二大政党制でなければ、民主主義政治では連立は不可避である。ナチスも連立を組むことによって大きく成長した。第1党にどうしても政権を渡したくない時は、第2党以下は選択を迫られる。単独過半数を取っている時は、基本的には単独で政権を担うのが常識である。しかし現在は単独過半数を獲得しても自民党は連立政権を組閣している。単独では改憲に必要な3分の2が獲得できないせいであるが、公明党は改憲には消極的である。現在政党の組織としてきちんとしている政党は、公明党と日本共産党と言われている。どちらも資金力はある。集票組織がしっかりしている。風が吹こうと吹くまいと、雨が降ろうと降るまいと、公明党と共産党は票読みが出来ると言われている。他の政党は天気に左右されたり、マスコミの偏向報道に流されたり、浮動票の行方でどうにでもなってしまう。自由民主党は公明党の足腰の強さが欲しいのか、連立解消には動かない。マスコミに叩かれると当選が覚束なくなるので、マスコミに迎合するかのような言動が増える。ロッキード事件で叩かれまくったが、田中角栄はトップ当選を果たし続けた。民主主義を自ら否定するような言動が、当時のマスコミには多かったように思う。「推定無罪」の原則もあったものではなかった。「今太閤」と持ち上げていながら、アメリカなのかチャイナなのかわからないが、田中角栄を潰したい輩のお先棒担ぎをしてマスコミは煽りに煽り立てた。外国の鼻色を伺いながら、一国の元首相を叩きまくった。私は自民党嫌いだったので、自民党には投票しなかったが、田中角栄は嫌いではなかった。ただし中華民国(台湾)を裏切って、中華人民共和国に付いたのは、今でも田中角栄の大失策だったと思う。友人はアメリカ合衆国が米中友好に舵を切ったのだから仕方がないではないかと。ただし日本独自の外交を展開をしようとしたのは、アメリカ大統領の逆鱗に触れたかもしれない。19世紀以降は西海岸にたどり着いたアメリカ人は太平洋を横断してアジアにやってきた。日本やフィリピンはあくまでも中継基地であって、狙いはシナ大陸である。19世紀のイギリスが清王朝相手にやったことは、恥ずべきことだったと思うが、白人はそんなことは思っていないようだ。「文明開化」なのであろう。

 余談であるが、上海を訪れた高杉晋作が上海におけるシナ人に対する白人の扱いを見て、「尊王攘夷」を捨てたそうである。16世紀の頃と19世紀では世界情勢は大きく変わっていたのである。ただし白人にしっぽを振るということではなかった。外国を利用しようと考えたようである。幕末の動乱期に幾多の有能な人材が亡くなってしまった。あまりにも多くの人材を失ったため、その後の日本は迷走することになったのであろう。

 アメリカはシナ大陸を広大な市場としか見ていなかったのかな。ソ連は毛沢東に中華人民共和国を、金日成に朝鮮民主主義人民共和国を任せたのであろう。共産党政府を作るために。ベトナムはホーチミンだったのかな。ソ連共産党としては中央の命令は絶対だと思っていたのかな。1948年に朝鮮民主主義人民共和国が、1949年に中華人民共和国が建国される。どちらもソビエト政府の支援によって建国されたのである。朝鮮民主主義人民共和国は唯一の政府として朝鮮半島全体を支配下に置こうとして、朝鮮戦争が起きた。南にはアメリカの支援を受けて李承晩率いる大韓民国が建国されていた。一時期は釜山を残すだけという状況に陥ったが、アメリカ軍を主体とした国連軍が反転攻勢をかけた。「仁川上陸作戦」というのは有名である。今度は国連軍が北の中ソの国境付近まで押し戻したのだが、中華人民共和国の人民解放軍が参戦して、結局は休戦ということになった。だからまだ朝鮮民主主義人民調和国と大韓民国は戦争状態で、休戦しているだけである。シナ大陸では毛沢東率いる共産党軍が蔣介石率いる国民党軍を台湾に追いやってしまったのである。重慶政府と呼ばれたのは蔣介石の国民党である。戦後の正式な政府は台湾の中華民国であった。それが1972年に潮目が変わったのである。二つの政府を受け入れなかったので、国連に席があったのは中華民国だったのだが、それが中華人民共和国になってしまった。安保理常任理事国も中華人民共和国になったのである。第二次世界大戦の戦勝国の集まりだった国際連合は変なことになった。

 このように第二次世界大戦は今でも大きな影響を与えている。パレスチナ問題も第一次世界大戦でチャーチㇽの二枚舌外交で複雑になってしまった。ユダヤ人にもアラブ人にもパレスチナの地を与える約束したのである。当時はパレスチナの支配権はイギリスが有していたのである。無責任にもイギリスは何もせずに手を引いたわけである。多くのユダヤ人がパレスチナに集まったのである。約束の地というがパレスチナに住んでいたのはアラブ人が多かったのである。イギリス、フランス、スペイン、ポルトガル,オランダなどは世界地図に責任があると思うのだが。結局はその時の都合でいい加減なことをすると、未来に禍根を残すということである。

 現在の日本の選挙制度は小選挙区を基本にしている。中選挙区に戻せないのであれば、比例代表制をなくすのが良い。二大政党政治を目指すのであれば、比例代表制は要らないものである。二大政党になれば連立は無くなる。アメリカ合衆国のようにどちらを選ぶかである。経年劣化で日本が滅んでもいいと思う国民と、日本は持続可能な国になるべきだと考える国民とに別れるといいと思う。北海道、本州、九州、四国と四つの国に独立してもいい。具体的に国家をどうすればよいのか考えるべきである。天皇制も今一度日本の国体としてふさわしいものに作り替えるか、廃止するか、現状維持を図るかである。

 私は現行の日本は天皇制の下に発展したと思うので、GHQの言いなりにならず、日本国の君主でもいいし、象徴でもいいし、ともかく永続するように、皇室典範を改正すべきであろう。天皇の権威は、万世一系にあると思うので、男系による相続世襲は守るべきであると思う。「両性の合意」のみを婚姻の絶対条件にすべきではないと思う。恋愛結婚のみが理想だというのはやはり間違っていると思う。GHQの陰謀だとまで決めつけないが、恋愛至上主義では日本は無かったと思うのだが。キリスト教徒に言わせると「男尊女卑」かもしれないが、日本は原則「女尊男卑」のお国柄だったと思うのである。子宝は誰のものかというと母親のものである。いつの間にか核家族を良しとするようになるが、日本は家の中に住んでいる人は、疑似家族である。私の個人的な感想であるが、異母兄弟よりも、同腹の兄弟の方が家族としての感情にしっくりくる。同腹の兄弟は同じ家に住んで育てられるのである。異母兄弟は別の家に住んで、頭の中で兄弟なのだと言い聞かせないといけない感じが残る。兄弟は他人の始まりというが、家を出て別の家に住むようになると、他人のようになる。それに反して結婚して同じ家に住むようになると、次第に家族になっていく。「同じ釜の飯を食う」のは想像以上に一体感を生み出す。弊害も大きいのだが、帰属意識も大事である。

 「そして父になる」という映画を見たが、印象深かったのは、父親の条件として、福山雅治とリリーフランキーが言い合うのだが、福山雅治が一緒にいる時間ばかりが大事なんではないと言うと、珍しくはっきりとした口調でリリーフランキーが「いや時間だ」と言い切るシーンがあった。なかなか難しいものである。