今朝母の夢を見た。よく見る方なのであまり気にしなくなったが、今朝の夢は割と鮮明で、長かったので、夢から覚めた後がきつかった。やはり親不孝だったなと思ってしまう。他人と比較すると親孝行かもしれないが、そもそも親孝行か、親不孝かを、他人と比べることには意味が無い。主観的なものだから、自分がどう思うかである。

 母の年齢は70代か、80代のようであった。場所は私が小学校6年生の夏から、就職して最初の夏まで住んでいたところである。私自身は1年浪人した後上京したので、たまに帰省した時に過ごした場所である。昭和38年の夏から昭和54年の夏までである。丸16年母は住んでいたことになる。おそらく母にとって、今私の住んでいる所の次に長く住んだ場所であろう。私にとっても8年足らずではあるが、思春期の頃に住んでいた場所なので、一番思い出がある場所なのだろう。夢に出てくる場所としては一番多い。今私が住んでいるところは、昭和60年12月に購入したマンションなので、38年以上住んでいる。長さで言えば圧倒的なのだが、夢の中に出てくる場所としてはそんなに多くはない。

 さて夢の中に出てきた母の年齢だが、その場所には適当ではないのである。40代から60前までだから、まだ若い母親でなければならない。母は手作りの物を色々作っていた。趣味ではなく、必要に迫られてのことだったのであろう。その時はのこぎりで板を切っていた。板に黒い線を引いて、それに沿って切るのだがあまり上手くいかない。見かねた私が、貸してみろと言って、のこぎりで切り始めたが、私は不器用だった。板を途中まで切って、残りを切らずに残さないといけなかったのだが、切り落としてしまった。あ~あという母の顔がアップになった。残念そうな母の顔は、90代で施設に入っていた時の母の顔であった。思わず母をハグしたのだが、夢から醒めた。情けない思いだけが残った。

 母は3人の子どもを産んだが、同居をしたのは末っ子の私とであった。結局は同居の年数は私がダントツに長く、50年以上である。兄は中学校を卒業して集団就職で家を離れたので、同居年数は15年である。姉は高校卒業後、看護学校に進学して家を離れたので、18年である。しかし母の晩年には夫婦で我が家の近くに移ってきた。平成16年からであるので、同居はしなかったが頼りにしていたであろう。徒歩10分程度の所だったので、本当に助かった。

 問題は母が故郷を離れて、私のところで同居を始めて、脳梗塞で倒れるまでである。約30年余りあるが、母の年齢で言うと、58歳から88歳までである。炊事、洗濯、掃除の家事全般を母に任せっぱなしであった。いくら大正の母親と言っても、70代80代はきつかったはずである。私が就職して、同居を開始した時は母も50代で、まだ原付バイクに乗って買い物などに行っていた。二階建てだったが、元気に二階にも上ってきていた。なんかその頃のイメージでとらえ過ぎていたと思う。バイクに乗っていた身にとって、坂道を買い物籠を引いて上るのはきつかったはずである。64歳の時、マンションのパンフレットを私に見せて、このマンション良くないと言ってきた時、深くも考えずに購入したが、今思うと買い物がきつくなってきたのであろう。マンションはスーパーに近かったのである。私は職場から少し遠くなるので、あまり気が進まなかったのだが、母が望むならばその通りにしてやろうと思った。親孝行のつもりであった。

 年金の事も私の勝手な思い込みだったようだ。65歳からの年金受給を64歳で私に言ってきた。理由は他の人はみんなもらっていると言う。母には十分な生活費を渡しているつもりだったから、別に要らないだろうと思っていたが、元来丈夫ではなかったと思っていたので、長生きしないかもしれないから早くもらいたいのかなと思った。今思うと自分で自由に使えるお金が欲しかったのであろう。節約家の母は、生活費から自分の為の物を買うのは、気が引けたのであろう。私の為の衣類はよく買っていたが、自分の物はよく「いくらと思う」と聞いてきた。買い物上手を自慢したいだけだろうと思ていたが、それだけではなかったのであろう。考えてみれば私だけの収入で、預貯金は随分と貯まった。郵便局の定額貯金などにはよく足を運んでいた。マンション購入が早かったのも、母の節約のお陰である。私の小遣いは自分だけの為だけに使っていたように思うが、母は家に必要な物や私の為の物も随分と買っていた。あまり礼も言わずに受け取っていたように思い出す。今思うと随分がっかりしていたのではないだろうか。夜中に居眠りから醒めて、流し場に寄りかかりながら、洗い物をしている母の姿を思い出すと、今70代になって、同じように流し場に寄りかかりながら食器を洗っていると、何故あの時母の代わりに洗い物をしてあげなかったのか、後悔の涙が出てくる時がある。やはり我が身にならないと本当の所はわからないものだと、身につまされてしまう。何も言わず黙って洗い物をしている母の姿を思い出すと、辛くて仕方がない。「親孝行したい時には親は無し。墓に蒲団は着せられず」とはこのことだなと、しみじみと思う。