夏場所は二日目で横綱大関が休場するという異常事態である。初日からの休場の朝の山は巡業中でのことで、尊富士は先場所の強行出場の影響もあるだろう。初日駄目だったからではなく、やはり出場自体が無理だったのである。出場すれば悪化することはわかっていただろうに、照ノ富士は引退もあり得るかと思った。よく次世代の横綱候補に敗れて引退を決意するというものである。大の里が横綱候補というのは間違いない所だろう。大関陣では琴櫻も横綱候補かな。霧島は首だというので無理だろう。豊昇龍は雑な相撲が少なくなれば横綱候補になるかな。貴景勝はもう無理だろう。手術をすると1年ぐらいかかるらしいからな。元大関の大関復帰は全員無理みたいになってきた。朝の山が復帰できると思っていたが、怪我による後遺症は長引くからな。「稽古で治せ」はもう古すぎるだろう。大の里、熱海富士、尊富士は少なくとも大関候補にはなるだろう。新十両にも期待の若手がいるらしいので、また入幕1,2場所で優勝争いをさせてほしくないな。一時期毎場所のように新入幕力士が優勝争いをしていた。せめて関脇小結で止めてほしいものである。大鵬も確か小結柏戸に止められたと思う。二人は横綱は同時昇進だった。青年横綱で人気があった。

 昨日相撲協会の改革案を出したので、今日は年寄株の問題に触れたい。以前は協会預かりが良いだろうと思ったが、年寄株の高騰化でそうしたが、あまり良くなかったようである。一つには一門内で回らないので、名門株の下落が起こったようである。千代の富士が一代年寄を断った理由としては、九重の株が欲しかったからという。一代年寄の株は継承が出来ないので、部屋も一代きりになる。大鵬部屋も北の湖部屋も貴乃花部屋も今はない。最近は横綱大関に食わせてもらっているという意識を持った親方がいないようだ。自分の方が偉いと思っている。以前は理事選挙の投票権は横綱や立行司にもあったと聞いていたが、今はどうだろうか。花籠親方や二子山親方が力を持ったのは、横綱大関を複数育てたというのが大きいと聞いたことがある。元々花籠部屋は二所一門を破門になっていたと聞いたことがある。出羽一門も長くそうだったが、一門からの分家独立を認めなかったというからな。横綱大関まで行かなくても役力士誕生で十分に部屋は大きくなっていくらしい。部屋を起こしての最初の目標は関取誕生である。「江戸の大関よりも地元の三段目」というのは、巡業での人気ぶりを表しているそうである。地方場所を増やしてほしいという需要はあったのだろうが、やはり6場所は多い。4場所か2場所でもいいと思う。巡業で全国を回って、寺や神社の一角には土俵があるのが当たり前になってほしい。スポーツ面はあると思うが伝統的な神事の一つでもあるのだから。私の小学生時代は校庭の一角には土俵があったものだが、今ではどうであろうか。怪我が心配なのかな。

 MLBのドジャース対パドレス戦の第3試合はダルビッシュ有の好投が光った。大谷は残念ながら休みであった。腰に張りがあるというだけで途中交代だけではなく、翌日の完全休養も設けるMLBは流石に健康管理は進んでいる。しかしそれでも投手の故障発生は止められない。無理のない投げ方で終始しているわけではないようだ。しかしサッカーやバスケットボールもファールには厳しくなったようだ。何億もかけた選手が簡単にケガさせられて、試合に出場できないようでは困るからな。北朝鮮の恐ろしさは、自身の怪我も恐れないラフプレーにあるのは、試合を観ててそう思う。晩年の白鵬が相手力士の怪我の心配をしないような立ち合いには、もっと厳しい処分を課すべきだったと思う。朝青龍の時もそうだったが、親方の指導が行き届かなかった。及び腰である。まあ閉ざされた世界であるので、自分のルールが絶対化してしまいがちである。しかし欧米人の作るルールはファールもルールの内である。ペナルティを与えることによって正当化してしまっている。事後のルールで事前のファールは裁けないことになっている。帝国主義時代の数々の悪行も正当化されている。キリスト教文明の光を当ててやるという押しつけがましい、よく言えば善意で、悪く言えば悪魔の心で、植民地支配をしてきた。もっとも戦争に略奪と虐殺は当然のことだったのであろう。殺されたくなかったら奪われろということか。

 またまた脱線してしまった。スキージャンプの服装規定違反も思い出した。貴族のスポーツとか言われるものは、陰湿なルール改悪が行われているような気がしてならない。