「60歳のラブレター」を見た。平成21年の映画で、古沢良太脚本なので観てみた。監督は深川栄洋という人で、全く知らなかったが、ともかくどんな俳優が出ているかを確認した。最近は最後にキャストやスタッフそして協力してくれた人々や企業を流すことが多いが、この作品は幸いにも主演の6人の俳優名は最初の方に出ていて、見る気になった。中村雅俊、原田美枝子、井上順、戸田恵子、イッセー尾形、綾戸智恵の6名と監督名が出た。中村雅俊は「俺たちの旅」で再放送も含めてよく見た記憶がある。原田美枝子は映画「大地の子守歌」が印象的であった。最近はCMでしか見かけない。中村雅俊は五十嵐淳子と結婚して、ずっと一緒にいるようだ。三浦友和・山口百恵夫妻同様好ましいというか、羨ましい存在である。子どもたちが芸能界に出ていることも共通しているかな。15年前に60歳というと、ほぼ実年齢に近い役柄かなと思いながら見始めた。

 カッコいい役柄のようなスタートだった。一流企業の建設会社の専務取締役を60歳で退職して、これから第二の人生に出発する感じである。重役であれば60歳で退職する必要はないが、リスタートの為にカッコ良く退職するわけである。祝いの料理を準備をする原田美枝子。縦に並んで俳優名が出ていたが、夫婦役という訳だなと思った。花束を抱えて中村雅俊が返っていった場所は原田美枝子の所ではなかった。原田美枝子の所にも誰かが訪問したらしくチャイムが鳴る。中村雅俊の前に登場するのは原田美枝子とは別の女性であった。そんなに若くはなかったが、原田美枝子より若そうである。見た顔だと思ったが思い出せない。原田美枝子の所には、娘夫婦の訪問のようだった。しかし娘の側にいる男の名を改めて聞いている違和感のある演出である。娘はお腹が大きいが、一応父親の退職祝いにやってきたようだ。父子の関係は悪そうである。恐らくお腹の子が原因の様だ。親に認められた結婚ではなさそうである。母と子の会話で父娘の関係悪化はどうやら父親の浮気にあるらしいが、それも長いようである。父親は愛人の下に言っていることは、母子ともに承知しているようである。深夜遅くに帰宅する父親。口も利かずに帰っていく娘たち。なかなかいい脚本を予想させるスタートである。

  イッセー尾形と綾戸智恵は夫婦役である。原田美枝子が魚を買いに行く魚屋さん夫婦である。子どもはいないようだ。糖尿病の旦那に運動療法を一生懸命やらせるのが、女房の綾戸智恵である。昔旦那が若い時バンドをやっていて、その追っかけをやっていたのが綾戸智恵で、旦那のナレーションでは、ファンの中で一番かわいい子に手を出したということだが、見る影もないと語っていた。夫婦でジョギングする途中の店に、マーチンのギターが置いてあった。27万円である。へそくりで買いたいと思うが、全然足らないようだ。すると売れてしまったらしく、店頭からギターがなくなっていた。種明かしになってしまうが、実は旦那の60歳の誕生日プレゼントに女房が買っておいたのである。糖尿病が良くなった旦那に代わって、女房の方が緊急手術を要する脳腫瘍だったかな、罹ってしまったのである。助かるか助からないかは五分五分と言われてしまう。しかし手術を決心して緊急手術をする。翌日の昼過ぎまでに意識が戻り、左右の手が動かせれば手術は成功だという。マーチンを手にした旦那が夜の病室で「ミッシェル」を弾き語りするのだが、クライマックスの見せ場になっている。旦那の主治医が井上順である。こちらは戸田恵子との年配者の恋である。亡くなった妻の間に一人娘がいる。

 あらすじを追っていても仕方がないかな。「熟年離婚」や「老いらくの恋」、その他さまざまな要素が散りばめられた映画だったが、途中から安心できた。どうやらハッピーエンドで終わる映画のようだと推察できた。30年後の夫へ、30年後の妻へという手紙を写真屋の孫が写真とともに届けるという話も面白かった。15年前の平成時代の映画ではあるが、予定調和的でつまらないというかもしれないが、コロナ明けの令和の時代に見ると、失ってはいけないものを確認する思いであった。

