大相撲の世界では、以前は「可愛がり」は当たり前のことであった。格闘技の世界ではどこからどこまでが、練習や稽古の一環で、どこからいじめや体罰になるのかの線引きが難しい。私が最初に部活動の顧問になったのは柔道部で副顧問だった。正顧問は柔道経験者で五段か六段であった。創部2年か3年目の新しい部で、部員は10人足らずであった。私は柔道未経験者で副顧問の立場であったので、通常は道場に顔を出すことは無かった。新規採用教員であったので、研修や教材研究に忙しかったのを言訳にしていた。正顧問が不在の時は、道場に顔を出していた。正顧問が不在の時は、締め技などの稽古は禁止であった。稽古の最後には部員とともに神棚に向かって正座して拝礼していた。体罰やいじめなどは全く感じられなかった。金鷲旗大会では正顧問が審判で引率出来ないというので、初めて大会引率と監督を経験した。1回戦は県外の高校で、見事に5人抜きをやられた。一番長く畳の上にいたのは3年生の主将で、押さえ込み1本だったので30秒以上戦った。大将は2年生で二段だったので期待したが、秒殺であった。帰りの駅で1年生部員と一緒になったが、来年はこの悔しさを晴らすと言っていたのが、印象的であった。

 翌年には私はテニス部(当時)の副顧問になったので柔道部から離れた。顧問から離れても柔道部の生徒たちはよく挨拶してくれた。その次の年には、柔道部を創設したT先生は異動になり、新規採用の柔道四段の先生が正顧問に就任した。副顧問の先生は理科の教員で時々話を聞いたりしていた。強くなったと聞いていた。厳しい指導で部員がやめたりもしていたようだが、残った部員は稽古に励み強くなっているそうだ。金鷲旗や剣道の玉竜旗大会は福岡県勢はどんな弱小部でも出場できるが、県外勢は遠方だと優勝校だけとか、ベスト4の高校だけとか出場制限があるので、なかなか弱小の福岡県勢が勝ち抜くのは難しい。強豪校は優勝争いをするのであるが、弱小の福岡県勢は5人抜きの対象になることがしばしばである。結果はまだ出ていなかったが、かなり強くなったのは確かだったようである。ところが体罰問題が出てしまった。行き過ぎた指導があったと正顧問が責任を取らされて、1年で異動になってしまった。詳しいことはわからなかったが、教員側の私の気持ちとしては、県教委は教員を守ってはくれないのだなと感じた。

体罰が問題になると、こうなるということだけが心に残った。

 貴乃花親方の時も、モンゴル人力士同士の体罰というか傷害というか、それが発端だったと思う。現在の照ノ富士も被害者の一人ではなかったかな。相撲協会の対処がおかしく、結局貴乃花親方は協会を去ることになった。陸奥部屋の問題も、その処理はどこも幸せにならず、相撲協会だけが得をしたと言うのは言い過ぎであろうが、マスコミだけが得をしたのかな。週刊誌などは売り上げ部数を伸ばし、TVなどは視聴率を稼げたのかな。今回の北青鵬問題も、いつの間にかこの問題で利を得ようとする動きがあるような気がしてならない。マスコミ報道の通りの北青鵬の暴行があったならば、許しがたいことで、引退勧告も致し方がないかもしれないが、宮城野親方の処分は厳し過ぎるのではないかと思う。個人的には白鵬のことは嫌いであるが、好き嫌いの問題ではない。部活動でも、学級経営でも、監督責任はあるにしても、顧問や担任の責任にしてしまうには、あまりにも苛酷である。しかも体罰禁止である。警察官の発砲事例でも、そこまで規制するかねというのが正直な感想である。暴走族や暴力団の制圧の際、あまりにも規制が厳し過ぎる。被害の実態が出て、加害者が特定できて、それから警察の出番では、被害者は泣き寝入りするしかないのかということである。今の状況を見ていると、有事の際、日本国民に多大な被害が出て、自衛隊や警察が動くことになるのであろう。東日本大震災の被害どころではないと思うのだが。一人の冤罪者を出さないために、数万数十万の犯罪が野放しになっても仕方がないという態度である。

 神戸大学のバドミントンサークルの犯罪は、必ず立証して罰さねばなならない。飲食店に対するいたずらというには、あまりにも事が大きいことを、立証して起訴しなければならない。刑罰の軽重も判断しなければならない。江戸時代、10両以上盗むと死刑だったそうである。江戸では放火犯は火あぶりの刑に処せられたそうである。もうそうした記憶は上書きされてしまいつつある。罪を犯しても、軽い罰であれば、犯罪を奨励しているようなものである。逆に軽微な罪で重罰を与えると、人々は委縮してしまう。自由ではなくなるのである。犯罪に対してはそれ相応の刑罰が与えるべきで、国会議員や地方公共団体の議員たちは忙しい筈である。法律や条例を適正に制定しなければならない。

 今は管理責任や監督責任が必余以上に問われ過ぎていないか。当事者の責任がもっと問われるべきである。マスコミ報道でも、匿名報道ではなく、匿名記事ではなく、責任ある報道や記事を望みたい。