私は日本の古代史に興味があり、日本人のルーツにも興味がある。昔は文献中心で「邪馬台国論争」も「魏志倭人伝」の解釈が中心であった。日本にも「神代文字」があった説もあるが、これは眉唾物だと思っている。恐らく「文字信仰」の行き過ぎた結果であろうと思っている。文字を発明した民族が優秀で、文字を持たない民族は「未開民族」のように感じられて、大和民族は文字を持っていた筈だとなってしまったのではないかと推察している。世界の「四大文明」と呼ばれるところには文字があったことが原因のようだ。しかし考古学の発達によって、文字のない地域にも、高度な文明があったのではないかと考えられるようになってきた。殺人現場に文字を記したメモがないと、証拠にならないかと言うとそうではない。物的証拠は文字によらないものがほとんどである。人間の生きた証は、別に文字によらないことも多いのである。

 さて考古学はやはり発掘調査が主流であるが、発掘したものをどのように見るかは、学者次第の所がある。最近は人骨が採取されるとDNA解析が流行りである。DNA解析によって多くの事がわかるようになった。現代に生きる人類の祖先が、南アフリカに生息していたホモ・サピエンスであることが、正しい知識として共有されるようになってきた。「北京原人」や「ジャワ原人」、「ネアンデルタール人」とかが生き残って、「進化」したものではないことが分かってきた。人類には違いないが、「絶滅人類」とされているようである。現在生き残っている人類は「ホモ・サピエンス」だけの一種であり、他の人類は絶滅としたと考えられている。「雪男」や「河童」などは絶滅したはずの人類の生き残りと考える人もいるが、このような考えは学説にはなりにくい。一種の「ホモ・サピエンス」だけが生き残って、「人類は皆兄弟だった」と言うのは、受け入れやすい考えだったようである。瞬く間に広がった。アフリカで誕生した「ホモ・サピエンス」がアフリカを出て世界各地に広がったというのは、夢みたいな話で、「グレートジャーニー」は5万年前から7万年前の間のこととされた。もちろんホモ・サピエンスが全員アフリカを出たわけではない。アフリカは不毛の大地で食糧不足だったという考えもあるが、最近では5,6万年前は豊かな自然が広がり、食糧には事欠かなかったという考えも出てきている。ではなぜアフリカを出ていったのかというのが謎である。「好奇心」だという説もある。

 さてアフリカを出て東に向かったホモサピエンスは北と南に分かれて歩いて行ったと考えられている。現在の東南アジアに辿り着き、大陸に沿って北上した者、海に出て島々に向かった者たちもいたという。現在の我々は陸路が安全で楽だという思い込みがある。しかし意外にも平穏であれば「海上の道」がずっと楽で安全だという説もある。ホモ・サピエンスが日本列島に辿り着いたのは約3万年前から4万年前ではないかと言われている。最近ではそれが縄文人の祖先であるとされている。具体的に約1000人余りが現在の北関東から東北までに辿り着き、住み始めたという学者もいる。そこから東日本に縄文人が住み着き、西日本に弥生人が渡来してきたと。日本の古代人の人骨のDNA解析をして、日本人のルーツを調べる研究も行われているが、私が考えるにサンプルが少なすぎると思う。わずか数体の人骨を元にそこまで言っていいものかと思ってしまう。「ヒューマニエンス」と言う番組ではMCの織田裕二が「妄想」という言葉を使っているが、それに近いのではないかと思ってしまう。「妄想説」が真実を言い当てているケースもあるだろうが、「意図的」というか、「恣意的」というか、なんかそのようなものを感じることがある。血縁関係を明らかにするのにDNAが使われたり、犯罪捜査の決め手にDNAが用いられたりするのは、その信憑性が高いことを証明しているのであろう。しかし現在の時点で採取されたDNAである。3万年前のDNAでそこまで言えるのか疑問である。最近見た番組で、日本人のルーツは二重構造と言うのが定説に近くなっているそうだが、今三重構造という考えが出てきているそうだ。縄文人+弥生人と言うのが二重構造だが、「古墳人」と言うのが加わった。この三重構造の人が現代人に最も近いという。古墳時代に日本列島に渡来してきた人々だそうだが、そんなに大勢の人々が日本にやってきたのかなと思う。

 ともかく今の段階では「妄想」と言うか「諸説あり」と言うか、そんなところだろうが面白いことは面白い。結局は信じたい事実だけを集めて、勝手に信じることになるのだろうが、「科学的根拠」は大事にしたい。