小選挙区制の是非を論ずる前に、中選挙区制との大雑把な比較をしてみよう。今手元に比較検討するための資料がない。故に自分の記憶に従っての、個人的な見解になる。

 中選挙区制では、一つの選挙区に複数の当選者が出る。5人前後が多かったかな。多くの政党が候補者を立てるので、多党制になる。一つの選挙区に2人以上の候補者を立てる政党も出るが、共倒れする場合もあるので、票読みと票の割り振りが大事である。いずれにしても単独過半数は難しいので、連立内閣を組むことが多い。有権者から見たら、選択の幅が広いのが長所である。政党の側から見たら、常に連立を組むことによって少数の政党であっても与党になることが出来る。連立を組みながら一つの党になることも多い。保守合同ということで、自由党と民主党が合併して自由民主党になるとか、右派と左派の社会党が合併して日本社会党になるとかが起きる。建前としては多くの有権者の声が反映されるということになる。いわゆる死票が少なることは確かである。自分が投票した1票が候補者の合否に直結している感じは持ちやすかった。5大政党として自由民主党、日本社会党、民主社会党、公明党、日本共産党などがあった。自由民主党を割って、独立した会派を作ることもあった。新自由クラブとか、政党さきがけとか、日本新党とかがあったように記憶している。新党はブームを起こすことも多いが、長続きをしないことがほとんどである。この頃は比較的投票率は今と比べれば高かったものである。それでも3割4割の有権者が棄権することも多かった。しかし過半数の有権者は投票していたのではないだろうか。

 小選挙区制は一つの選挙区に一人の当選者しか出ない制度である。その為に二大政党制になることが多い。第3の政党が生まれたりもするが、あまり大きくなることは無いようだ。アメリカとイギリスが代表的かな。デメリットは死票が多いことである。当選者に入れた票だけが生きて、他は死票にならざるを得ないので50%近くが死票になってしまう。強固な組織票を有している政党が有利である。政権獲得するためにそうした政党の取り込みが激しくなる。自民党は公明党を取り込んで連立政権を樹立している。立憲民主党は共産党を取り込もうとしている。あるいは野党統一候補を出そうとしている。死票が多いせいか有権者は自分の1票で当落が決まったというような感覚は持ちにくい。有権者の棄権が多くなっているようである。

 現行の選挙制度は小選挙区制比例代表制になっている。ある一定の得票があると当選者が出る仕組みになっている。二大政党制を目指したはずなのに、中選挙区制よりも少数政党が乱立している。比例代表制をうまく利用したのが、NHK党であった。社会民主党が今もって存在しているのは、比例代表制のお陰だと思われる。比例代表制のお陰で死票が減っているという側面はある。しかし以前オウム真理教が国政選挙に打って出たことがある。宗教団体の集票能力が高いのはもうお墨付きである。創価学会を母体とした公明党の躍進で証明されている。共産党もある意味、宗教団体のようなものである。共産主義を信奉する宗教団体だからこそある一定の得票数を獲得するのであろう。ヨーロッパでも宗教団体が政党を構成している国は多い。政教分離とか言って、宗教団体と政党の癒着と言って騒ぐマスメディアはおかしなものである。無宗教を標榜するので、国家国民がどうなってもいいのである。自分たちがどんな思想にかぶれているかも分からずに、政治からの無関心の層を肥大化させている。以前は何かの意図があってやっているのかと、やや陰謀説に加担したくなった時もあったが、今では衆愚政治に足を踏み入れているのだと思っている。無宗教というのがどれほど特異な事かもわからないでいる。ベースに神道があったので、どんな宗教を受け入れても壊れなかった日本が、今まさに壊れていってるのである。日本の有史以来の危機だと感じている。

 「断捨離ブーム」である。断捨離は仏教用語で、悟りを開く一つの道でもあるのだが、現在の「断捨離」は過去への決別と未来への絶望である。子どもを産みたくないと答える女性の何%にか、これから先の未来に我が子を晒したくないと考える女性がいることは確かである。未来に希望が持てないのである。悪くなる一方の未来に、我が子を残したくないと思うのである。

 未来への希望は過去の栄光が投影されると思っている。過去の出来事から、未来はこうなってほしいという希望が生まれるのである。明るい未来が保障されなくても、まだ望みがあると思うと、我が子を産む気力も湧いてくるであろう。

 家族単位で生きていたネアンデルタール人は絶滅人類になってしまったそうである。ホモ・サピエンスが生き残ったのは集団生活を営んでいたからだそうである。割と大きな集団になると血縁だけでは結びつけない。そこで出て来たのが宗教だったらしい。つまり人類存続の決め手は宗教にあったわけである。自然崇拝や祖先崇拝はホモ・サピエンスにとって実感できるものであったのであろう。一生懸命に生きていれば、それでいいかもしれない。未来に対して責任を持たないのだから。私は子どもがいないので、未来はどうなってもいいと考えてもいいのだが、どうも性分もあるし、宗教心も持ち合わせている。死んだら無であるとも思っていない。死後の世界については何もわかっていないのだから。科学的に死後の世界がどうであるかは証明されていない。哲学や宗教が語っているだけである。自然科学では証明されていないことは、「わからない」であって、無いことにはならないのである。私には勝手に「教え子」と思っている人々が居る。むこうは「恩師」などとは思っていないであろうが、やはり数千人教えた中には、私を「先生」と思ってくれている「教え子」がいると信じたい。我が子はいないが甥や姪はいる。やはり彼らの幸せは願うのである。「世界が平和でありますように。日本が世界一になりますように」と願っている。狭い知見だが、極東の島国だったせいもあり、長く平和に暮らしてきた日本はやはり素晴らしい国だと思う。日本人は単一民族ではない。北から南から西からと多くの人々が移り住んだと思う。東から来たアメリカにはやられてしまったが、それまでは多くの宗教を吞み込んで、日本人精神を養ってきた。「神道」が中心にあったと思うが、太陽崇拝が元になっていると思う。「お天道様に顔向けできないようなことはするな」が縛りだったと思う。贅沢さえしなければ、日本の各地で生きていける環境だったのである。「海の幸山の幸」に恵まれた環境だったのである。「金は天下の回り物」で一部の者が独占するものではなかったのである。「働くこと」を「傍を楽にすること」とした日本人にとって、労働は義務ではなく権利であったのである。

 日本文化を世界の文化にしたいものである。「将棋」はやはり日本的なものだと感じている。取った駒を再利用するのがルールだからな。取っても死んだわけではないのである。大陸の戦いは基本的には殲滅戦である。しかし島国の利点は大陸から攻められても、一致団結すれば防衛することが可能だったのである。第二次世界大戦でヨーロッパ全土がナチスドイツに席巻されたが、島国イギリスは何とか防ぐことが出来た。大きな犠牲を払って小さなイギリスを攻めるよりも、広大な土地が広がる東に向かった方がよいと思ったのか、独ソ不可侵条約を破って、ソ連に攻め込んだ。ナポレオンでさえ陥落させることが出来なかったモスクワを攻撃してしまった。人の命を何とも思わないスターリンがいたのは、ヒトラーにとって計算違いだったのか、ドイツの敗北への道が転がり始めた。ちょっと脱線過ぎるな。

 選挙制度は日本人の気質を考えると中選挙区がいいと考える。小選挙区制を維持するのであれば、比例代表制は廃止すべきである。矛盾が甚だしいの長続きしないものである。