叡王戦第2局は挑戦者の伊藤匠七段がタイトル戦で初勝利を挙げた。実に10局目である。対藤井叡王戦では13局目であった。前回の棋王戦では持将棋があるが、対藤井戦11連敗中であった。ただ内容は悪くなかった。目の前の勝利が欲しければ、小細工を弄しがちであるが、伊藤匠七段はそんなことは無かった。堂々と正攻法で立ち向かっていた。時として完敗することもあったが、中盤まで互角以上から終盤まで互角以上だったに変わりつつあった。最終盤での逆転勝利が藤井叡王としては気に入らなかったのか、後手番で工夫をして、あまり経験のない形に持ち込んだ。AIが示した評価値は五分五分でも伊藤匠七段の方が指しやすい感じであった。藤井叡王は7二歩や8六歩などの最終盤への布石みたいなものを散りばめていた。寄せのスピードを上げる工夫であったり、自玉の詰みがギリギリなかったりで、最終盤での逆転の布石はちょっと意味が解らない手に多くあった。しかし本局は伊藤匠七段の陣形はよく見慣れた形で、自在に操れる形であるように見えた。対する藤井叡王の陣形は3三金の下に玉があり、その下に銀があるという形である。6一の金は不動で、飛車の打ち込みには強い形である。中盤以降に飛車を切ることは藤井叡王は多い。最終盤で切る時は大体「詰みましたよ」という時である。飛車を切って詰ますというのは、これまで何度も見て来た。

 叡王戦はタイトルの中では持ち時間が一番短いタイトル戦である。王将戦がそうであったように、後発のタイトル戦は色々と特色を出そうとする。王将戦のタイトル戦での三番指し込み制も、棋聖戦の半年で1期というのも、特色を出そうとしてのことであろう。叡王戦は持ち時間に特色を出そうとしたようだ。長短の持ち時間にしたのである。優勝賞金も名人戦以上に出そうとしたらしい。噂では連盟の方で断ったらしい。しかし1日に2番というのは、どうかと思った。

 タイトル戦になったのは第3期からである。段位別の予選があり、勝ち抜き者が本選トーナメントとなる。決勝進出者が7番勝負を行うということだったが、予想外の事態になった。五段の勝ち抜き者の高見泰地五段と六段の勝ち抜き者の金井恒太六段が決勝進出を果たしたのである。タイトル戦の第1期ではよくあることで、タイトル戦の重みが違ってくるのである。両者とも初めてのタイトル戦で、持ち時間の変化もあり、どうなるであろうかと心配されたが、見事高見泰地六段(当時)が4連勝で初タイトルを獲得した。持ち時間に話を戻すと、現行はチェスクロック使用の4時間である。ストップウォッチ方式と比べると体感では1時間は違うという棋士もいる。タイトル戦でチェスクロック使用というのは他にもあるが、それは5時間である。持ち時間4時間のタイトル戦ではストップウォッチ方式である。唯一叡王戦だけがチェスクロック方式の4時間である。持ち時間が一番短いタイトル戦である。私は個人的には持ち時間の短い棋戦は嫌いである。非公式戦のABEMAトーナメントなどはやはり番狂わせが多い。番狂わせを楽しむ人は面白いと思うかもしれないが、私はどちらかと言うと嫌いである。確かにNHK杯で羽生善治九段は10回以上優勝しているし、大山康晴十五世名人も8回だったかな、羽生九段に抜かれる前は最多優勝回数を誇っていた。強い人は持ち時間の長短に関わらず強いことは認めるが、やはり番狂わせも多い。強い人が負ける姿を見るのも、弱い人が勝って浮かれる姿を見るのも、ともに好きではない。

 さて伊藤匠七段が初めて藤井叡王に勝った将棋は、終盤の精度は伊藤匠七段が優っていたように思う。AIが示した最善手で難しい場面が何回かあったが、その局面で伊藤匠七段は最善手を指していた。追い詰められて、最善手だけでは読み切られていると思ったか、藤井叡王は珍しく最善手を外していた。最終局面で7一玉にすればいいのに、7三玉にしたのは、即詰みが見えなかったのではなく、伊藤匠七段の予想を外したかったのではないかな。対局していて、伊藤匠七段の強さを感じていたのであろう。もう少し時間があればと思う局面で、1分将棋になったのは気の毒であった。伊藤匠七段も1分将棋は強いのである。正確に指し進めていた。伊藤匠七段の戦前のインタビューでも時間の使い方に言及していた。裏を返せば時間の使い方を改善すれば勝てると思っていたことになる。

 今回の解説は深浦康市九段と本田奎六段であった。深浦九段は確か藤井八冠に2勝以上の勝ち越しをしている唯一の棋士ではなかったかな。叡王戦でもタイトル戦に昇格した第3期の四段戦優勝者は藤井四段(当時)で、本戦で敗れた相手が深浦九段である。叡王戦だけは藤井八冠は苦手にしているようで、タイトル戦で最終戦までもつれ込んだのも唯一叡王戦だけである。タイトル戦で最長の持ち時間の名人戦と最短の持ち時間の叡王戦を同時進行するのは、スケジュール的だけでなく、持ち時間的にも大変ではなかろうか。スピードアップばかりが良いことではないと思うが、どうであろうか。

 藤井八冠の壁を破るのは伊藤匠七段ではなかろうかと考えていた。その対局ぶりからして連敗脱出したら連勝するのではないかと思っていた。そしてそれは遠くないと感じていた。5番勝負だけに心配になった。次の先手番で負けるようであれば、藤井八冠の失冠もあるのではなかろうか。今は黄信号と思うが、赤信号になると思う。