名人戦第2局が成田山新勝寺で始まった。ABEMAの解説で佐藤紳哉七段が登場した。サトシンと呼ばれる人気棋士であるが、最近では鬘と桂をかけて桂はねの好手が出ると、自身の鬘を飛ばすというパフォーマンスで一部において有名になった。飯島栄治八段と共同コラムというか「深夜零時に~」という連載記事も面白かった。しかし最初に注目を集めたのは、将棋そのものとその美青年ぶりであった。「将棋大賞」でも勝率一位賞や新人賞を獲得している。しかし残念ながら順位戦では昇級することなくC級2組のままである。竜王戦では2組まで昇級しているので実力がないわけではないが、順位戦での昇級がないといつしか忘れられてしまうのが、将棋界の常である。1年間かけて持ち時間6時間で10局戦って、大体において9勝1敗の成績を上げないと昇級できないのである。年度やクラスにおいては7勝3敗での昇級もあったりするが、9勝1敗でも昇級できないことがある。順位戦の泣き笑いは付き物で三段リーグ同様改正が必要だと思うが、みんなが通ってきた道という感じで、改正がなされない。反面降級に関しては甘い改正がなされている。降級点が生み出され、フリークラスが生み出された。昇段に関しても勝ち星昇段が生み出された。互助会的な福祉政策が生み出される背景としては、既得権益保護というのがあるのだろう。自営業者なのに、将棋連盟に属していると、生活しやすいとなっている。囲碁界の悪い所は真似しているが、良い所は取り入れない。非常に閉鎖的で、外に開けていない。ようやく藤井聡太ブームのお陰で、広く世間に認知されるようになってきた。奨励会出身ではない棋士も誕生したし、徐々にではあるが日本将棋連盟内の機構改革がなされていくのかもしれない。

 さて美青年棋士と言えば、私と同世代の棋士では、故真部一男九段であろうか。私と同学年で注目していた。才能豊かな棋士で、最初に写真を見た時はそのハンサムぶりに驚いたことがある。A級八段まで上り詰めたが、その後はマスコミを騒がせることはあっても、将棋の事ではなくなっていった。奨励会に入っていたら、こんな男と競争しなければいけなかったと思い、自分の選択を評価したものである。その頃の地方出身者は伝手を頼ってプロ棋士に紹介されて、見込まれたら晴れて内弟子に成れるという訳である。そこから奨励会入りを目指して修業して、無事奨励会入りを果たしたら、奨励会内での激しい昇級昇段争いをしなければならなかった。その頃は東西の奨励会に分かれていて、それぞれの優勝者が半年に一度、東西決戦を戦う訳である。勝者が晴れて新四段になれるわけである。年に2人が原則である。年に3人なれる時があるが、それはよく分からなかった。ともかく新四段は2名だったが、陥落の方も厳しかった。C級2組から陥落すると引退するか、奨励会の三段リーグに入って再起を期すかであった。プロスポーツと同じで、実力がなくなると現役ではいられなくなるのである。中原誠十六世名人も17歳で四段昇段だったが、三段時代が約3年だったようである。競争相手は大内延介九段や米長邦雄永世棋聖だったらしい。関西では同年の桐山清澄九段がいた。中原四段に遅れること半年で18歳四段である。昭和22年前後の棋士は遅かれ早かれA級に昇級していった。それだけにその後輩の棋士は苦汁を舐める棋士が多かったようである。真部九段や青野照市九段はその中でのし上がっていった棋士である。

 話を美青年棋士に戻す。真部九段以降の美青年棋士では、今では信じられないかもしれないが、福崎文吾九段がその容姿とスピード出世で話題になった。奨励会を約3年で駆け抜けて、順位戦も毎年昇級昇段を果たした。B級1組まではノンストップである。谷川十七世名人より年上であったが、追いかけるように昇段していったのは、関西の勢いを示しているようで痛快であった。残念ながら福崎九段もタイトルこそ獲得したがA級にはとうとう昇級しなかった。「花の55年組」に席巻されてしまったのかな。タイトルを複数獲得しながらA級に昇級できなかったのは福崎九段と中村修九段かな。

 昭和40年代生まれでは、将棋の強さで注目を浴びた羽生九段だが、世間ではむしろ畠田理恵との結婚が話題になったと思う。将棋界のスターが美人女優と結婚したのである。話題になったものである。今藤井竜王名人の結婚相手として芦田愛菜の名前が挙がっているが、将棋ファンの話題としてはいいかもしれないが、まず無理であろう。後10年は結婚問題は起きてほしくないかな。将棋にまだまだ集中してほしい。

 美青年棋士の話題に戻すと、羽生世代ではやはり郷田真隆九段であろう。将棋の方でも四段昇段は遅れたが、四段でのタイトル獲得は空前絶後である。五段でのタイトル獲得は高橋道雄九段の例があるが、屋敷伸之九段は四段でのタイトル挑戦であったが獲得は五段位なってからであった。現在ではタイトル挑戦が決まったら五段昇段なんで、もう四段でタイトル獲得は無くなった。本田奎六段が四段でタイトル挑戦を決めたので、五段昇段だった。美青年棋士では一番郷田九段が活躍したのではないだろうか。しかし佐藤康光九段同様羽生九段に随分とやられてしまった。タイトル獲得は6期だったかな。

 50年代生まれでは佐藤紳哉七段もそうだが、今度棋聖挑戦を決めた山崎隆之八段があげられるのではなかろうか。独特の将棋で有名だが、その才能の割には輝かしい棋歴が伴っていない。A級に昇級したのも遅かったし、昇級即陥落だから印象が悪い。森信雄七段門下で村山聖九段の弟弟子である。森門下は現在最大勢力を誇っている。おそらく兄弟弟子間の競争が激しいのであろう。仲がよければ尚更負けたくないものである。地域対抗戦で中国・四国チームの監督を勤めていたが、早指し得意なんだけれども、選手としてはあまり出場しなかった。予選は一位通過であった。糸谷、菅井の両八段に藤本渚四段を擁した中国四国チームは優勝候補の一角であった。しかし15年ぶりのタイトル戦登場は期待されるところであるが、相手が藤井八冠では少々荷が重いかな。藤井八冠でも関西の先輩棋士には苦汁を飲まされたからな。

 40代前半でもう一花咲かせるケースは意外と多いものである。加藤一二三九段の名人就位も42歳だったかな。将棋一筋の生活には20代後半からはなかなか難しくなってくる。20代半ばで勢いが止まるのは才能の問題ではなくて、環境の変化ではなかろうかと考えている。羽生九段も平均タイトル獲得数は年間四冠が最も多かったのではなかろうか。

 今日は名人戦第2局の2日目である。すでに藤井名人が指しやすくなっている。残り時間も1時間ほど多い。2日制で藤井八冠を破るのは難しかろう。叡王戦の方が失冠の可能性は高いかな。藤井八冠が言っているように、20代半ばまでは連続保持を続けてほしいと願っている。