以前にも書いたが、ゴールデンウィークの間はソフトテニスの大会続きである。九州大会兼国体予選の中部地区予選がある。個人戦があって、翌日もしくは次の休日に団体戦がある。個人戦が終わっていない場合は、団体戦の合間を利用して個人戦の続きである。全国優勝を狙っているチームは、地区予選の結果はあまり気にしていないような様子に見えた。全国大会出場枠は個人戦ではベスト8である。以前は6本だったらしいが、全国大会で上位進出の常連になったので、福岡県は8本に増えたらしい。中部地区予選のベスト8が県大会でもベスト8になることは結構多かった。学校からの参加制限があり、優勝校でも5本しか参加できないようになっていた。どこでもそうなのかなと思っていたら、他県どころか、他の地区でも異なっていたようである。いくつか理由があったようだが、やはり運営上の問題が大きかったようだ。準々決勝以降は別日で専門委員長の学校開催になることが多かった。大事な大会なのに貧相な感じになるらしかったらしい。大体開会式は盛大になっても、閉会式は残っている観客も少なくなり、貧相になるのがお決まりであった。私が所属していた学校は県大会出場を目標にするが、大体において地区予選で敗退である。男子も見ることになった時があるが、男子はかなり分散していたので県大会にも全国大会にも出場することは出来た。初めて赴任した高校では、男子は九州大会に出場できていた。個人も団体でも出場できたようだ。私が柔道部の副顧問として金鷲旗大会に監督として出た大会では5人抜きをされてしまい、1年生部員と来年の5人抜き阻止を誓ったもんである。私は翌年からソフトテニス部の顧問になり27年間ゴールデンウィークがなくなった。1年目に母とともに博多どんたくを見に行ったのも思い出になった。

 屋外スポーツは雨に悩まされる。ゴールデンウィークを全部潰しても大会が消化できない年もあった。前日からの大雨で試合会場に行く前に雨天順延になることもあるが、たいていの場合は試合会場に行って、受付を済ませて、降雨中止になるか、どうなるかを待つことになる。随分と非能率的であるが、コートが水浸しでも一応試合会場に集合するわけである。選手のコンディションもあったもんではない。嫌がらせみたいに映ることもある。後に専門委員として運営に携わるようになって、運営側の理由もわかるようになったが、何とかならないだろうかと思ったものである。試合会場の確保やテニスコートの整備や競技の公平性の問題もあった。団体戦だと試合当日にシード校以外は抽籤になるのであるが、やはりそこで選手の確認などをしたりするので、試合会場に選手は集まってもらうしかないのである。事前に分かっている場合は、次の予備日にすればよいが、予備日は大体において1日か2日である。2日取れていれば良い方で1日の場合も多い。合わせて4日が必要なのに、あまり予備日が取れないのは、試合会場が県営のテニスコートであることがほとんどのせいである。県民の利用も考えないといけないらしい。あまり多く抑えておくわけにはいかないようである。バレーボールやバスケットボールは高校が会場になることが多いので、都合がつきやすいのであろう。最後に野球部の副顧問にもなったのであるが、野球も難しいようだが、少雨決行という手があるので、そこまででもなかったかな。しかし試合数が多いので多くの日数を必要とするので、やはり試合会場の確保は大変なようである。ただし高野連は高体連とは別組織なので、平日開催を当たり前のようにする。ちょっと羨ましかった覚えがある。

