私は高校の国語の教師をやっていたが、一番辛く感じたのは、採点業務であった。

 教師としての経験は、最初は高校を卒業して、浪人中の家庭教師だったかな。浪人している私のために、母が家庭教師の口を探してきてくれた。母は化粧品販売の仕事をしていたので、お得意さんに話をして生徒を見つけてくれた。高校1年生の女の子3人と、別の高校に通う男の1人と、女の子の弟の小学生が1人の計5人であった。1人ずつかと思ったら、一緒にということだった。だったら家庭教師ではなく、塾みたいなものにしないといけないなと思った。そこでテニス部(当時)の先輩で浪人している人がいたので話をして、場所の提供と英語を担当してもらった。私は数学を教えることにして、手のすいた方が小学生に主に算数を教えることにした。高校生4人が通う学校が先輩の自宅近くにあり、先輩は自分の部屋を持っていた。後で作った部屋で、玄関を通ることなく先輩の部屋にいけるようになっていた。男子高校生は優秀で中学校ではほとんど1,2番だったらしく数学も出来る方であった。高校に入ったら、急に難しくなり、自信を失ったらしい。しかし与える問題は大体解けるようで、解くスピードが少し遅いと感じたぐらいである。女子の3人は同じ私立の高校に通っていて、中学校からの友達のようである。問題が起きたのは英語が出来る子は数学が弱く、数学が出来る子は英語が弱かった。比較するつもりは無かったが、一番できる子は褒められることが多かった。数学が出来る子は私に、英語が出来る子は先輩に、男の子は自信を持つように褒めた。小学生の男の子は、物覚えが悪く5年生なのにまだ掛け算の九九が言えないでいた。結果としては彼に割く時間は高校生よりも多くなった。教えた期間はあまり憶えていないが、1学期は終わらなかったと思う。英語でも数学でも褒められない女子が、私やめると言い出したらしく、ちょっともめてしまい、結局は短期間で、全員辞めることになった。教えることの難しさを思い知らされることになった。

 後年どうなったか聞いたが、高校生の男の子は現役で早稲田大学に進学したそうである。地方の悪い所だが、何故現役で私立に行ったのかなと思った記憶がある。国立大学にいける学力があると思っていたので、残念に思ったものである。掛け算の九九も言えないような小学生の男の子は、足が速かったので、特待生として私立大学に進学したそうである。女の子は3人は高校卒業後はそれぞれ無事に就職したそうである。

 秋の終わり近くであったと思うが、またもや家庭教師の話を母が持ってきた。世話になった人の頼みだから、是非聞いてほしいという。中学3年生で私立高校受験も合格が危ないので何とかしてやってほしいと。今思うと随分大変な話である。2時間教えて夕食を食べて帰るということで承知した。こちらも大学受験が近づいていたので、遅くなるのは嫌だよという条件で、自転車で訪問することになった。県立高校は工業高校を選んでいるという。英語と数学を各1時間教えて、宿題を与えて、夕食を食べて帰るという日々を過ごした。週3回だったかな。課題を与えてそれを解かせて、答え合わせをして、解く順番を考えさせた。3ケ月か4ヶ月だっただろうか、私は大学受験に失敗して、上京することになった。彼は私立高校も県立高校も合格した。県立高校合格は親としては予想以上だったようで、母の所にお礼の品を持って、「先生によろしく」とのことだった。この時だったかな「先生」と呼ばれることに、ちょっと嬉しさを感じたのは。19歳の冬だった。(つづく)