多分再放送だったと思うが「ファミリーヒストリー」の峰竜太氏の回を見た。本名は下嶋清志で長野県下伊那郡下條村の出身である。曾祖父の代で分家して酒屋を始めたそうである。本家の方は代々の庄屋のようである。我々が習った日本史では、江戸時代の身分制度の「士農工商」で武士の次に位置づけられたが、生活は困窮を極めて、年貢の苦しめられた人々という感じである。イメージとしては「水飲み百姓」のイメージが強い。地主層の本百姓は、小作人を顎でこき使い、役人には頭の上がらない存在であった。明治新政府が前時代の「江戸時代」を貶めるために意識的に流したイメージであろう。更に戦後のGHQは戦前の歴史を否定して、昭和20年以前の歴史を暗黒の時代にした。その間にマルクス史観が蔓延り、戦争知らない世代は、戦前というととんでもない時代だったという刷り込みが行われた。比較的良心的な教師は大正時代までで授業は終わりにしていたのではなかろうか。

 幸いにも明治生まれの父と大正生まれの母の下に生まれた私は、戦後の苦しい時代を結局は戦争に負けたせいであると思うようになっていた。東條英機が戦犯でも仕方がないと思っていた。何故ならば戦争に負けたからである。戦争を指導した層は責任を取って切腹でも仕方がないと思っていた。そういう意味ではA級戦犯が絞死刑になったりしたのは、仕方がないことと思っていた。むしろ少ないと思ったが、子どもだったせいであろう。

 父や母からは戦前の暮らしや道徳や周りの人々の良さを聞かされていた。戦前は良かったが、戦後は人々が悪くなったと聞かされた。噓を平気でつくというようなことも聞かされた。教員もそうだと思われることが多かった。熱心に教育する教師もいたが、その熱心さは、日教組教育を施すというものであった。小学校高学年から中学校にかけて、夏目漱石や森鷗外の小説を読んだりした。漱石の小説を読んでいると、とても明治時代が良い時代とは思えなかった。考えてみれば、漱石は江戸町人の末裔である。幼少の頃は漢籍に親しんだが、成長するに従い、和漢の書籍から離れ、洋書を読むようになったようだ。身を立てるためには洋楽を学ばなければならない。和漢の学問より洋学が優れているからという訳ではなかったのである。まあ言うならば「立身出世」の為である。私は、それほど「立身出世」が悪いものとは思わなかった。「世のため人のため」に尽くすためには、世に出てある程度高い地位に就かないと何もできないではないかと思っていた。小学校卒業の頃は「政治家及び実業家」であった。実業家になって金持ちになって政党を作り政治家になって、総理大臣を目指す。それが世の為人の為に尽くすことが出来る条件だと思った。中学2年の頃は実業家は失敗することも多いし、第一時間がないと思った。その頃は人生50年と思うようになった。織田信長を念頭に置いていたのであろう。中二の目標は公務員試験に合格して警察官僚になるか大蔵官僚になることだった。司法試験に合格して検事になりたいと思っていた時期もあったが、なかなかトップに上り詰めるのが大変そうで、トップになっても政治家に上手く利用されるだけのように思えてきた。50代で大体目標を達成出来たら、60代でまだ生きていたら、文芸の趣味に浸ろうかと思っていた。

 高校時代に「燃えよ剣」を読んだ。新選組は勤王の志士を斬殺する悪い奴らと思っていたが、ここで目から鱗が落ちる様な感じであった。正義が勝つとは限らないのであるという事実に納得がいった。勝った奴らが正義を名乗るのである。

 最近よく見る「英雄の選択」や「歴史探偵」、「知恵泉」とかでは、代々の庄屋の株が上がっている。地主層は富を蓄えるが、その富を私利私欲の為に使うのではなく、公共の利益の為に使っている例が、たくさんあることを示している。もちろん体面の為や我が家の為に使うこともあったであろうが、自分の贅沢の為にだけ使うのは良くないこととされていたようである。代々の庄屋の振る舞いは周囲の村人に共有されており、村人が庄屋を襲うか助けるかは、代々の庄屋の生き方によるものであったようである。地主=搾取者=悪というような一つの見方ではなかったようである。

 峰竜太の先祖も徳を積んでいたのであろう。曾祖父が分家して酒屋になっても繫盛したようである。信用があったのであろう。長男が跡取りになり、次男は都会に出て学問をやる。このパターンは明治や大正時代は多かったようである。祖父は教師になりたかったようで、実際に教師もしたようである。しかし曾祖父が亡くなった時には教師を辞めて、家業の酒屋に専念したそうである。家業を守ることは家族を守ることでもあったのである。祖父の子どもである峰竜太の父は次男に生まれた。長男が後を継ぎ、次男は外に出て行くのである。長男は後を継ぐために地元の師範学校を出る。小学校の先生である。よくあるパターンであったのであろう。師範学校と中学校の生徒が喧嘩するシーンが「坊ちゃん」にも出てくる。どちらもプライドが高かったのであろう。峰竜太の父は大連で働いていたが、長男が急死したため故郷に戻り、母の頼みで兄嫁と結婚した。兄嫁である峰竜太の母にとっては災難続きである。初産の長男を産み落として1週間で夫を亡くした。義弟と一緒になった途端、召集を受けて出征する。大家族を抱えて孤軍奮闘の感じである。

 峰竜太は知らない事ばかりだったようである。やはり敗戦の話は語りたくなかったのであろうか。私の母も昭和20年代や30年代のことはあまり話さなかった。祖父が日清戦争に従軍していて、乃木大将の悪口を言っていたそうである。日清戦争や日露戦争で多くの兵隊を殺してしまったことを悪く言っていたそうである。玉音放送の事も聞いた。避暑地にいたそうだが、大事な放送があるというので、大連の自宅に戻って放送を聞いたそうだ。何のことかわからなかったようだ。しかし敗戦と知って直ぐに郵便局で貯金をおろしたそうである。お陰で引き揚げるまではお金に困らなかったそうである。病気をしたが、看病と子守りと家事全般をやってもらった日本人のおばあさんの事は、何度も何度も話してくれて、恩を忘れてはいけないよと話していた。無事にこうして生きていられるのも、おばあさんのお陰だと繰り返し話してくれた。もう亡くなっているので、直接に恩返しは出来ないけれども、何かあれば人助けをしてくれと言っていた。

 信州は戦前は貧乏県で、教育県でもあった。峰竜太の下嶋家は良い例のように感じた。江戸時代が長く続いた一番の原因はやはり善政が行われていたせいであろう。未来に希望が持てたのであろう。何か息苦しい時代だったように思わせたのは、薩長藩閥政治とGHQの占領政策なのであろう。尚古思想はあまりいただけないが、単なる進歩史観も有害だと思う。今我々は日本の未来に希望を見出すことが出来るのか。