最近はそもそも論とでもいうのか、いつの間にか対して論議も尽くさないまま、変な法律が制定されて施行されているような気がする。占領下時代に決められたことも、何の疑いもなく引き続き施行されているようだ。この間もどこかの馬鹿な裁判官が同性婚の禁止は違憲であるとか言ってたようである。裁判官、検察官、弁護士の水準が随分と落ち込んでいるようである。おそらく司法試験に問題があるのであろう。公務員試験や教員採用試験に関しては色々言い立てる輩も司法試験や外交官試験に関してはあまり何も言っていないようである。やはり試験そのものよりは運用を問題にした方がわかりやすいせいであろうか。

 敗戦後GHQの洗脳政策で随分と日本は害された。戦前の日本は何もかもが悪いように言われた。もし仮に何もかもが悪かったのだったら、大正時代も昭和時代も悪く、日本は世界から取り残されて、どこかの国の植民地になっていたであろう。しかし事実はアジアでほぼ唯一と言っていい程の独立した主権国家であった。世界の五大国に数えられていたのである。立憲君主国であった。今では民主主義でなければ駄目なように言うが、北朝鮮は正式には「朝鮮民主主義人民共和国」だったと思う。

 現在の日本国は本当は完全な主権国家ではないのであろう。占領下に定められた数々の法律や条例が今でも有効であるのだから。第一に日本国憲法を改正しなければならないのに、それが今もって改正されない。占領下のままである。アメリカだろうがソ連だろうが関係なく、日本独自の憲法を制定すべきであるのに、右も左も邪魔をする。どこの民族が占領下の憲法を後生大事に守っていくであろうか。日本だけである。単に影響下にあると言って済まされない。何度も豊かになりそうだったのに、アメリカやその他の外国の勢力下にある一派に邪魔されている。今でも首都の上空を自由に飛び回ることが出来ない。日本のあちこちに外国の軍隊が駐留している。アフリカや南北アメリカではないのだから、一国の安全と防衛は自国民でまかなうのが当たり前であろう。いろんな形で中華人民共和国や大韓民国には経済的な援助をしてきた。賠償金みたいなものであったのであろう。しかし賠償金ではない。

 ともかく問題を先送りにしてきた。これまでは国内の努力で何とかしてきたが、もう限界にきている。未来がないのである。日本人や日本国に未来がないのである。「一君万民主義」で天皇家以外はみな平等としてきたが、今や富裕層が幅を利かせている。

 いつの時代からであろうか。天皇家を中心とした国家体制がまとまりやすいとしたのは。天智天皇や天武天皇の時代からであるというのが、今では有力になっているようである。「政」と「祭事」は一体であった時代が長かった。それは日本だけではない。アジア、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカ、どこでも人間のいるところには、祭ごとがあり、それが集団の一体感を高めていたのであろう。乱暴に言うならば同じ神を信じる者が同一民族であり、同一部族だったのであろう。多くの人々にとって、自然には精霊が宿っていたのであろう。自然崇拝が宗教の源泉であろう。そして神話や伝説が生まれるのである。仏教やヒンズー教のように多神教になるのが普通だったのであろうが、そこに唯一神を崇める人々が生まれた。ユダヤ教である。そこからキリスト教が生まれ、イスラム教が生まれた。名前こそ違っても唯一絶対神を信仰するのは同じである。強烈な選民思想が生まれた。現在でもイスラム教の指導者は政治の指導者でもある。キリスト教社会でも長くローマ法王が力を持っていた。領主や国王はローマ法王や教会の司祭者が邪魔になったのである。そこで祭政分離が言い出された。「政教分離」を言い出したのはキリスト教国である。国王の宗教が国民の宗教になっていると、宗教の権威者が王様になる。そこで逆に王様が宗教の最高権威者になったのがイギリスである。ヨーロッパでは長く同じキリスト教徒であるのに、カソリックとプロテスタントが殺し合った。プロテスタントの一部はアメリカ大陸に渡った。そして独立戦争を経て自分たちの国を建てた。先住民を虐殺と略奪の限りを尽くして、西へ西へと開拓していった。「開拓者魂」とか言って正当化したが、要するに他人のものを略奪したのである。「未開の地に文明の光を当ててやった」と言うのは「作り話」である。「ヒストリー」と言うやつである。「白人の物語」な訳である。

 釈尊の遺骨は、アジアや日本など仏教国にもたらされた。仏舎利というが、仏舎利塔には「仏様の骨が眠っている」と言い伝えられている。真偽のほどはわからないが、少なくとも熱心な信者は信じている。オーム真理教の教祖であった松本死刑囚の遺骨が、松本死刑囚の次女に返還されるそうである。馬鹿な裁判官の個人的な見解で返還されそうである。これを止めることは、現行の法律では止められないようである。一裁判官の判例が効力を持つらしい。恐らく宗教心もなく、社会に対しての責任感や見識もないのであろう一裁判官がこのような判例を出すのはいかがなものかと思うが、法務大臣は止められないのかな。松本死刑囚を教祖と崇める信者がまだ相当数いると言われている。野に人食い虎を放つようなものだと思うのだがどうであろうか。宗教の力を恐れない輩が多過ぎる。それを科学的と思っている。人知の及ぼす範囲はまだはるかに狭小で限定的であるのに、信仰心のなさを露呈しているだけの事が多過ぎる。「祭政分離」はなかなか難しいし、本気で考え抜かないといけないと思う。以前剣道場や柔道場の神棚を「政教分離」に反すると言って撤去を申し入れたという。日教組の輩は共産主義に毒された人間と思っているので、それこそ「政教分離の原則」に反するではないかと思った。どういう立場でものを言っているのかと思った。