良くも悪くも相撲協会にも民主主義の悪平等が蔓延っているように思う。宮城野親方については、個人的には否定的な評価をしているが、最近のやり口は、おんぶにだっこだったくせに、手のひら返しが過ぎると思う。基本的に自浄能力に欠ける団体だと思う。

 私が相撲協会の理事長を意識したのは、小学校の頃、TV中継で千秋楽優勝力士に天皇賜杯を授与していた時である。時津風理事長で元横綱双葉山だった。あれが69連勝の双葉山かと思った記憶がある。威厳があった。大体歴代の理事長は元横綱が務めることが多かったが、武蔵川理事長が誕生した時は驚いた。現役時代は無名の力士であった。元学生横綱で大関まで上り詰めたが、大鵬一強時代だったので、準優勝は7,8回あったと思うが横綱に成れなかった豊山が時津風理事長になったのは良かったと思った記憶がある。横綱栃錦が春日野親方として理事長になったのも、横綱若乃花が二子山親方として理事長になったのも納得したものである。その流れから行けば、大鵬親方の理事長就任は既定の路線かなと思った。病気もあって結局は理事長に成れなかった。横綱佐田の山が出羽の海親方として理事長就任した。大鵬は出世が早かったので佐田の山より先輩横綱だったが、年齢は上だった。その頃から現役力士時代の活躍と親方としての活躍は違うのだなと思うようになった。どうやら一門の力が強いようだと気が付いた。栃若が理事長に成れたのは、もちろん横綱になったこともあるが、それぞれ出羽の海一門や二所ノ関一門だったことも大きかったと思われる。一門の横綱には理事長になってもらいたいという空気は自然に作られるのであろう。大鵬親方が理事長に成れなかったのは、噂話でしかないが、ロシア人の血を引いているからというものだった。日本古来の大相撲であるので純血を守ったというものだった。これは今に続く差別意識なのだろう。しかし当事者は何が悪いということなのだろう。朝青龍や白鵬、古くは曙や武蔵丸が受けたものなのかな。もっと古くは力道山の引退も国籍を剝奪されたことにあるらしい。輪島でさえ学生出身ということで弾き出された。まあ伝統から外れた部分もあったと思うが、隠蔽体質の強い相撲協会である。その気になれば何もかも隠蔽することは出来るものと思われる。事が露見したり、問題になったりするのは、別の力が動いているのであろう。八百長は昔からあることである。しかしなかなか八百長で処分されない。暗黙の了解事項なのであろう。7勝7敗で千秋楽を迎えたら、ほとんど勝ち越していたのは昭和では周知の事実である。双方納得づくの八百長もあるだろうし、片八百長もあったのであろう。若貴の優勝決定戦は八百長する気は無かったかもしれないが、半ば八百長みたいなものであった。力が出ないのは無理からぬことである。

 伯父が初代若乃花、父親が初代貴乃花、兄も横綱になった三代目若乃花、血統から言えば申し分のない二代目貴乃花が協会を出ていったのは、相撲協会として良かったのか。兄弟横綱が両方とも相撲協会から離れてしまった。日本人横綱は貴乃花引退後は稀勢の里しか出ていない。もう日本人がどうのこうの言えない時代になっている。元横綱の武蔵丸も、元大関の琴欧州も立派な親方になっている。最近はいたのかどうかもわからないような力士が年寄株を持って親方になっている。現役時代どれほどの功績があったというのか。経営手腕があるというのであれば、横綱大関を育ててほしい。「体罰禁止」の流れに乗り、親方の指導が出来難くして、なんか追い落としの手段として使われているような気がしてならない。伝え聞く北青鵬の暴力は悪質なようだが、親方の資質を云々するよりも、もっと指導すべきであろう。今の横綱もモンゴル人横綱だし、大関も二人はモンゴル人大関である。ガチンコを称賛するならば公傷制度の復活や年2場所とか4場所を検討すべきであろう。巡業で利益を確保することも出来るのだから。競争相手を蹴落とす事ばかり考えて、大相撲そのものが衰退したらどうするのか。横綱大関で伝統は守られているのだから。たかることばかり考えるなと思う。相撲協会が正常化するので「年寄株」は協会預かりでいいと思う。横綱大関が引退したら、平年寄の株は譲渡すべきであろう。現在は色々な手段で年寄株を持っていなくても協会で仕事が出来るようだからな。もう少し融通し合えば、将来の事を考えても、強くなって番付を上げるしかないことがわかる。今のように前頭でも年寄株が持てるとなると、長く平幕で留まった方がよいということになる。一門の力を強くすることばかり考えないで、功績のあった力士には年寄株を渡すべきである。私有財産にすべきではなかろう。今は陰にこもった嫉妬心が蔓延る世の中になってしまったなあとつくづく思う。1票の平等を言い過ぎる。死刑囚の人権も言い過ぎる。殺された人の人権は誰が口にするのか。またまた脱線しそうなので、この辺りで終わる。