現在資本主義経済が欧米を中心に浸透していると思う。「是か非か」の問題ではなくて、いつの間にか浸透してしまっているようだ。中華人民共和国も資本主義経済体制になって伸びてきているようである。世界第二の超大国になってしまった。軍事面でもその実力を疑われたりするも、軍備増強を毎年している現状では軍事大国には違いない。中華人民共和国については呼称に悩んだりする。昔は「中共」と呼んでいたが、その内大勢に従って「中国」と呼んでいたが、台湾に旅行した際、やはり「中国」と呼ぶべきは中華民国の方ではないかと思うようになった。「シナ」と呼ぶにも抵抗があった。何だか「右翼です」と言わんばかりの言い方かなとも思った。最近「チャイナ」という呼び方は国際的には一般的であることを聞いた。英語で「チャイナ」とは知っていたが、何だか「欧米流」な感じで面白くない感じがした。結局は場合によっての使い分けになっている。小中学校の時の「中共」が略称としては適当ではないかなと思うが、今は使う人がほとんどいないようである。「名は体を表す」と言うが、やはり石原慎太郎の「シナ」が一番適当かなと考えるようになった。

 この世の中で一番大切なものは、「お金である」と言い切る人は、少なくとも日本人の中では少ないと思う。しかし日本人はペリー来航によるアメリカの恫喝外交に屈して以来、世界に追従する形が出来てしまったようである。「堪忍袋の緒が切れた」感じで大東亜戦争が始まったが、残念ながら敗れてしまった。勝っていればどうなったかという興味はあるが、恐らくあまり幸せには成れなかったのではないかな。アメリカを叩き潰しての勝利は望めないので、恐らく昭和17年段階での講和条約締結であろう。現在のアメリカがそうであるように、無敵の国家はとめどない強欲を発揮することが多いようである。どこかで思うようにならないことを経験しないと、人間も国家も成長しないようである。それは経済政策でも同じであろう。マルクス経済学では資本主義が破綻して社会主義に移行して、最終的には共産主義が理想の世界のように言われているようである。私は共産主義思想は一種の宗教だと思っている。信じるか信じないかで世界の見え方が違ってくる。一種の一神教のように思える。暴力革命を是認するのは、次に来る世が理想郷と信じるからであろう。最終的な理想郷の実現のためには少々の犠牲は仕方がないと考えるのであろう。キリスト教徒も異教徒を虐殺することにあまり躊躇はなかったそうである。今でも人種差別を是認するキリスト教徒は多い。

 最近読んだブログで、幕末の外交交渉について書かれてあったが、幕末の経済体制は、日本はすでに信用取引が常識であったことを知った。欧米は遅れていて、アメリカのハリスは理解することが出来なかったようである。16世紀以降の欧米人の蛮行は輝かしいものに描かれていて、欧米人はそのことを反省もしないし、謝罪もしない。賠償もしないのである。未開人に文明の光を当ててやったぐらいに思っているのか。過ぎたことは仕方がないということなのか。既得権益というか、収奪した者は罰せられることは無いのである。島国の日本では皆殺しという感覚はあまりないのであるが、大陸や半島での争いは、全員皆殺しというのは常識なのであろう。奴隷にするというのはまだましなのであろう。古代ギリシャやローマ時代においては、征服民族にとっては被征服民族の生殺与奪の権利は、当然のことだったのであろう。殺すか奴隷にするかの二つに一つであったのであろう。同じ肌の色をした人々を奴隷にするのだから、黒人や有色人種を奴隷にしたり、虐殺するのはあまり問題には成らなかったのであろう。ヨーロッパにおけるユダヤ人差別やユダヤ人虐殺の歴史は数多くあるらしい。20世紀においてナチスのユダヤ人虐殺を問題にしたのも、どちらかと言うと、人道上の問題ではなく、政治の問題だったのであろうか。ドイツはとんでもなかったのであると、ドイツ国民にもドイツ系の人々にも、世界中の人々にも知らしめたかったのであろうか。日本でも行われたのであろう。結局は戦勝国は必要以上に自分たちは正しかったということにしてしまった。戦勝国にも戦犯に該当する人々は沢山いたであろうが、不問に付されたのであろう。結果として不正に、不当に得た利益もそれを資本にして更に利益を拡大していったのであろう。第二次世界大戦が終わった後も戦争はずっと続いている。食料とエネルギーを求めての戦いはずっと続いている。そして領土を求めての戦いも続いている。領土はなかなか交換可能ではないので、問題が複雑化してしまう。

 やはり求められるのは「寛容と忍耐」ではなかろうか。報復を心配すると、結局は皆殺しを目指すということになる。その昔改宗を求めて改宗しなかった異教徒に対しては死罪にしてしまっていたが、他に方法がなかったのか。

 昨日アメリカ映画の「風とライオン」を見た。なんだかイスラム教徒の方が立派に見えてしまった。資本主義は恐らく崩壊するだろうと思う。人本主義というか人財主義というか、人を中心にする経済体制が築かれないだろうか。色々考えると日本が一番だと思うが、その日本が壊れていってるという感じなのが情けない。倫理道徳は大事であるが、随分長いこと教育の世界ではないがしろにされてきた。学校教育よりも家庭教育が大切だと思うが、家庭をないがしろにする政治や言論が横行してしまった。「持続可能な社会」は持続可能な家庭や家族が有ってのことだと思うのだが。