない。

 トップに上り詰めた人間のすることには、大きく二つに分けられるようだ。一つはいつまでも自分が長くトップの座に君臨できるようにすること。外国ではロシアやチャイナが大きな例であろう。自分がいつまでもトップに居れるように、法律までも変えてしまう。自分がトップにいることが、国民の幸せになっていると錯覚しているのであろうか。

 もう一つは、自分がやりたかった事を自分の任期中にやってしまおうという考えの持ち主である。古くは田中角栄首相がそうだったが、結局は引きずり降ろされた。アメリカの思うつぼであった。アメリカの半植民地であることを知らしめる事件であった。しかしマスコミは持ち上げる時は盛大に持ち上げておいて、後は知らんぷりである。むしろ水に落ちた犬は叩くという感じであった。

 最近では安倍首相だったと思う。全部が全部良かったわけではないが、かなり日本や日本国民の為に尽くしていたと思う。余程腐った連中が政界や言論界に巣食っているようだ。日本が潰れる方が世界の為と思っている連中がかなりいるようだ。親中も親米も嫌いだが、別に反米という訳でもない。欧米化が曲者である。世界というと欧米が中心である。キリスト教世界ならばまだましだがエセキリスト教世界である。イスラム教社会の事はほとんど伝えないのは、知らないのではなく、反イスラムだからであろう。つまり欧米崇拝主義者が多いということである。欧米の帝国主義的世界支配がどんなに人々にとって不幸をもたらしたのか、知らないわけではないと思うのだが、まだ欧米にへつらう犬に成り下がっているのかな。奴隷というのが言い過ぎならば家畜かせいぜいペットの位置である。日本に主権がないので、外交では一貫性がない。国際的な信用を得られない。「お前はどこを向いているのか」と責められそうである。「脱亜入欧」はもう過去の事である。第一ペリー来航によって開国して万々歳みたいな感じになっているが、幕末の庶民がどれほど苦しんだか。その苦しみが明治維新を下支えしたのである。「尊王攘夷」はいつしか「尊王討幕」になってしまい、勤皇の志士は天誅という名の下にテロを繰り返した。しかし「尊王討幕」はスローガンであり、実質は尊皇思想によるものではなかった。「天皇の政治利用」である。薩摩は特に「尊王思想」が盛んだったわけではない。「生麦事件」を起こしたのは別に尊王思想によるものではなかった。薩摩の行列を横切った異人を無礼討ちしたまでである。薩英戦争はむしろ英国の敗北とも言える状況だったらしい。被害は大きかったが一方的にやられたわけではない。長州藩も攘夷を決行して外国の4ヶ国に攻撃を受けて下関を占領されたが、領内の被害は長州討伐ほどではなかった。当時の徳川幕府がやはり弱腰外交だったと言えると思う。阿部老中が亡くなった後は、どんどん目前の諍いを避けるために、経済が駄目になった。日米修好通商条約だったかな、あれが良くなかった。国内の金は大量に外国に流れるし、物価はむやみやたらに高騰する。その後の塗炭の苦しみを味わうぐらいならば、攘夷決行が良かったのかもしれない。日本の武力を知れば簡単には攻め込まれなかった筈である。「アヘン戦争」とは違うことを示せたのではなかったであろうか。石原莞爾の言う通り、ペリー来航による力の外交に屈したことによる不利益は、昭和の時代まで影響したわけである。昭和20年9月2日の降伏文書締結の日にアメリカはペリー来航の時の星条旗を持ってきたらしい。アメリカの日本支配の野望が結実した日になったのである。1850年代の戦いだったら、300万人も死ぬことは無かったであろう。徳川幕府の役人たちは高級官僚化してしまっていて、戦うことより、目の前のトラブルを処理することに懸命だったのかな。孝明天皇の攘夷決行の考えは世界を知らない人間のたわ言みたいな扱いになっているが、伝染病の流行なども考えあわせれば、攘夷は立派な政策の一つであったろう。開港の間に軍備増強をしていれば、遠路はるばるやってくる外国船にいつまでも蹂躙されることはなかったのではないだろうか。外交の背景に軍事力があることは自明のことであるが、軍事力を支えるのは経済力と戦意である。歴史をやり直せるならば、19世紀半ばからやり直したい。まだ敗戦を知らず、物質文明の毒に晒される前の日本に戻りたいものである。「清く貧しく美しく」である。貧しいのは我慢できるが、汚れてしまい醜くなった日本は我慢できないと思うがどうであろうか。