 中村雅俊の娘は誰だかわからなかったが、最後のエンドロールを見て星野真理と気付いた。出産をするのだが、赤ん坊の父親は、現在の同棲相手ではないようである。しかし結婚はしないと言っていたが、赤ちゃんを抱えながら「結婚しようか」と言っていた。相手の男も「うん」と小さくうなづく。画家志望のようである。中村雅俊は画家志望で上京してきたが、金にならないので大学に入ったが、学園紛争の頃で、通っていても仕方がないと思って、退学して小さな建設会社に就職して、がむしゃらに働いたそうだ。社長に気に入られて、娘と結婚して、高度経済成長に乗って、どんどん会社を大きくしたようである。「団塊の世代」の一典型であろう。「団塊の世代」や少し下の世代にとっては、懐かしく皆が知っているような話がベースになっていた。「団塊の世代」は激しい競争社会を生き抜いた世代ではあるが、「優しさの世代」でもある。男女平等を夢見て、恋愛結婚至上主義でもあったのである。原田美枝子は55歳の役で、綾戸智恵は58歳の役である。戸田恵子は原田美枝子よりは少し年上の役であろうか。独身女性である。有名翻訳家で自立した、時代の先端を行く女性のように思われている女性である。それぞれ典型的な男性像、女性像になっているようである。

 映画としては1級品には見えなかったが、私としては面白く見ることが出来た。改めて感じたのは、コロナ前とコロナ後の違いかな。それと改めて思ったのは結婚制度かな。私が住んでいた西池袋は、木造アパ-トが密集していた。所々立派なお屋敷や一軒家もあったが、学生や若者が住むアパートが立ち並んでいた。夜の散歩が好きで、眠れない時や、読書に疲れた時は、夜の西池袋から目白方面に行く時もあるし、長崎や椎名町方面に行く時もある。若かったので1,2時間の散歩なんか平気であった。病気や怪我がなければ、若者にとって、金がないことは貧乏とは違っていた。私の隣の部屋は3畳間であったが、若い男女が同棲している時期があった。漫画で「同棲時代」がヒットして、映画化されたりしていた。今でも思うが同棲と事実婚と結婚の違いが分からない。石田純一が「不倫」という言葉を流行らせてしまったが、浮気とどう違うのか、今もってよくわからない。往年の映画スターは、浮気は当たり前であった。歌舞伎俳優も然り。藤山寛美などの役者も当たり前のようにあったようである。野球選手も当たり前であったようである。素人、玄人という言葉が生きていた時代だったかな。

 中村雅俊は上司の娘と愛の無い結婚をしたように思っていたようである。愛人には愛を求めていたようである。長い付き合いの女性のようであった。原田美枝子には多くは求めていなかった。家事をしてくれればいいというような存在だったのか。一応理想の夫婦を演じているような気分だったのであろう。しかし原田美枝子は違っていた。最初から魅かれて、そして夫が自分を好きではないと知っていたが、結婚して、いい奥さんいなると思っていた。出来ればいつかはこんな自分を好きになってもらいたいと。愛人が出来ても仕方がないと思っていたのであろう。酷い仕打ちだと思ったこともあったのであろうが、我慢していたのである。「忍耐と寛容」か。良いことなのか悪いことなのか。

 私は正直なところ、死刑囚は死刑確定後、半年以内に死刑執行するべきだと思っている。死刑確定までに長い年月が流れているのである。死刑囚に人権を云々する輩がいるが、死刑確定前ならば人権を云々しても構わないが、死刑が確定して死刑囚になったら、人権を云々すべきではない。殺された人々の人権は誰が守るというのか。家庭は両性の努力で健全に運営されなければならない。祖父母や子どもも最大の努力を払っても然るべきではなかろうか。国家が守るのは家庭だろうか、家族制度であろうか。私は国家が守るものは家族制度であろうと思う。家庭はその家庭の構成員全員で守るべきであろう。父親にその責任を全部押し付けてはならない。義務ある所、権利が生ずる。全部の責任があるとなると、全部の権利が発生する恐れがある。全責任を負うとなると、すべての権利を自分に寄こせということになるというか、なりやすいということだと思う。戦前の家父長制は父親と長男に大きな義務を背負わせてしまったのではなかろうか。永続性を考えると、革命よりも世襲の方が問題は少なくて済む。ソ連や中華人民共和国の成立にはどれほどの命が失われたのであろうか。日本とは桁が2つほど違うのではないだろうか。明治維新を「革命」と捉えるならば、100万人は失われていないのではなかろうか。「人命は地球よりも重し」はとんでもない発想である。人類誕生以前から地球は存在し。恐らく人類滅亡後も地球は残るであろう。最近の「地球温暖化」問題は人智の及ぶところではないと思うのだが、どうであろうか。だから地球を汚しまくってもいいとか、核戦争は仕方がないなどと言うつもりは、毛頭もない。欧米人のやらかした「文明」という名の下で、地球を汚しまくった付けは、文明人とやらに払ってもらうのが一番だと思うが。それともあくまでも「弱肉強食の世界」を肯定するというのであれば、ウクライナ紛争もパレスチナ問題も、当事者間で解決するしかない。要するに殲滅戦になるのであろう。ヒトラーの言い分を正当化するしかないのであろう。

 またまた脱線してしまった。恋愛結婚至上主義の将来は暗いと思う。