今日は「みどりの日」である。以前は4月29日であったが、4月29日が「昭和の日」になって、「みどりの日」は5月4日に移動してきた。昨日は「憲法記念日」である。以前にも祝祭日については書いたように思うが、再び触れてみよう。

 日本の祝祭日について思うのは、休日を増やすのを目的として、国民の人気取り政策の一環にしているように思えることである。「建国記念の日」を祝日にしようとして、野党とマスコミの猛反発を受けたことがある。「紀元節復活」であるとか騒がれて、戦前の軍国日本に舞い戻るのかと言われたりしたものである。「建国記念の日」を制定して、戦前の日本に立ち戻れたらよかったが、残念ながらそうはならなかった。その後「敬老の日」や「体育の日」や「成人の日」を毎年動かして連休を増やすようにしたり、「海の日」や「山の日」を作って、毎月一回以上の祝日を作ったりした。本当に自民党のすることは、こすっからい感じがする。何故堂々と祝日にする理由などを明らかにしないのか。もし祝日の可否で総選挙をしてもいいぐらいである。休日は有給休暇を取得しやすいようにすることの方が大事であろう。物事の軽重がわからないというか、頭の悪い人間が集まっているなと感じられた政党が自民党であった。かなり年齢が行くまで自民党に投票することは無かった。

 「憲法記念日」を祝日としているのもいかがなものかと思う。GHQの押し付け憲法というのは、今では自明のことなんだから、日本国民屈辱の日として、記念に残すのは悪くないが、祝日としていつまでも残すというのはいかがなものか。まだ独立をはたしていないと自覚するための日というのであれば、仕方がないが。むしろ「大日本帝国憲法」公布の日を祝日とすべきかなと思う。そこで「大日本帝国憲法」公布の日を調べたら、2月11日であった。現在「建国記念の日」として祝日になっている。自民党の人々を「深謀遠慮」の人々というよりも、やはり狡賢いという感じが色濃く残るな。私が聞いた話では「神武天皇即位の日」を新暦に直すと2月11日になるというものであった。恐らく明治の伊藤博文らも考えたのであろう。帝国憲法に思い入れもあったので、新しい日本の建国にふさわしいと思い、神武天皇即位の日を思いついたのかな。「名を捨て実を取れ」的な発想は祝日の制定についてはよくあるようである。4月29日は現在は「昭和の日」になったが、以前は「みどりの日」であった。自然を愛された昭和天皇にちなんで「みどりの日」と制定されたと聞いていた。私は昭和天皇誕生日でいいではないかと思っていた。祝日を変な方法で増やすぐらいならば、「明治の日」「大正の日」「平成の日」と歴代天皇の誕生日を祝日にするのが、祝日の意味にかなっていると思った。ところが明治天皇の誕生日を調べてみると11月3日であった。「文化の日」として現在も祝日になっている。大正天皇は8月31日で平日である。大正は15年間で終わりの方は昭和天皇が摂政宮として、代理を務められていた。当時も祝日として残すという雰囲気がなかったそうである。では平成はどうかとなると思う。平成は31年間である。明治は45年間、昭和は64年間である。以前は天皇一代で何回も改元されていた。江戸時代末期の数年間はかなり改元されている。天変地異が重なったためのようである。最近改元したらという議論があるそうだ。コロナ騒動や能登半島地震などがあったりで、世情が不安定だからということらしいが、私は賛成しかねる。天皇陛下にあまり負担をかけてはいけないと思っている。今上天皇陛下は先代天皇が存命中に即位された。そのことで異を唱える人も一部にはいる。しかし天皇が退位されることはよくあることだったのだから、死ぬまで続けろと言われても困ることも多い。大司祭としての役割も大きいのだから、健康は大事である。私は「平成の日」は祝日にして良いと考えている。国民の関心が皇室の在り方、日本の在り方について向くのは良いことだと思っている。

 私は万世一系で続いていることに価値を見出している。男系か女系かにはあまり興味はないのであるが、万世一系なのは男系であるのならば、男系で続けるべきだと思っている。愛子内親王が男系男子と結婚されて、男子を設けて、その子に将来の天皇を期待するのが、最も良さそうであるが、恋愛結婚至上主義が邪魔をする。現代人の勝手なご都合主義はどうも納得いかない。恋愛至上主義は離婚禁止や堕胎禁止とセットになっていると思うのだが、今はそれを口にする者がいない。強姦や不倫は原則死刑なのもセットである。不貞を働いた妻と一緒に間男も切り捨てても良かったはずである。それがキリスト教の倫理観ではなかったのか。社会の秩序保持というので、命がけであったのである。見合い結婚を封建的の名の下に否定した戦後の日本は、新民法で家族関係をバラバラにされてしまった。親戚関係も解体されてしまった。70歳を過ぎて思うに、生涯の内、何度恋愛をしたであろうか。この間ネットニュースでは日本人は3回とあった。これまた生涯未婚の友人と話したが、片思いを除けば、そんなものではないかなと言っていた。私は片思いも恋愛だと考えているが、友人は片思いでは恋愛にならないだろうと言っていた。だったらこれは恋愛だと断言できる者はゼロだと言った。片思いの相手には結局は振りむいてもらえなかったから。寂しい話だなと友人に笑われたが、どういう関係になれば恋愛だったと言えるのか。男女の関係になれば恋愛と言えるのか。まあ普通は言わないと思う。私の友人で恋愛結婚だなと思ったのは2人いる。しかし二人とも離婚してしまった。やはり恋愛と結婚は別物だと思うようになった。見合い結婚で結婚した先輩がいた。いい夫婦で、いい家庭だと思っていた。彼の所で止まったりすると心地良いひと時を過ごすことが出来た。残念ながら先輩は50代で亡くなってしまったが、いい夫婦でいい家庭だったという思いは消えなかった。地域共同体を考えた時、良い家族とはどんなものを言うのか。日本という国を考えた時、天皇の結婚はどうあるべきなのか。日本は母系社会だったと考えている。女尊男卑とまで言わないが、男尊女卑型の社会ではなかったと思う。欧米人が自分たちの価値観で日本を貶めようと色々言ってくるが、それを気にする必要はない。ようやく欧米人が日本に追いついて来つつあるのだと思えばよい。しかし欧米人が追いつこうとしている日本の社会を、日本人自身がぶち壊そうとしている。上位の階層の人たちが、日本を支配しようとしているわけではない。室町時代から戦国時代にかけて、支配層と被支配層の関係が変わったのだと思う。支配層が無理矢理支配しようとすると、強烈な反撥を受けることになったと思うのである。天皇家の在り方も貴族の在り方も変わらざるを得なかったのであろう。そして出来上がった時代が江戸時代なのであろう。アメリカの恫喝外交がなかったならば、徳川幕府は上手く着地できたのかもしれない。

 ちょっと脱線が過ぎたな。祝祭日は休日でなくてもいい。祭りの日は忙しいのである。疲れるのである。戦前は祝日には学校に登校していたそうである。母の話では校長先生の話を聞いて、紅白饅頭を貰って帰っていたそうである。家事労働の厳しい時代は、学校に行くことが子供たちにとっては休息の時間にもなっていたのである。日教組の先生方の話は一方的で面白くなかった。学校が牢獄のようになったのはいつの頃からなのか。最近の政策は的外れなものが多いような気がする。