 さて団体戦では第1試合になることもある。団体戦は3試合で2勝した方が勝ちであるが、初戦は第3試合までやることになっている。しかし雨で開始が延びたりした時は2勝したところで第3試合は行わない時がある。オーダーは自由である。8人を団体戦で登録することが出来る。強い順に1番、2番、3番と出すことも出来るし、2,1,3の順にすることも出来る。3,1,2の順もある。普通はこの3通りである。対戦相手にもよるが、選手の性格や強さにもよる。大将ペアの信頼度にもよるが、学校によっては3,1,2で出すことが多いような気がする。相手校の大将ペアを避ける方法と潰すに行く方法がある。潰しに行って負けることもあるし、2番手が信用できる強さだと1,3、2というオーダーもある。1,3番が3年生で、2番手が2年生の時よくやっていたように思う。仮に3年生で負けても納得できるからである。公立高校では団体戦に3本そろえるのは難しい。中学校では学年の差が大きいが、高校では個人差の方が大きい。私学では学年差よりも個人の差の方が大きい。と言っても県立普通科高校の私の方としては、学年の差の方が大きいと言えたかな。その頃は推薦で取ることは出来なかった。県立高校で推薦入試が認められたとのは随分後のことである。昭和の時代ではなかったかな。それとも私の赴任校がそうであったのか、よく記憶していない。平成になって部活動推薦が認められるようになったが、いつからだったかな。体育の教師でもない、一介の国語教師である私が部活動推薦をするのは、ハードルが高いのである。それに私自身いつ転任になるかわからなかったから、働きかけるのには躊躇した。しかしそのうちに開き直って、中学校の指導の先生にも洗いざらい話して、推薦で取っても4月には私はいないかもしれないと話して、そして部活動推薦で取ることになった。取ることを決めてから問題になったのは、ペアで取ることが出来るかどうかであった。進学を前提としている高校だったので偏差値がそれなりに高かったので、学校内での推薦基準も高いものであった。一般入試でも狙える程度の学力を必要としていた。男子の場合はペアでは無理であった。女子であるペアは有力であった。中学校の大会成績も良く、学業成績も良い。女子の場合は案外多いのである。推薦ではなかったが、夏に中体連の試合を見に行って、めぼしい選手に声をかけさせた。中学生の先輩後輩の結び付きは結構強いものがあるので、この声かけはかなり有効であった。思いがけず一般入試で受けてくれて、トップクラスの成績で入学してくれた。問題はそれからだった。別に推薦でもなんでもないし、単なる口約束なので入部してくれるかが、また一苦労であった。そして入部してからも選手として起用するかも問題である。1年生だとしばらくは仮入部になるし、ゴールデンウィークでの起用は時期尚早になることが多い。入部してまだ1,2週間である。3年生が下手でどうしようもない選手ならばまだしも、2,3回戦は突破できる実力があるのであれば、外しにくい。こちらは中学時代見ていてその実力を確認しているが、中学の先輩部員はいざ知らず、他の部員は全く知らないのである。他の部員と同じように外周を走らせたりしているので、尚更わからないのである。個人戦での起用は諦めた。4月の中旬には大会申し込みをしなければならないので、入部も確定していない1年生の名前を書くわけにはいかない。団体戦は抽選の結果を見て決めようかと思った。先延ばしにしたのが良くなかった。ベスト32に2本残ると思っていたが、1本だけであった。団体戦はベスト4は無理だが8取りは出来そうだった。ついに1年生の起用を決断した。失敗だった。大将ペアは勝ったが、2番手が負けないでもいい相手に負けてしまった。外されたと思ったようだ。まあ外したのだが、1年生も試合は一所懸命やって期待に応えてくれたが、その後先輩たちに気を遣って精彩を欠くようになった。他校の監督にも言われたが、公立で全国いけるのは私の所だと思っていたけれど、と。もちろん個人戦での話である。5月の上旬で3年生は全員引退することになった。蛇足であるがこの時の主将は現役でQ大に合格した。私が正顧問になってからは、国公立大学合格を特に主将には課していたが、7年目にしてQ大合格者が出た。それまでも6人中4人は現役で国公立大学合格を果たしていた。文武両道ではないが中学校への売り込みでは進学実績と大会実績でアピールしていたので、よくやってくれた。この年は5人の3年生部員だったが、レギュラーは1人を除いて全員国公立大学合格を決めた。浪人した1人は翌年にQ大合格を果たした。この辺りから推薦で選手獲得を目指そうかと思い始めた。夏の初めの中体連の試合を意識的に見に行くように努めた。