5月8日、9日の両日に行われた名人戦第3局は久しぶりに藤井曲線を描いて、藤井聡太名人の完勝であった。豊島将之九段はどうも体調が悪かったように見えた。表情にも精彩がなく、疲れた様子が見えた。それでも1日目はほぼ互角の進行であった。しかし豊島九段は長考して、封じ手の頃は3時間近くの残り時間の差であった。封じ手を迎えた藤井名人は封じ手時刻を迎えてもしばらくは着手せず、40分以上考えて封じた。解説の話では、ほぼ二択ということだった。1六角か、2三歩であった。午後7時近くに藤井名人は封じた。残り時間は藤井名人は5時間53分、豊島九段は3時間42分で約2時間の差である。AIの評価値は53:47%であった。ほぼ互角である。最近は藤井名人は中盤戦の入り口では50%台半ばの時が多い。場合によっては60%台に乗ることもある。しかしそれから指し手に伸びが無くなって、自分から転げ落ちる感じである。豊島九段は最後にミスをして勝ちを収めることが出来ないが、伊藤匠七段は最善手を指し続け、藤井叡王を追い詰めている。持ち時間の差が大きいのかな。

 ABEMAの解説は1日目も2日目も新四段を起用していた。公式戦の前に解説デビューということで、かなり緊張していたようだが、次第に落ち着いてきた。山川泰煕四段は25歳、高橋佑二郎四段は24歳で、どちらも年齢制限が気になる頃の昇段である。人生の半分以上が奨励会であったと語っていた。山川泰煕四段は小学生名人である。5年生で決勝で徳田拳士四段に敗れて、翌年優勝して小学生名人の仲間入りをしている。その翌年は宮嶋健太四段が、その翌年には森本才跳四段が優勝している。奨励会時代に抜かれた訳である。しかしこの頃の準優勝者の名前にはプロ入り後活躍している棋士が多い。最近は小学生倉敷王将の低学年の部の優勝者に注目が集まっている。伊藤匠七段は2年生で藤井竜王名人を破って準優勝になっている。3年生までが低学年の部だが、3年生は藤井竜王名人が優勝して、翌年は上野裕寿四段が優勝している。三段リーグでその強さを認められて棋士になった者は、その後活躍している。代表的な例が郷田真隆九段であろうか。先に四段昇段を果たした「元天才」先崎学九段に心配されていたが、四段になったらタイトルを奪取してしまった。羽生九段や森内九段、佐藤康光九段と同じ「花の57年組」である。先崎九段は羽生九段等と同年であるが、56年入会組で、それが「元天才」と呼ばれる所以になっていくわけである。少し後では木村一基九段も何故昇段しないのか心配された1人らしいが、プロ入り後は勝ちまくって勝率は7割をキープしていたのではないかな。蓄えた実力は発揮されることを欲しているのであろう。「遅咲きの天才に幸あれ」だな。

 さて封じ手は1六角であった。よく考えた角でよく盤面を制圧していた。2日目の解説の高橋四段は9六歩と1六角、それに2六龍という手に感心していた。いずれも後でよく効いてきた。しかし最近の流れでは終盤に差し掛かる頃から、指し手に伸びを欠いて互角から不利になっていく事があるので、油断できないと見ていたが、TV中継に映る豊島九段の顔はかなりきつそうであった。将棋の内容のせいか、体調のせいかはわからなかったが、辛そうではあった。夕食休憩前の藤井名人の手番で、藤井名人が長考して夕食休憩に入った。7七同桂の一手であろうと思っていたが、夕食休憩後に指した手は6八玉であった。夕食休憩後は3手しか進まなかった。豊島九段が銀を取った後、いよいよ2四歩と藤井名人が打った手で、豊島九段は投了した。比較的はっきりするまで指し継ぐことが多い豊島九段にしては早い投了である。まぎれる手段は全部藤井名人が潰していったので、終局までは単に必然手を指していくだけである。その気力がないほど体調が悪いのであろうか。4局目まで10日足らずだからな。心配である。

 さて羽生七冠が年下の三浦九段に棋聖位を奪われたのは早かった。しばらくは羽生一強が続くのかと思っていたが、やはりネックになったのはスケジュール管理だったようである。藤井八冠がタイトルを全部取って、将棋会館の建設が重なり、イベント出演も増えた。仕方がないことだが、研究量は減ったであろう。同年の伊藤匠七段はレーティングでは永瀬拓矢九段を抜いて第2位である。名人戦を早く終わらせて、少し叡王戦に集中しないと、叡王位防衛は危ないであろう。山崎隆之八段との棋聖戦も待っている。第4局で名人防衛を願うのは、「贔屓の引き倒し」であろうか。